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その他の研究会(過去の実績)

保養地療法の実際と効果-ストレス疾患  FORUM'90より


鈴木 仁一
東北大学医学部前教授


1.はじめに

 H.Se1yeは、stress is essentially the rate of wear and tear in the body と医学的な定義を述べている1)。直訳すれば、ストレスとは、本来は身体の疲労と消耗の程度を示す言葉であるということになるが、彼の業績の経過を追ってたどってみると、はじめはストレスとはストレッサーが生体に加わって生ずる生体の歪みの状態をさしており、生理的には大脳皮質、大脳辺縁系、自律神経及び内分泌中枢の順でストレスエネルギーが伝達し、それぞれの部位の平衡機能を乱し、その影響により自律神経内分泌機能の調和がとれなくなり、生体の機能障害をひきおこし、それが修復されずに持続すると器質的臓器の疾病に発展するという学説であることがわかる。
 ストレッサーとなるものをSelyeは最初は物理化学的刺激、微生物の侵襲に限っていたが晩年は、人間は各臓器の集合体ではなく、心をもった人格的存在であるという考え方に変わり、心理社会的な刺激で人間を不快な情況におとし入れるものもストレッサーと解釈するようになった。そのうちにストレスとストレッサーの使い分けが一般社会では曖昧になり、現在ではストレスと言うと心理社全的な不快因子をさすように変化して用いられている。
 心理社会的ストレッサーは近代社会生活中に過密に存在しており、それが原因になって生ずる疾患や、ストレスによって症状が悪化する疾患の存在が次々と明らかにされて来て、それらを一括してストレス性疾患(stress induced disease)と言われ自律神経内分泌系の調和が乱されることが原因とされている。一方、天然温泉及び温泉地のもつ疾患治癒のメカニズムは、自律神経内分泌系の平衡失調状態を回復させ、ホメオスターシス能力を賦活させることであるとの認識が一般的になっている2・3)。
 したがって、温泉及び温泉地を上手に利用することにより、ストレス性疾患の治療に役立てようという考え方が生まれてくるのは当然のことになる。著者は1960年頃よりこのような考えのもとに、主として岩手県須川温泉を利用してストレス性疾患の療養・保養にあたって来たが、今回、温泉フォーラム'90の論文依頼を機に、今迄の成績を整理し、さらに温泉保養学という学問体系をつくる序論として本論文を執筆してみることにした。

2.温泉地保養に適する病態

 近代社会の中でもわが国は経済を全てに優先させる社全構造をつくりあげてしまった。このため人間性を養う精神文化面が軽視され、人間らしく生きようという人々にとっては社会現象のすべてがストレスになっている。今年わが国を訪れたソビエトの政治家エリツィン氏は、「日本の社会は技術や産業を最優先させ、人間を最優先させない社会である」と評して帰国された。唯物論者からみてもわが国の現状は異常であったのである。このような社会を維持しさらに発展させるためには、次のような生活行動が働き盛りの国民に要求される。

1.タイプA行動人間であること。
2.24時間不休型生活を習慣化すること。
3.睡眠・休養時間を短縮すること。
4.短期増大型エネルギー摂取の食習慣。
5.人間を生産機械としかみない社会通念。

 これは永久運動をつづけさせられるストレス実験用ネズミと異ならない生活を強制されることであり、莫大なストレスにさいなまされ、遂にはSe1yeの疾患発生モデルの通りに、警告反応期としての慢性の心身の疲労、ついで回復不能の疲憊期の疾患へと発展してゆく4〕(図1)。図のA(警告反応期)またはB(抵抗期)にあたる病期に温泉地保養を行うことが予防医学的に重要になってくる。具体的には、全身倦怠感・意欲低下・休養の要求感、食欲性欲の低下・生産性及び能率低下などの自覚症状があるが、はっきりとした診断名がつけにくい病期であり、この病態が温泉地保養の第1適応群である。

