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駿河酔太郎よもやま話 バスルーム





[昭和20年・夏の「産湯」]


昭和20年8月15日、第二次世界大戦が終戦となった。
太陽が白く輝く暑い一日だった。
終戦を伝える玉音放送は雑音が多く聞き取りにくかった。
何かたいへんなことが起こったと誰もが感じた。
父は二回目の召集令状を受け取る直前だった。
母は大きなお腹をかかえて田の草をとっていた。

2週間後の8月29日、朝7時半、静岡県の田舎で男の子が誕生し「産湯」をつかった。
目方は720匁であった。
両親は長男の誕生をたいそう喜び、物のない時代ではあったがもち米をかき集め近所にお祝いの赤飯を配った。
近所に住む老人が言った。
「毎日、ひもじい思いをしていたあの時代、いただいた赤飯の味はうみゃあっけなぁ、一生忘れんで」

おおげさに言えばその男の子はまさに現代日本の幕開けとともに生まれた。
わずか2週間ではあったが戦後生まれとなった。
同級生の数は少なかった。

毎年8月になると戦後○年という行事がおこなわれニュースがながれた。
成長した男は自分の年齢を決して忘れることはなかった。
昭和20年8月の暑さと終戦と赤飯の赤色は男のDNAに組み込まれた。
夏がくるたびにその時を覚えているような気がしていた。
今年、男は59歳になった。


(暑い昼下がり・静岡にて)
バスルーム


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