NPO法人健康と温泉フォーラムは医療、環境、施設等、温泉保養地に関わるあらゆる分野における専門家を中心とした団体です。
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伊豆長岡・古奈温泉 いずながおか・こなおんせん

胃腸病 皮膚病 リウマチ 筋肉痛 神経麻痺など

<所在地>静岡県田方郡伊豆長岡町古奈
<交通>JR東海道本線三島駅から伊豆箱根鉄道で伊豆長岡駅下車、バス10分。JR沼津駅から直通バス35分
<泉質>弱アルカリ性単純泉

温泉療法医がすすめる温泉 田口達雄
(古奈温泉クリニック院長/内科 小児科 理学療法士/医学博士)

もっといい旅、ちょっといい旅見〜つけた。
修善寺は、弘法大師が親に孝養つくす子供の姿に心を打たれて、温泉を見つけてやったという"独鈷(とっこ)の湯"の伝説は、あまりにも有名だが、大師が修善寺に移る前、弘仁元年(810年)住んでいたところが、お隣り伊豆長岡古奈温泉の西琳寺。そのお寺の入口に書かれた「人間の都合などでは降らぬ雨」に、足が釘づけされた。干天の慈雨、またときとして災害をもたらす   豪雨もある。その雨のほとんどは川となって流れ、中には気が遠くなるような歳月をかけて、岩盤深く浸み込み、地下のマグマの水蒸気と共に色々な成分と交じり合って再び地上に湧き出てくる。これが温泉。「人間の都合のいいように、というのは一番大事な健康のために・・・・・・ということ。そうじゃないですか」と、語ってくれたのは古奈温泉クリニック院長の田口達雄先生である。

源氏絵巻のマチから、アイデア商品
伊豆長岡はドラマチックな歴史のマチである。その昔、伊豆はときの政権に不都合な権力者や重臣を封じ込めた場所だった。源頼朝が青春時代幽閉されていた処が、蛭ヶ小島。頼朝の見張り役だった北条の子・政子、のちの尼将軍が生まれたのもこの地。相反する立場の2人が深い仲になり、頼朝は平家打倒を果たして、裏から表に華やかな回り舞台の幕を開けた、源氏ゆかりの里である。流人の頼朝が、しばしば訪ねて湯あみをした、というのが古奈温泉。鎌倉時代の吾妻鏡に、"豆州小名(ずしゅうこな)の湯"と出ている。その名も源氏山の麓に、温泉療法創始の神を祀った湯谷(ゆたに)権現がある。切り立った崖には湯脈の跡がくっきりと残っていた。   山1つ、切り通しを抜けると海だが、四方緑の山と丘陵に囲まれた温暖の地であることから、明治の元勲や政財界、有名人の別荘地だった。必然的に生まれたのは、これら大御所詣の人たちを相手にした宿。今も名残りの高級旅館が点在、そこには共に自慢の建物や庭園があり、大企業の保養所が多い。泉質は無色透明の弱アルカリ単純泉。「温泉は大地のエキス、自然のサラダであり、味を引き立てるスパイス」今までになかったのが不思議・・・・・・と、ビン詰め加工して"のど越しがたまらない、コクとキレのある"、『飲める温泉』を売り出した。日本で初めてのアイデア商品だという。

健康志向のマンション、ラッシュ
時代のニ−ズに合わせて歩んできた町。産業は温泉を中心としたサ−ビス業が全体の40%強を占めている、とあってこれからのカジとりには慎重な構え。一方、東京首都圏の土地高騰と交通の便利さが相まって町は今マンション建設のプ−ム真っ只中。つい先ごろ完成した、B1地上11階建ての分譲マンションは「伊豆随一のものでしょう・・・・・・」と。許しを得て拝見した。温熱、水圧を利用した各種温泉のほか、プ−ルにトレ−ニングル−ムまで付いた、いきいき空間と健康志向の豪華版リゾ−トマンションだった。長岡から車で15分の韮山に、国指定の史跡"反射炉"がある。幕末のころ外国から国を守る大砲を作った鋳造炉。大砲と言っても、   幼児の頭大の鉄の玉が50mほど飛ぶだけでの幼稚なものだったとは言え、鎖国政策で科学に全く無知の時代、僅かな蘭学書を翻訳しながらの構築は、現代の原子炉以上の困難事。これを見事成し遂げた先人の偉業は驚異あるのみだろう。ここで作った大砲は、東京九段の靖国神社にただ1基残っているという。また反射炉近くの、江戸川邸は代官屋敷を当時のまま現存する建物では最古のもので、国の重要文化財。立木を利用した"生柱"や天井の骨組みは、建築力学上興味深いものという。また江川家代々継承した代官は"世直し大明神"と敬愛された郷土の偉人。得るもの多い顕彰記念館がある。
 
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