図1. ストレス疾患の時相



The three phases of the general adaptation syndrome (G.A.S)
A.Alarm reaction. The body shows the changes characteristic
of the first exposure to a stressor. At the same time,its
resistance is diminished and, if the stressor is sufficiently
strong (severeburns, extremes of tempera-ture)、 death may
result.
B.Stage of resistance. Resistance ensues if continued exposure
to the stressor is compatible with adaptation. The bodily
signs characteristic of the alarm reaction have virtually
disappeared, and resistance rises above normal.
C.Stage of exhaustion. Following long-continued exposure to
the same stressor, to which the body had become adjusted,
eventually adaptation energy is exhausted. The signs of the
alarm reaction reappear, but now they are irreversible, and
the individual dies.
−H.Selye4)より引用−

 Cの疲憊期にいたると明らかな病名がつけられる。この時期の治療は、各専門医により全人的治療を病院で行うのが最初のステップである。初期治療により急性期の症状が寛解し、社会復帰の準備に入った時期が温泉地保養の第2適応群となり、その場合の治療目的は再発防止ということになる。具体的に疾患名をあげると次の如くなろう。

循環器疾患:本態性高血圧症(特に動揺性のもの)、狭心症、心筋梗塞、本態性低血圧症、ビュルゲル病、バージャ病、「神経循環無力症、心臓神経症」
消化器疾患:胃・十二指腸潰瘍、慢性胃炎、潰瘍性大腸炎、慢性肝炎、肝硬変、慢性膵炎、脂肪肝、慢性胆嚢炎、痔疾患、「過敏性腸症候群、神経性食欲不振(拒食症)、多食症、神経性嘔吐、腹部緊満症」
呼吸器疾患:気管支喘息、慢性気管支炎、「過換気症候群、神経性咳嗽」
内分泌代謝疾患:糖尿病、甲状腺疾患、副腎不全泌尿・生殖器疾患:「多尿症、頻尿症、神経因性膀胱、陰萎、卵巣機能不全」
骨・関節・筋肉疾患:慢性関節リウマチ、「腰痛症その他の筋肉痛、外傷後遺症、頸腕症候群、チック」
皮膚疾患:神経性皮膚炎、アトピー性皮膚炎、慢性蕁麻疹、慢性湿疹、「神経性かさ痒症」神経疾患:「メニエル症候群、血管性頭痛、筋緊張性頭痛、いわゆる自律神経失調症、起立性調節障害、」脳血管障害の後遺症、パーキンソン症候群、「いわゆる神経痛、いわゆるしびれ症」
産婦人科疾患:「月経困難症などの月経異常、機能性出血、不感症、外陰痛、性交痛」
精神疾患:「神経性食欲不振などの各種の食行動異常、不安神経症、ヒステリーとくに癇癪ヒステリー、強迫神経症、心気症、各種のうつ状態、アルコールなどの薬物依存、不眠症」
 以上のうち印の疾患は保養施設であっても必要なる検査を実施し急性病変の発生を察知した時は専門医療機関と連繋して加療する必要がある。「」内の疾患または病態は心理的因子の関与が大きい機能異常であるので、心身症専門家との協力治療がのぞまれる。
 第3の適応疾患群は半健康老人である。脳血管障害後遺症とか、動脈硬化性癖呆とかアルツハイマー型癖呆などで自力で日常生活ができない患者は温泉地保養施設の治療対象とはならない。このような患者群は温泉利用リハビリ施設であるとか特別養護老人ホームなどの中間施設の収容対象であり、特殊に訓練された医療専門家が活動する領域に属する。
 保養施設での治療対象となる老齢者とは、定年退職などで社会の第一線を退き、自力で日常生活が営めるが慢性の疾患を有し保養生活を数週間行って体力を養って再び家庭生活にもどれる程の軽症者に限るべきである。このような人々は老齢であってもなお生産能力を有し社会的活動ができる人々で、老齢であるため心身の疲労の回復がおそくなっている。この人々に温泉地保養をさせれば回復時間が短縮され老齢者の生産能力の再生に有用となろう。わが国は今や人類史上はじめての高齢者社会を迎え21世紀には生産年齢人口(15歳〜64歳)が扶養年齢人口(O〜14歳と65歳以上)を下回る現象が予測されている。この老齢扶養層の人々に幾分でも生産能力を分担してもらうことは社会の活性化政策につながり、将来の温泉資源活用の新しい方向づけにもなろう。
 第4の保養適応は飽食をし体力を鍛えないで、詰込主義的な勉強を強制され、そのために若年者でありながら成人病に罹患しているような心身ともに虚弱な青少年である。彼等に対しては段階的に心身の鍛練をやり、健康的なライフスタイルを身につけさせる必要があり、温泉保養地のもつ健康増進施設を活用し苛酷な社全生活に耐え得る体力気力を養成することが保養の目的となる。もちろん、施設内で人間形成のための精神的教育を行う設備もなければならない。
 以上の4群の保養適応群を選んだことは従来の温泉医療が老人を対象にして安静と入浴によるリラックス的効果を狙っていたことからすべての年齢層のいわゆる半健康人を対象とし積極的に社全の生産活力の増強へ貢献しようという方向に温泉利用の適応対象を拡大しようという発想にもとづいており、温泉医学の新しい方向づけをしたものと考える。
 蛇足であるかもしれぬが念のために前述した文中にあったタイプA行動人間という術語を解説しておく5)。1959年にM.FriedmanとR.H.Rosenmanが提唱した行動特徴で、時間の切迫感をもってせっかちで静かに考えることをせずにすぐ行動し、他人に対し攻撃性と敵意をすぐに表現し、他人はすべて自分の競争相手として扱うというマイナス面がある反面、すべてに積極的行動を好み、能率よく仕事を片付け、部下の統率力にすぐれ、しかも先見の明をもち、将来への希望を持ちつづけるというプラスの面もある人を指す。このような行動パターンは冠動脈疾患や高血圧症、一部では悪性腫瘍のリスクファクターになると行動医学では言っている。先天的性格というよりも後天的な環境と教育によるという説が多く、このような行動は経済優先、競争原理をとり入れて発展して来たわが国ではむしろ有能な人材として需要が多くなっている。

