NPO法人健康と温泉フォーラムは医療、環境、施設等、温泉保養地に関わるあらゆる分野における専門家を中心とした団体です。
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折温温泉 ひじおりおんせん

切傷、やけど、皮膚病、火傷皮膚病、婦人病、術後回復、婦人病術後回復など

<所在地>山形県最上郡大蔵村肘折
<交通>JR奥羽本線同陸羽東西線新圧駅からバス1時間15分
<泉質>ナトリウム塩化物・炭酸水素塩泉(含重曹食塩泉)

温泉療法医がすすめる温泉 片桐進
(山形県衛生研究所所長/基礎医学 微生物学/医学博士)

神々が住む山を仰ぐ朝市が名物の湯治場。
「ばっちゃん、良くなっていがったのう」、「痛くなくなったさげ、あした帰る。お土産いっぺ持っていぐさげ、もって来てけろ」、「ンだが、解かった」夜明けが開店時間の肘折名物朝市での会話。3週間の湯治を終えて、元気になった、おばあちゃん、明日帰る。みんなにお土産もっていかなければならないから、一杯持って来てくれ・・・というもの。道路にビニ−ルと新聞紙を敷いただけの店。   客がどこから来た人かで、売り手は何が一番の土産か、とうに心得ている。6時過ぎには、車が動き出すので1時間余りで店閉まいとなる。春は旬の山菜、生きたマムシも売っている。このごろは煎じ薬「げんのしょうこ」、ガンの予防薬と言われる「さるのこしかけ」など漢方薬草に人気が出て来たという。

湯垢離の霊湯ではずむ会話
肘折は、白き神々の座、出羽三山、作物の神の葉山を望む山峡のいで湯。宝永6年(1709年)の記録に「肘折口からの月山(出羽三山の主峰)参詣者は13日間で12,000余人、僅か1日で1,300人という日もあった・・・」とある。1,300人といえば、今の温泉収容客数に相当するもの。出羽三山信仰と強く結びついていた様子が・・・。お参りを前に"さんげさんげ六根罪障"を唱えて、湯垢離(ゆごうり)をとる集団。片やお参りを無事済ませ、地酒をくみ交わして精進落としに意気上がる人たち。宿は超満員の、すし詰めでごった返しだったろう賑わいぶりが伺われる。三山信仰の基地だったこと、また温泉発見の由来から"霊場"と呼ばれ、江戸時代以降は農家の人たちが農作業に一区切りついた、田植え後の"早苗振(さなぶり)"、収穫を終えた"土洗い"など骨休めの湯治として、年間の生活リズムの中に半ば習慣的に取り込んできた。生活は生命活動の略語、即ち生活は命を大事にする"健康"のこと。また孫を連れての湯治は一家団らん、家族とのコミュニケ−ション。   これを習慣として取り込んで来た先人の知恵はただ驚くばかり・・・。
近年、農作業はすべて機械化されているが、穀倉庄内地方には今なお根強く湯治の風習が続いている。泉質は、ナトリウム塩化物炭酸水素塩泉。俗にいう含重曹食塩泉で、神経痛、軽い心臓病、切傷、火傷などに効用がある。重曹を含んだ炭酸泉で、正式にはまだ許可されていないが、飲んで胃腸によい。肘折という名前の通り術後の静養にはもってこいの処。歴史のある温泉だけに伝説、民話も豊富。見知らぬ者同志が、お茶に呼んだり、呼ばれたりで会話のはずむ素朴なふれあいは肘折ならではのものでなかろうか・・・・・・と、県衛生研究所長の片桐進先生は語ってくれた。

名付け親は権現さま、の伝説
昔、豊後の国(大分県)から月山詣に来た旅人が、この地で道に迷った。そばを流れる銅山川に布切れが流れているのを見つけ、上流に人が住んでいると、川沿いを歩いた。山にさしかかったとき1人の老僧に出会った。老僧は「わしは地蔵権現である。岩から落ちて肘を折り苦しんだが、この沢に湧き出る湯につかったところ傷は治った。願わくば、この地に住み病苦に悩む人々を救ってくれ・・・・・・」と言って立ち去った。旅人は老僧の言葉に従った。老僧が住んでいたというところが地蔵倉。また老僧の話をとって温泉を肘折と名付けた。大同2年(807年)の大昔からの開湯伝説である。   その地蔵倉は、切り立つ絶壁の奇岩の中にあった。微笑みをたたえ心なごむ表情のお地蔵さんが並んでいた。岩には無数の穴があいていて、いつからかこの穴を縁結びの穴と呼び、良縁にご縁がありますように・・・・・・と岩に5円玉を結んで、5円(ご縁)の花を咲かせていた。地蔵倉の正面には万年雪を頂いた霊峰月山が・・・・・・その眺めは、すばらしいの一語である。この伝説に出た銅山川は月山を源にした渓流で、水面に映える秋の紅葉は圧巻という。その渓流小松渕には、大蛇退治の伝説もある。
 
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