NPO法人健康と温泉フォーラムは医療、環境、施設等、温泉保養地に関わるあらゆる分野における専門家を中心とした団体です。
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磐梯熱海温泉 ばんだいあたみおんせん

胃腸病 皮膚病 神経痛 筋肉痛 関節痛 冷え症 病後疲労回復 関節のこわばり 運動マヒのリハビリ

<所在地>郡山市熱海町熱海
<交通>JR東北本線郡山から磐越西線熱海(快速14分)下車1km
<泉質>アルカリ性単純泉

温泉療法医がすすめる温泉 吉田赳夫
(郡山市財団法人太田綜合病院理事(前院長)/神経内科/医学博士)

 

磐梯会津ル−トの入口活性化求めたユラックス
これから"みちのく"・・・・・・と書かれた東北道白河での看板を見て約30分。汐風の吹かないミナトとして発展の一途をひた走るマチ郡山に着く。つい近年まで人口10万人の東北の一都市だったが、町村合併で20万。そして今31万人、県都を抜いて県内では、いわき市に次ぐ都市に姿を変えている。磐梯吾妻、安達太良、会津、   新潟、日本海へと巾広く奥深い観光ル−トの要にあり、その玄関座敷が磐梯熱海温泉。便利な地の利の温泉を生かして市では観光の基地から「健康づくりの里」にしようと、温泉をはじめ多目的ホ−ルを備えた"ユラックス熱海"を建てた。開業僅か半年で利用者は20万人を越え、これからの温泉地の1つのあり方を示している。

ものは使いよう。要は“心”だよ
約800年前、京に住む公卿の娘、萩姫が重い病にかかった。苦しみを見かねた侍女が、わが身に代えても・・・・・・と比叡山にこもって願がけした。満願の夜、夢枕に立った不動明王から「都の東北方、数えて500本目の川に霊泉あり、それに浸れば全快するとのお告げをうけた。侍女は病気の姫を抱えて旅立った。淀川から丁度500本目、お告げ通り川辺に湯煙り登る泉があった・・・・・・。」というのが磐梯熱海温泉の由来。海がないのに、なぜ熱海?こんな疑問を交えて、郡山太田綜合病院前院長、吉田赳夫先生に話を聞いた。
頼朝の奥州征伐後、この地方を治めた領主が出身地伊豆を偲んで名付けたものだそうだ。ふる里を思う気持ちは、誰でもいつの世でも変わらない。
  また萩姫物語も、それを支えた脇役がいて引き立つ。このことは会社経営にも、病気と医者にも、すべてのことに相通じる。泉質はアルカリ性単純泉で、肌ざわりもおだやかな湯。神経性の病気や胃腸病、病後の回復などによい。アルカリ性なので、湯治などすれば皮膚角質を軟らかくし、肌がなめらかになる効果もある。それに萩姫伝説が加わって美人の湯と言っている。美人の定義は何かと言われると困るが、要は"心がけ"。人も温泉も"使いよう"だ。

子供の夢拡がる“青い窓
名物にうまいものなし・・・・・・の諺をひっくり返す名物がここにあった。それも"心"が。嘉永5年創業というから140年の老舗、柏屋の薄皮まんじゅう。辛党でも、これだけは例外と手が出る味である。饅頭の出生地は中国、それを日本に伝えたのが林浄因(りんじょういん)という中国の人で、饅頭の神様として奈良に神社が。その分神を柏屋が祀っている。毎月第3日曜日を、饅頭の日と決め神社を囲んで、誰でも手作りまんじゅうを楽しむことが出来る。かつては商店が並んだ町が、そっくり子供達の遊び場だった。陣とりゴッコや、かくれんぼなど、交通戦争と言われる今日では考えられない、和やかなものがあった。遊び場を失った子供達に、せめてこれだけでも残してやりたい・・・・・・と提供したのが、柏屋のウインド−。その名も"青い窓"と名付けられている。
青い窓は、子供達の胸ふくらむ夢や、願い事など書いた詩で飾っている。
  はじめは市内の学校、それが県内、県外に輪が拡がり間もなく35周年を迎える。「私のお母さんは、バラの花だった。あっ、バラが帰って来た。トゲも一緒に・・・・・・。」青い窓を飾った作品の1つである。応募作品が入選したことがきっかけで、学校の先生になった人もいる。心のやさしい、素敵な先生・・・・・・と慕われている。心なごむ、美しいものでは須賀川の牡丹園、根を薬用にするため栽培したのが、始まりという。広い園内には290種、4,000株の大輪がケンを競う。また元禄文化の夢を秘めた張子人形や三春駒など民芸品のふる里はデコ屋敷と呼ばれるところ。和紙を何枚も何枚も重ね合わせて作る素朴な味わいのデコ人形は数百種もあり、その木型は県の重要文化財。幸せを求める庶民の祈りや願いをこめる人形は、今も300年の伝統を忠実に守って受け継いでいる。
 
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