3.保養地療法の実際

 温泉法にきめられている基準の温泉があり、また厚生省の設置基準をみたすクアハウス的な健康増進施設が併設されているだけでは上記の適応対象者の保養地としては適確性を欠いている。ハード面でもソフト面でも次のような条件を備えてなければ医療の場とは言えず営利事業化してしまう。

(1)保養地の具備すべき地域的条件
 1.涌出量の豊富な天然温泉々源を有すること。
 2.保養に適した季節性気候に恵まれていること
 3.保養者の心をなごますに足る風光明眉な自然環境を有すること。
 4.極端な交通不便の僻地でないこと。
 5.いわゆる歓楽地でないこと。
 6.保養施設の経営者、従業員はもちろんのこと、地域住民が利益追求のためでなく医療のための温泉であるとの認識をもつこと。
 7.保養施設内に医療機関が併設されていること。

 水道水に人工的物質を加えた人工温泉や循環方式の浴槽を用いていないことは温泉の医学的効果の点から当然の条件である。気候の季節性とは夏期に爽快な気候で避暑に適するが冬期は厳寒のため使用できぬとか、冬期は温暖で夏期は酷暑の地であっても各季節毎の利用が出来ればよいということであり、一年中良好な気候に恵まれていなければならないということではない。自然が豊かに残っている温泉という意味の秘湯という言葉があるがあまりにも山間僻地で交通不便なところは一時的な休養地としてはよいが保養には適さない。しかし温泉街があるだけで、森林浴とか自然の中での学習散策などをやれる環境をもっていない土地も保養地とは言えない。もちろん風俗営業の盛んな歓楽地は却って保養者の心身の不健康をまねいてしまう。

(2)収容施設の具備すべき条件
 1.宿泊室はプライバシィの守れる個室を原則とし、食堂、休憩室などは他人との交流を深めるため共同利用室とする。
 2.温泉浴室は温泉浴による治療用浴室と健康増進目的のためのプールなどの運動用浴室の両者を別にしてあること、治療用浴構には水温を治療目的に適合するように変えられる設備があること。
 3.多目的に利用できる体育館をもっていること。
 4.心理社会的ストレスを解消し且つ防止するための静坐室し(坐禅堂の如きもの)、視聴覚教育室(音楽室の如きもの)、作業療法室、喫茶室兼用談話室、図書室などが夫々独立してあることがのぞましいが、これらが時間と目的に応じて兼用できるものでよい。
 5.食堂は共同であり疾患に応じた治療食が、患者の嗜好に合わせて供給できるようになっていること。
 6.少なくとも家庭医機能を十分に果たせるだけの医療設備を有する診療所が併設され24時間診療態勢がとれるようになっていること。

