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塩原温泉 しおばらおんせん

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疲労回復 健康増進ほか

<所在地>栃木県那須郡塩原町
<交通>JR東北新幹線那須塩原駅からバス60分タクシ−25分
<泉質>ナトリウム・カルシウム・硫酸塩泉・含硫黄・ナトリウム・塩化物炭酸水素塩泉・単純泉

温泉療法医がすすめる温泉 富田勤
(国立塩原温泉病院院長 専門整形外科医 栃木県テニス協会理事長)

湯の香に自然浴。文人の逃避先。
せり出した山裾の美しい清流に宿の灯りがゆらいでいる。夏は緑のシャワ−、秋は紅葉がひときわ映える。塩原は国道沿い1、2kmおきに、しめて11湯の温泉が続く一大温泉郷である。約1200年前の大同年間の発見というから、その歴史は古いが、塩原を有名にしたのは自然と温泉に魅せられて来遊した多くの文人達で、尾崎紅葉の名作"金色夜叉"もここから生まれた。   紅葉の常宿も、また貫一お宮の小説を書いたその部屋も、古い木造の当時のまま原稿と共に残っている。文豪達が世間のわずらわしさから逃れて、執筆活動に専念できた環境は、伝え聞いた著名人らが競って温泉を引湯した別荘建築となったようである。明治・大正・昭和と三代にわたって御用邸が置かれたことでも裏付けられよう。

泉あれば熱あり・・・・・・と、金色夜叉に登場
歴史があることは、素晴らしいところという代名詞でしょう・・・・・・。推薦医の富田先生は地元というひいき目抜きで、ぞっこん組の一人。国立病院報に"塩原と文人墨客たち"と題して長文の"見て聞き歩る記"を寄せている。先生の調べによると、紅葉の金色夜叉は明治30年からの新聞連載小説で6年続いたが、完結しないまま紅葉が死去した。このため愛弟子の小栗風葉が書き継ぎ、一世を風びした、熱海海岸での貫一、お宮の出逢いとなるが、この風葉の"続々金色夜叉"に塩原温泉が登場している。文章は漢文調だが、風光絶景の塩原のすべてを表している・・・・・・。「車を馳り回顧橋(みかえりばし)に三十尺の飛瀑をふむ。山中の景は始めて奇なり。これより行きて道あれば水あり、水あれば必ず橋あり、全渓にして三十橋。山あれば巌あり、巌あれば必ず滝あり、全嶺にして七十瀑。地あれば泉あり、泉あれば必ず熱あり、全村にして四十五湯。  

なお数えれば十二勝、十六名所、七不思議、誰か一々探り得べき・・・・・・。川の流れは、さながら青銅の薬研に瑠璃末を砕くに似たり・・・・・・」と。紅葉、風葉はじめ訪ねる人を感嘆させる断崖は、昔、旅人の往来を邪魔した悪天狗の住家"天狗岩"。また回顧橋はダムの湖上に長さ100m、関東随一と自慢の吊り橋となり、周辺一帯は、さわやかな森林浴の遊歩道になっている。


難を免れた、菊のご紋の格天井
数十万年前、塩原は湖の底に隠れていた。このため貝や動植物の珍しい化石が次々に見つかり化石の宝庫になっている。温泉は大網、福渡(ふくわた)、塩の湯、塩釜、畑下(はたおり)、門前、古前、中塩原、上塩原、新湯(あらゆ)、元湯と合わせて11種類あり、総称して塩原温泉と呼んでいる。最初の発見地が元湯。また門前は町の中心地、平家ゆかりの古刹妙雲寺の門前町だったことから、その名がついた。戊辰の役で会津軍が追手を防ぐため塩原の町を焼き払った。妙雲寺も火をつけられそうになったが、   本堂の格天井に菊のご紋が描かれていたため、菊のご紋を焼くことは天皇に火をつけることになる、と墨でバツ印をつけた。村人の嘆願もあって焼失を免れ、今もその墨消格天井が往時のまま残っている。このほか父の仇討をしようとしたが返り討ちにあって身を投げたという、恋物語もからんだ"小太郎ヶ渕"や"塩原の七不思議"など伝説・民話、または来遊した文人墨客の記念碑など多くの景勝史跡が点在していて、遊歩道も完備し訪ね歩きも楽しいところである。
 
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