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日本の温泉地再生への提言 [49] -第2グループ 学者・専門家・団体

健やかな老人大国での「湯治場」

青山 英康
高知女子大学学長・岡山大学名誉教授



はじめに
 国の依託を受けて組織された「温泉を活用した保健事業」に関する研究班に参加して、国内外の事情を調査して得た結果を基礎に拙見を記し、御批判を戴きたい。

現状と問題点
「ふるさと創生」事業として数多くの新しい温泉地が誕生したが、それらの全てが当初期待されたような「町おこし」に成果を挙げているとは言えないのが現状であろう。しかし、我が国には長い歴史を持つ温泉地が圧倒的に多く存在して居り、全国の市町村の約七割が温泉地を保有している。
 この温泉地を「観光地」の目玉として「町おこし」に利用しようとした試みの多くは、今日の経済不況の中で厳しい状況に追い込まれているのが現状であろう。
 国際的に他に例を見ない急速な少子・高齢社会を迎え、2025年には世界一の「老人大国」になると推測されている我が国は、「疾病構造の変化」も伴って国民の健康をめぐる背景が急速に著しく変化して居り、強い「健康指向」の高まりとともに「健康不安」を拡大している。その結果、医療費特に老人医療費は年々増大し、医療保険制度の抜本的な改革が求められるようになった。このような状況の中で、「温泉の保健事業への活用」によって、医療費の節減効果が期待されることになった。


保健・福祉事業への温泉の活用
 フランス・ドイツ・イタリアなどの欧州三カ国では「温泉療法」が「最も安全で、安価な医療」として医療保険の適用を受け、2〜3週間を公的な温泉療養施設で受療して居り、フランスでは年間の受療者が全人口の約一割にも達していると云われる。
世界的に温泉地として有名なバーデン・バーデンに例を取れば、医療として温泉療法が保険の適用を受けるためには、医師による「適用の有無」と療養中と療養後の医学的な評価がなされていなければならないが、温泉療法の内容については専門の温泉療法士が「ケア・プラン」を立てて行っている。宿泊は受療者の所得格差によって、五つ星の高級ホテルからの通院者もいれば、安い合宿所のような所を利用している者もいる。しかし、温泉地は高齢者でも安心して生活出来るように自動車の通行は大きく制限されており、豊かな自然を満喫できる公園や美術館やカジノなどの文化・娯楽施設も整備されている。一方、我が国の場合は「不採算医療」として、国立大学の温泉療法を主体とする分院の多くが整理され、僅かに地元住民の大きな支えを得ている分院だけが残されているのが現状である。にも拘わらず、これら欧州の温泉医学の専門家が「これまでの温泉医療が医学に特化し過ぎていた」との反省のもとに、かっての我が国の「湯治場」的な温泉療法に注目して、フランスではジャパン・プロジェクトが編成されていた。わが国の医療の特徴として、治療よりは診断に重きが置かれ、治療の中心が病室に収容しての検査と薬物の投与でしかないにも拘わらず、患者もこれを医療として受け入れている。したがって、温泉療法の特徴を生かしきれていないのが実態ではないだろうか。それだけに、今日の国民の健康をめぐる背景が大きく変化する中で、健康と福祉に対する要求の高まりを受けて、温泉療法を保健・福祉事業として活用する方策を検討する必要があると考えられる。とくに、国際的に他に例を見ることのできない急速な少子・高齢社会を迎えて、急速に増大する医療費の負担が社会的に重要にして緊急な課題となっているだけに「健康づくりは町づくり」、「町づくりは健康づくり」の立場からの取り組みが求められていると考えられる。
わが国の医療費の現状は、国際的な比較において、一人当たりのドル建においても対GDP比においても決して高いとは言えないにも拘わらず、平均寿命はじめ各種の保健水準を示す諸指標は非常に高い。したがって、極めて効率の良い医療が行われていることになるが、幅広い国民の満足が得られているとは言えないのも事実である。

健康政策としての地域包括ケア
 WHOが「21世紀に向けて、全ての人に健康を」(Health for all)を提唱し、そのための実践的な戦略として、“Primary health care”=「地域包括ケアとしての保健と医療と福祉の連携強化」と“Health promotion”=「住民参加による政策策定」が提示され、各国で医療費の削減を目標とした効果的で効率的な保健福祉事業の推進を“Healthy people” とか“Health for people”などの政策として公表している。わが国でも時を同じくして、三次にわたる「国民健康づくり十カ年計画」や老人保健法による保健事業の「第3・4次計画」を公表し、「健康日本21」とともに「健康増進法」も制定された。