(3)診療スタッフの質と量の条件
 1.診療を統括する責任者は温泉認定医の資格を有する内科認定医であること。この下にほぼ同等の能力を有する常勤医がいることがのぞましい。出来れば認定医養成施設として温泉気候物理医学会の指定をうけていること。
 2.医師の他に次の職種の医療スタッフが常勤していること。看護婦及び保健婦、薬剤師、レントゲン技師を含む検査技師。温泉療法士、管理栄養士、心理療法士、事務職員など最低10名の有資格者を必要とする。これらのスタッフは温泉療法についての十分な教育をうけていることがのぞましい。

(4)治療法の実際
 1.心理療法を併用したライフスタイルの指導6)
 温泉保養療法の根幹をなすのは生活指導であり、その主なる目的は規則正しい日課に従った生活のやり方を身につけさせることである。現代社会生活の歪みがストレスを生む最大の要因であるから、社会復帰しても一般の風潮に流されずに規則的生活を送れるように訓練するのである。そのためには人体は緊張と弛緩の日内リズムで機能しているという原理にもとづいた日課に従って生活させる。具体的には、早寝早起き、完全栄養摂取、肉体的及び知的作業、運動、休養、内省時間を上述の4つの適応対象毎に、しかも各個人の社全生活の特性を配慮して組み合わせた1日または1週のスケジュールをつくって実行させる。この際に保養者の自由意志にまかせると怠けることが多いので、報酬と罰則を有する行動療法的な指導をしなければならない。その1例として、表1に著者が東北大学心療内科在任中に行った須川温泉療養の生活日課を参考までに示しておく7)。



 この表にある運動は森林浴、登山、高原の散策、火口湖のボート遊びなどであるが、必ず“楽しく、みんなで仲良くやれる"ように配慮してあり、いわゆる鍛練ではない。治療対象の多くが器質的疾患を有する中高年者層であるためである。しかし、器質的疾患のない人や、若年者層が対象である場合には、運動医学に基づいた運動処方を与えトレーニングすることがのぞましい。毎日一定の時間に理学的診察をすることをぬかしてはならず、その際に必要ならば機器を用いた生理的検査や血液化学的検査を実施する。理学的診察は医師と患者のコミニケーションをつける最良の手段である。その際に打ちとけた会話を交えながら診察を行うとさらによい人間関係が生ずる。運動や作業や食事は収容者全員が集団で行うのがよい。from patient to patient という言葉があるが、集団生活の中で他人との交流と協力を円滑に保つコツを学ぷことはストレス回避の訓練として極めて有用である。たとえば生活習慣として保健上有害な喫煙とか間食とか清涼飲料やドリンク剤の過剰摂取とかは共同生活上やむを得ずやめねばならず、偏食も矯正せざるを得なくなる。さらに自己中心的な行動は他の人々に嫌われることも自覚でき未熟性格の修正に役立つことになる。
 健康的なライフスタイルを築く根本は各人が正しい人生観、すなわち生活の規範となるべき道徳律を確立する点にある。このためには人類の教師といわれている人々の教えを学ぶ以外に方法はない。しかもわれわれ日本人の道徳律は佛教と儒教の両者に依存している。したがって機会あるごとにこれらを学べるような図書を揃えておくとか、指導者の講話を聞くとか、相互に討論をするなどの時間を十分にとるような生活日課となすべきである。この目的のために施設の中に静坐室や懇談室を設けてあるのである。しかし、人にはそれぞれプライバシイがあり、他人には知られたくないが誰かに聞いてもらい出来れば行動の指示をしてもらいたいという希望をもっているのがストレス性疾患々者の常である。このための手段はカウンセリングが最良であり、これには担当医や熟練した心理療法士があたるとよい。その他のいわゆる心理療法8)(バイオフィードバック、自律訓練、行動療法交流分析法、簡易精神療法など)はすべてカウンセリングの補助的役割を果たす治療手段である。

