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伊香保温泉 いかほおんせん

飲用=鉄欠乏性貧血 通風慢性便秘
浴用=不妊症婦人病リウマチ性疾患 高血圧症動脈硬化症 創傷

<所在地>群馬県北群馬郡伊香保町
<交通>上越線渋川駅よりバスで30分
<泉質>カルシウム-硫酸塩酸

温泉療法医がすすめる温泉 木暮金太夫
(日本温泉協会常務副会長 日本温泉協会学術部委員 群馬県温泉協会会長)

新しい息吹が伝統的。温泉情緒にとけこむ町、伊香保。

 万葉の昔から名高い"石段の湯の町"
上州三山の一つとして信仰を集めた榛名山の北東の中腹、標高700mに伊香保温泉がある。伊香保は万葉集に詠まれているように、古来から名湯として名高い温泉である。もともと温泉宿は沢筋に湧き出る源泉近くにあったが、天正3年、長篠の合戦の後、武田方は数多くの戦傷者を収容するために、より広い現在の地所に湯宿の移転を命じた。この移転によって伊香保温泉街の原型が誕生した。源泉から伊香保神社の石段下の温泉街までは約1kmほどある。長距離の引湯を可能とするためには、高い導管技術と伊香保の土豪達の協力が不可欠である。このため木製の導管で引湯し、一定の湯量を10数軒の湯宿に配分する分湯技術が生まれた。また、代々この引湯権は、これら土豪達の子孫に引き継がれて行く。伊香保独自のこのシステムはこま口制度と呼ばれている。

江戸時代には榛名詣が盛んになる。榛名山には満々と水をたたえた伊香保沼(榛名湖)があり、雨乞いの神として知られた榛名神社がある。また養蚕に関係する商人にも神恩があるとされ、あらゆる人々の願いを叶えてくれる神であった。江戸時代ではこうした信仰から発した旅が、名所、名物見物の旅を流行させ、享和3年には『上州榛名詣』という旅行案内書が出版される。むろん榛名詣の魅力の一つに、伊香保の湯が関与していたことは間違いない。

明治に入ると、湯治場として名所、名物観光地として発展した伊香保に、ヨ−ロッパの温泉地療養が導入される。ドイツ医学導入のために日本政府の招聘により来日したドイツ人医師ベルツは、上州をはじめ日本各地の温泉を視察し、明治13年に温泉地として必要な改善策を述べた建白書を政府に提出した。これが日本の温泉地療養学の原典とも言うべき『日本鉱泉論』である。この中でベルツはいかにして気候療法、飲泉療法、浴泉療法の三つを適切に利用すべきかを述べ、伊香保温泉を例として改善すべき点を具体的に指摘している。ベルツによれば、伊香保は温泉、気候、空気、眺望など自然資源・自然環境は良好であるにもかかわらず、不清潔、道路の狭さ、導水管の悪さ、下水道・消火設備、浴室の不備、医師の不在など都市計画や社会環境の問題があるとした。

 

伊香保ではベルツの提案に基づき、その後各種の改善を行っている。浴療法施設については、明治17年子宮病患者治療のため鯨噴浴装置と寝風呂をもつ施設を設けた。また、飲泉の実施、湯元道路の改良などを行っている。明治18年には温泉全般の改良取締りを行う改良取締所を設け、以降この組織内に浴医局を置いた。浴医局は公衆衛生に関する指導、治療法の指示、気象医学の研究などを実践した。この温泉運営組織はドイツの温泉保養地と同様のものであったが、取締所が現在の観光協会に移行したことにより廃止された。

ベルツの影響は地元の有力者にも及んでいる。明治末期には、木暮武太夫(武禄)により日本で最初のクアパ−ク(保養公園)が作られている。この公園は、武太夫所有の森林8,000坪に3,000坪の運動場と東屋、池などが配置された庭園で八千代公園と呼ばれ、湯治客に公開された。残念ながら、この公園は戦争中の森林の伐採、時流の変化によってその機能を失ってしまった。しかし伊香保温泉ではベルツ以降、温泉地療法に関する研究は発展し戦後に至るまで、東大医学部物療内科で医事効能が研究されてきた。このように、伊香保ではすでに明治末からヨ−ロッパで見られる理想的な温泉保養地づくりに向けて、クアパ−ク、道路などの環境整備、温泉治療施設の整備、温泉組織の設立・運営などが行われていたことは特筆される。

戦後の伊香保は行楽観光地として発展し、内湯をもつホテルの大規模化が図られ、温泉療養地としての色彩は薄れてきた。近年になって、源泉地の再整備、スポ−ツ施設、森林公園の整備、石段など街並の改善などが行われ、またベルツの湯(私設温泉館)、石段の湯(公衆浴場)などが設けられ、温泉保養地・伊香保に転じつつある。


飲泉では利尿作用があり、通風に効果的
現在、伊香保で主として利用されている源泉は昭和30年から掘削された5本の源泉である。これらはすべて石膏泉で泉温は若干異なるが約45度。自然湧出とポンプアップを含め、毎分5,400リットルの湧出量である。これらの源泉は1ケ所に集められた後、引湯されているが、この他古くからある2つの源泉が湧出量の増減の操作場として使用されている。源泉及び源泉地は、こま口権者から伊香保町温泉観光協会の管理に委ねられている。  

伊香保は「子宝の湯」として知られているが、戦前、戦後にその医学的研究が行われた。飲泉では利尿作用があり、尿酸代謝に対して有効に作用し、通風に効果がある。鉄分を含むために貧血によいとされている。また慢性便秘にもよい。浴用ではホルモン作用、抗アレルギ−作用を促進することが確認され、婦人病、アレルギ−性疾患に効果があると言われる。


ドイツの温泉館を模した“ベルツの湯”
伊香保は、温泉旅館を含め旅館数67軒、宿泊定員12,000人で、年間の入込客数は160万を越える。温泉施設は旅館の内湯がほとんどであるが、源泉地に露天風呂、町中央の石段沿いに町営の温泉浴場、町周辺に私営のベルツの湯がある。露天風呂は温泉観光協会が管理、運営をしている施設で、年間6万人以上もの利用者がある。町営の温泉浴場は、日帰りの行楽客向けに昭和57年に建設された施設で、浴場と休憩室が完備されている。ベルツの湯は昭和60年に(株)金太夫により設けられたもので、ドイツの温泉館を模した大規模な温泉施設である。   この温泉施設には天然温泉浴、寝湯、打たせ湯、かぶり湯、圧注浴、鯨噴浴、サウナ、クナイプ浴、露天風呂からなる浴場と飲泉所、温泉療養相談所、マッサ−ジ室、休憩室、レストランなどの諸施設がある。野外にはテニス、ゲ−トボ−ル場なども備えられており、また長期滞在が可能な宿泊施設の整備を予定しているとのこと。今後、本格的な温泉保養施設としての充実が期待される。なお、温泉施設に隣接して、日本温泉資料館があり、日本各地の温泉の歴史に関連する資料や世界の飲泉カップなどの貴重なコレクションが収蔵陳列されている。
 
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