「国境の長いトンネルを抜けると雪国であった。夜の底が白くなった。信号所に汽車が止まった・・・・・・。」川端康成の有名な"雪国"は、この書き出しで始まる。50年余りたった今は、「トンネルを抜けると、林立する鉄筋コンクリ−トのホテルとマンションが目に飛び込んで来た。信号所は跡形もない。グリ−ンとホワイトの新幹線が走っていた。湯沢の町はスキ−とスポ−ツのマチに一変した・・・・・・」となる。だが、変らないものが1つあった。湯沢の奥に、たった一軒、自然の中にすっぽり丸ごと森林浴をしている宿、貝掛温泉である。
災害を乗り越えた"目"の温泉
越後湯沢郷の道はすべて山路である。上州、信濃、越後の3つの境にある2,000m級の山々の連なりが三国山脈。その中の一番低い山を越えて上州〜越後を往来する道を三国越えという。
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戦国時代、この峠で相対峙していたのが上杉謙信と長尾政景。貝掛温泉は、上杉勢が関東攻めの行き帰り、戦さに傷つき疲れた将兵をいやす"謙信のかくし湯"であった、というから結構歴史は古い。越後の名湯として知られ、特に白内障など眼病に効くといわれる珍しい温泉である。江戸時代半ばから8代続いた与之助宿が大正、昭和にかけて大水害で何回も建物流出などの被害に遭ってきた。その度に再建を続けて来たが、またも川の氾濫で大被害をうけ廃業した。現在の経営者は3代目。先々代が、医者も頭をかしげるほどの重い眼底出血で失明寸前となり、廃家同様の青天井の温泉に6ヵ月湯治して見事に視力を戻した。このことから、このままつぶすのは勿体ない、病気で悩む多くの人たちのため復興しよう・・・・・・と、宿の権利を譲りうけ、川岸から高台に場所を移して改築、営業再開したのが今の貝掛温泉という。 |