 2.入浴、飲泉の指導と問題点
 温泉療法医養成講習会で学んだ入浴指導を行うのであるが、特に注意すべきは各個人今疾患の差異を配慮して入浴回数、入浴時間、浴槽の選択を指導することで、画一的であってはならない。わが国で現在流行しているクアハウスにある多種多様の浴槽をすべての保養患者に画一的入浴をさせることは適当ではない。著者は年齢以上の体力をもっていると自負しているが、あるクアハウスですべての浴槽を、各浴槽の傍に記されている時間通りに巡り入浴をしたら約90分浴室に滞在することになり、甚だしい疲労感が生じ、その回復に2日間を要したという笑えない体験をもっている。ましてや疾患をもっている人に対しての入浴指示はもっと慎重でなければクアハウスが逆に健康を損なうことにつながりかねない。このようなことをさけるために温泉療法開始前の入念な身体検査を怠ってはいけないし、その検査値に基づいて科学的な入浴処方を出すべきであり、まして常勤の温泉療法医のいないクアハウスで病者を保養させることは危険であると厳しく警告しておきたい。
 温泉治療法とは温泉に入浴することが主体であるにもかかわらず、わが国においては未だ疾患別の入浴基準が科学的データをもとにしてつくられてはいない。泉温、泉質と入浴時間、入浴回数、滞在日数との関連から決めた入浴基準は、草津温泉の時間湯の如く伝承と経験からのものはあっても生体機能の変動を目安にした科学的基準はみあたらない。この点が温泉医学の盲点のひとつであり今後明らかにしてゆくべき研究方向でもあろう。しかし、現状ではやはり毎朝入浴前に理学的診察をし問診で湯あたりによる疲労度などの泉浴反応としての自覚症状を確かめ、さらに血圧・心拍数・体温などの一般的所見から入浴回数・時間を処方することになる。医学的研究の成果を応用した入浴処方のマニエルを早くつくることが今後の課題である。
 飲泉についても同様である。わが国にも古来飲泉療法は存在していたが全身浴よりは普及せず、わずかに浴場の注湯口にコップが置いてある程度の温泉が大部分であり、温泉街の中に薬師如来像をおき、そのかたわらにひしゃくをおいて適宜飲泉するという素朴な風習が残っているところはある。しかるに最近は欧州の先進温泉地にならって館内に飲泉場をもつ温泉ホテル、旅館をみうけることが多くなった。形だけはととのって来たが、欧州の如く医師の処方箋にもとづいて飲泉量を規定して飲泉させている所は実に少ない。これも泉浴と同様に科学的データが少なく、成分が濃く味がまずい温泉は数倍にうすめて飲むこと位の注意書がわずかにみられるだけである。やはり泉質と疾患別の観点から科学的データ、に基づいた飲泉基準を各温泉毎に定めるべきであろう。伝承に従って温泉水を大きな容器に入れて自宅へ持ち帰り長期間飲みつづけるのを黙認したり、あるいは特別容器につめて販売している業者が少なくないことは一考を要する問題である。早晩学会としてプロジェクトチームをつくって検討すべき課題と思われる。その際には効果を判定する生理的指標を一定にしておく必要があろうし、一般薬剤の効果判定の如く二重盲検法の応用も考えねばなるまい。

3.併用する薬物療法の注意
 前述した適応対象の2及び3の群の多くは医師により薬物を投与されている。保養地療法を行っているうちに、それらの薬物の効果が過度にあらわれたり、副作用が増強するということはよくある現象である。たとえば血圧降下剤が効きすぎて低血圧による失神状態になったり、内服糖尿病薬で低血糖発作をおこす例は少なくない。したがって、ここにも毎日の診察の必要性があり、患者が持薬として持っている薬剤をよく調べて温泉保養効果との相乗による副作用の発現を防止せねばならない。もっとも温泉保養の効果を過大に評価し現在服用中の薬剤をすべて中止させるような愚挙は厳に慎まねばならない。

