「来てけらっしゃいス、上山さ。蔵王と城と茂吉のふる里へ」上山のキャッチフレ−ズである。蔵王は樹氷とスキ−のメッカであまりにも有名。上山を起点とするエコ−ラインを走れば、色鮮やかなエメラルド・グリ−ンのお釜が待っている。斎藤茂吉は東大医学部出身の精神科医でドイツ医学を研究した博士だが、歌人正岡子規に師事して歌壇にアララギ派を作って主宰した。松林と桜に囲まれた茂吉記念館は、自筆の短歌や原稿、有名文人と交わした手紙など多数展示され、少年茂吉がガキ大将で戦争ごっこした時、部下に与えた自作の賞状など微笑ましい珍品もある。お祭り好き集れ・・・・・・上山はお祭り、コンク−ルが盛沢山のところ。中でも有名なのが全国かかしコンク−ルで、伝統行事。'92年紅花国体のマスコット、樹氷を形どったタイキ(大樹)君も登場した。春一番のお祭りはGWのお城祭り。裸の餅つき大会に始まって人気は旧城下町をエッサホイサと走る"カゴかき"大会である。温泉街の一角に沢庵和尚ゆかりの春雨庵がある。 |
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仏教界で特別の功労あった高僧に天皇が、直接仏門最高位の紫の衣を贈るしきたりがあって、沢庵禅師に贈られた。ときの天下は徳川で、紫の衣は幕府が与えると決めたことに沢庵が抗議したところ、将軍の激しい怒りをかい上山に島流しとなった。日頃沢庵の教えに尊敬していた、ときの上山城主は庵を建てて温かく迎えた。「心こそ、こころ迷わす心なり 心に心、こころ許すな」沢庵和尚の"六心"の歌である。また、春雨庵で詠んだ歌の中に、「倒されし笹は再び起きるとも倒した雪は跡形もなく」和尚の心境、凄まじいばかりの洞察力が秘められている。自然をこよなく愛した沢庵は、ことに雨が好きだったようだ。庭石は雨にうたれても動かないが、草花はしたたり落ちる雫にもゆれ動く。自然の雨の"動"に感嘆、厳しい冬に耐え抜いて迎えた春・・・・・・この感動を人の心に訴えて自ら春雨庵と名付けた。茶人であったことから茶室もあり、今も各地各流派の茶会が催されている。
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