生活習慣病対策
 結核が「国民病」と言われ、コレラや赤痢、食中毒の集団発生が国民の健康に対する最大の脅威であった時代とは異なり、無自覚のままに発病し、長い年月をかけて進行し、その間に生理的な加齢が重なってくる生活習慣病の対策としては、従来とは異なった保健・医療・福祉の方策が検討されなければ成果は期待出来ない。そのうえ、日本人の生活様式・生活習慣自体も幅広く、著しい変貌を示している中で、国民の健康問題への今日的で効果的・効率的な対応策として、温泉の活用を再検討する必要があると考えられる。

「湯治場」の戦略
 世界的に最も有名な温泉場であるバーデン・バーデンの実態を見ると、数多くの教訓を学び取ることが出来る。「湯治場」の条件は、単に「泉源」があればよいと言うものではなく、その周囲には豊かな自然が残されて居り、このことが「転地療法」としての生活習慣の改善を期待出来るし、高齢者の受け入れによる「町おこし」の効果も期待出来る。そのための文化施設としての美術館や音楽堂、カジノまでもが整備されており、厳しい交通行政によって高齢者が安心して快適な外出を楽しむことが出来るようになっていた。
「健康」との関わりで「湯治場」を考える以上、「かかりつけ医」や「保健師・栄養士」などの専門職の協力を得るのが効果的であり、効率的である。わが国でも、温泉を保健・福祉事業に活用をして医療費の節減に効果を挙げ得ている市町村では、地元の医師や保健師が温泉地に出掛けて行き、機能訓練としての温泉プールでの水中歩行やニュー・スポーツ(ゲートボールやグランドゴルフなど)施設の併設、健康講話を含めた生涯学習、給食サービス、手作りの自作品の物産直売展示店など多彩なプログラムが準備されていた。
 宿泊施設についても、「観光」目的の旅館が老人にはとても日常食としては食べきれない「豪華な食事」を競い合うよりは、長期間の逗留や通院向けに「ビュッフェ方式」への転換を求める声が強い。豪華な食事を楽しむためならば品数だけは多く、何処の旅館でも同じ品ぞろいの温泉地の旅館よりは「割烹」を選ぶであろう。このような基本的な接待の対応が「湯治場」を求めている者の利用を大きく拒んでいるとも考えられる。バーデン・バーデンでは公的な温泉施設に通院するための多様な宿泊施設があり、五つ星のホテルとともに木賃宿もあり、五つ星ホテルには専属の医師が「人間ドック」としての機能を果たしていた。
 泉質の効用についても、医学的には決して明確な根拠もない特定の病名を掲げて利用者を募るよりは、生活習慣病や健康の保持・増進、美容を目的にした方が多くの利用者を期待できるであろう。古い歴史を持つ温泉の起源の多くが、傷ついた動物や戦国時代の傷病兵の「癒しの場」としての利用である。 ヨーロッパの温泉医学の専門家が口を揃えて強調していたのは、ローマ時代からの長い歴史の中で「不老長寿」を目的とした「健康な生活」を求めての温泉利用であったことを考えれば、今日の温泉医学が「医学・医療へ特化し過ぎている」ことへの反省の言葉であった。

むすび
 「湯治場」という言葉を用いたが、これは決して「古き湯治場」へのノスタルディアではなく、今日のわが国の国民の「健康要求」に的確に対応する「町おこし」を目的にした「新しい湯治場」への転換を求めたものである。
 人生70・80年時代の「老人」が「この町で生まれ」、「この町に住んで」いて「よかった」と思い、「この町で天寿を全うしたい」と思える「町づくり」を通じての「健康づくり」を目標とすべきである。平成10年度以降は生活者に最も身近な市町村が実施主体として全ての地域保健・福祉事業の計画策定を求められるようになり、健康増進法では保険者として「最低の保険料で、最高の給付を被保険者に保障するため」の機能を強化し、国保財政基盤の強化を図ることを求めている。
 国民にとっても人生70・80年時代の「賢い生涯設計」として、温泉の活用は重大な緊急課題と考えられる。


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