4.温泉保養地療法の効果

 保養地に滞在し必要な医療をうけて効果があったという状態を客観的に評価するにはいかなる指標を用いるかが大きな問題である。
 保養の目的は社会に復帰して十分に活躍できるように体調を整備することである。それを評価するには生理的面と心理的面の両面から検討しなければならない。また、短期的な温泉入浴前後の生理的心理的指標の変動のデータで評価するわけにはゆかない。長期間保養地に滞在するのであるから、その効果は温泉、気候、ライフスタイル、運動など多くの因子によってつくられるものである。従来のわが国の温泉医学のデータは主として温泉水の効果をみたものであるため、引用資料としては適確性にかける。わずかに東北大学心療内科の7日間から10日間、須川高原温泉に滞在して保養療法を受けた症例のデータがあるだけである9・10・11〕。それとても不完全なものであるが、今回は止むを得ずそれを用いて推論してみることにする。

(1)生理的な面の効果
 人体がストレスの侵襲に遭遇すると、交感神経系を興奮させて血圧、心拍数を増加させ筋肉を緊張し、防衛ホルモンを増産してストレスに対抗する。侵襲がやめば副交感神経が興奮して、血圧、心拍数、筋緊張を復原し、消費したホルモンを補給して次のストレスに備える。したがって保養によりストレスに対抗する力が体内に蓄積されたか否かをみるためには、自律神経系と内分泌系が平衡状態にもどったかどうかを検査するのが合理的である。自律神経のうち交感神経の直接活動指標としてはアドレナリン、ノルアドレナリンの血中濃度を選び、副交感神経の直接指標としてはアセチルコリンの血中濃度を選ぷのが妥当なところであろう。しかし現在の検査技術ではアドレナリン、ノルアドレナリンの血中濃度は定量できるがアセチルコリンを定量する良い手段はないので不完全な間接的指標であるがCVR-Rを用いるよりほかにない。
 須川高原温泉滞在10日間の血漿中のアドレナリン、ノルアドレナリンの変動を測定したが、アドレナリンの変動の巾は小さく意味づけが困難であった。ノルアドレナリンの変動は図2にしめしたような成績であった。対象は成人男子8例で、保養開始前値は40〜100pg/m1の範囲に集中していたが、保養5日目になると前値より上昇したのが3例、下降したのが5例と不定の変動をしめした。ところが10日目になると上昇例は全例下降し、下降例中1例を除いて上昇し、前値に復そうとする傾向がみられた。温泉浴をはじめとする治療要因が刺激となって変動をおこしたがその後には変動が鎮静する方向に交感神経機能が働く傾向がうかがわれたと解釈できる。平衡状態を保とうとするホメオスターシスが働いているものと思われる。一方、CVR-Rの変動をみると対象例数は29例であるが、保養開始と終了時の間では図3にしめすようにほとんど変動がなく、副交換神経機能が亢進するであろうという予想はCVR-Rでみる限りは証明されなかった。



 次にストレスに対する防衛ホルモンであるコーチゾルの変動を示したのが図4である。前値が上昇している例はストレス防御活動をさかんに行っている例であろうし、正常値以下になっている例は防御活動でホルモンが消費されて低値になっているものと考えられる。しかし、滞在5日目では高値例は下降しはじめ低値例は上昇し出し、10日目にいたっては正常範囲内に収斂して来ている。このこともノルアドレナリン値の変動と同様に平衡状態に復原しようとする機能の発現とみることができよう。
 このような平衡復帰能力が、保養をせずに普通の入院をさせた群と比較し大であれば、保養の効果があったと言えるのであるが、その後の継続実験が行われていないので現在の所では適確な評価をなし得ない。
 阿岸12)は糖尿者例のcyc1icAMPとGMPの変動から温泉治療は交感神経緊張状態から副交感神経優位の状態にする作用があると述べているが、これは温泉病院の入院例の成績なので保養地療法の効果にすぐにあてはめることはできないが重要な参考資料であろう。

(2)心理社会的ストレスの面の効果
 温泉利用保養地療法が患者のもつストレスによる疲労感、うつ状態、焦燥感などの除去に有効なことは次のような理由から推察される。
 1.一般社会から隔離された解放感
 2.森林地帯にある保養地ではフィットンチットによる爽快感
 3.温泉浴による身体の弛緩感覚
 4.各種心理療法の効果
 5.共同生活による協調性の強化
 6.指導医による人生の価値観の修正
 7.体力の回復にもとづく健康感の認識
 8.職場や家庭以外の親しい人間関係獲得このようなことが人生観や社会観を変えるのに有益にはたらいていると思う。しかしこれを客観的方法で数字として出すのは極めて難しい。質問紙による心理テストで試みてみたことがあるが、質問紙法という手段には慣れの現象があるし被験者が自分をよくみせようとする心理をはたらかせて回答するので信頼度がうすくなる。直接的なインタビューによるのがもっともよいのだが、1人30分以上もかかるという時間的制約があり未だ実施するにいたっていない。結局は、保養療法をうけた後のアンケート調査により、疾病自体の遠隔成績から類推することになろう。

(3)遠隔成続による治療効果の検討
 古いデータであるが東北大学心療内科が1968年に須川高原温泉で行ったストレス性消化器疾患の保養地治療の5ヵ月後の遠隔成績を表2にしめしてみる。13)アンケートを発送した症例は56例であるが、回答して来たのは46例(82.1%)という高い回答率であった。この調査は上述のような生活指導を行った特殊療養群(A)と、自由に湯治生活をさせた群(B)との比較を行っている。その結果症状が消失して医療をうけないで生活している著効例はA群55%、B群26.8%で、著しい差を示しており、医師による保養地での心身両面の生活指導がいかに有用であるかを示唆している。
 また1983年に行ったストレス性疾患16例の6ヵ月後の遠隔成績9)で、ストレスがあっても疲労感を覚えないようになったと回答して来た者が10例もあった。やはり保養地療法の有用性の証明と言うことができよう。

5.まとめ

 本論文は学問的原著ではなく、健康と温泉フォーラム記念誌に掲載するものであるため、啓蒙的でしかも実地に役立つように記述した。まず、ストレス性疾患をSe1yeの汎適応症候群学説を引用して説明し、そのような疾患が多く発症するわが国の社会の実情にふれ、温泉保養地での生活療法の適応となる病態を選択した。その上で、治療法の実際について、地域、人的資源、ハード面での施設などで保養地として必要な具備すべき条件をあげ、そこで行われる治療は生活指導によるライフスタイルの修正が主眼であると述べた。その具体的な手法についても少し触れておいた。保養地療法の効果についてはわが国の発表文献が少なく、さりとて気候地勢のことなる欧州先進国の保養方法はわが国にそのままとり入れられないので、著者の長年の仕事であった須川高原温泉での保養データをもとにして解説した。
 わが国は今や世界一の長寿国、世界一の経済大国になり、医療としての保養学が必要になって来たにもかかわらず、満足すべき保養学の体系がつくられていない。これはわれわれ温泉医療にたずさわる職種のすべての人々が今後つくりあげる責任のある課題である。幸い、健康と温泉フォーラムが刺激となり温泉地医療の研究が盛んになろうとしている。杉田玄白は、医ハ自然二如カズと喝破しているし、道ハ自然二法ルという老子の言もある。自然にしたがって天から与えられた生命の充実をはかるのが正しい医学であると信ずる。温泉保養医学は今こそ最も必要とされる学問であると思う。医師だけでなく温泉に関連する職種のすべての人々の御協力を切望するものである。


文献
1)H.Selye.The Stress of Life McGraw-Hill Book Co. NewYork,1956.
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3)杉山尚:温泉治療学総論、温泉医学一教育研修会講義録一・日本温泉気候物理医学会編・暫・1990
4)H.Selye:Stress without Distress, Signet Book New American
Library, Lippincott and Crowell Publishers, NewYork,1974,
5)M.Friedman & R.H.Rosenman:TypeA Behavior and your Heart=
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7)東北大学心療内科:雪やりこけし第7集、35.1984
8)五島雄一郎、後藤由夫、鈴木仁一編心身症の新しい診断と治療一心身医学研修ハンドブック−、医薬ジャーナル社、大阪、1987.
9)鈴木仁一:脱ストレスのための温泉療法、日温気物医誌47(1)、38.1983.
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13)鈴木仁一:胃腸系心身症に対する温泉療法の治癒機転、精身誌8(4)、236.1968.



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