NPO法人健康と温泉フォーラムは医療、環境、施設等、温泉保養地に関わるあらゆる分野における専門家を中心とした団体です。
名湯百選 名湯百選

日光湯元温泉 にっこうゆもとおんせん

慢性皮膚病慢性婦人病 神経痛筋肉痛 関節痛冷え症 疲労回復健康増進

<所在地>栃木県日光市湯元温泉
<交通>浅草から東武特急ロマンスカ−で1時間40分、宇都宮からJRもある。日光から直通バス1時間15分
<泉質>硫黄泉

温泉療法医がすすめる温泉 櫛引陽二
(栃木県保健衛生事業団嘱託/内科/医療行政/医学博士)

温泉療法医がすすめる温泉 櫛引悦子
(元大田原保健所長/宇都宮保健所嘱託/内科/公衆衛生)

人工美と自然美が融合した日光
日光を見ずして結構というなかれ・・・・・・言わずと知れた日光を支える二社一寺、東照宮、二荒山神社、輪王寺、とりわけ東照宮の陽明門をはじめとする極彩色の華麗な健造群を指してのことのようだ。年間約800万人の観光客が訪れる。日光ヘアピンロ−ドの、いろは坂を登りつめた所に華厳の滝さらに中禅寺湖を左右に眺めながら男体山の裾野に拡がる戦場ヶ原を経た、いわゆる奥日光に日光湯元温泉がある。日光から路線バスで1時間15分だが、マイカ−ならたっぷり3時間はかかる。時間的におかしいという訳は、途中それだけ見所が多くきっと車を止めるだろうからである。日光は1200余年前、厳しい荒行で知られる天台宗の僧、   勝道上人が苦闘の末、男体山の山頂をきわめて開山したのが始まり。以来男体山は神の山として山岳信仰のメッカとなって栄えた。"人の一生は重荷を負うて遠き道を行くが如し、急ぐべからず・・・・・・"の遺訓を残した家康公は、日光を一度も訪ねたことはないが話を聞いて大変気に入り「日光の山から国家安泰を見守り続ける」との遺言で東照宮が造営された。こうした史実に裏打ちされた人工美と自然美が見事に調和しているところが日光で、ことに奥日光の俗化されない白樺林とモミの大木などで囲まれた静かな自然環境の湯元温泉は素晴らしい・・・・・・と櫛引先生は激賞している。

知ったら実行してほしい入浴5ケ条
先生は、ご夫婦揃って数少ない温泉療法医。病気になって医者に駆け込むのでなく、病気から我が身を守るにはどうしたら・・・・・・の予防医学を公衆衛生の行政畑を長年務め、温泉保養のより効果的方法をみんなに広めている。栃木県の観光は日光で代表されるが、東京首都圏に近いという地の利から健康保養の温泉利用に目を向けている。温泉地は日光湯元のほか鬼怒川、川治、塩原、那須、板室など日光国立公園内の自然景観に優れた那須火山地帯に40余ケ所も密集。歓楽型から昔ながらの素朴な湯治場、さらに秘湯とバラエティ−に富んでいて泉質も8種類ある。   温泉効用は環境と温度、成分それに利用者本人の体調によって異なるので出かける前に専門医に相談するのが賢明である。一般的には、1.入浴前十分にかけ湯して身体を慣らしてゆっくり入る。2.温熱刺激で血液が皮膚の表面に集まり、胃の血液循環が悪くなるので消化によくない。従って食事の直後や空腹時は避ける。3.浴槽の縁を枕にして浮力を利用し伸び伸びと楽な姿勢で静かに入る。4.温泉に入るだけで、かなりのエネルギ−(40℃20分の入浴で220kcal)を消費し、運動したと同じ疲労を伴うので入浴後は30分から1時間位休憩する・・・・・・ことなどは知っていてほしい、という。

金精峠のとっておきの話
日光湯元温泉は延歴7年(788年)日光開祖の勝道上人が発見して薬師湯と名付け、その後慈覚大師が功徳力のある療養延命の名湯として世に広めた、と伝えられている。江戸時代は入浴者に対する掟も定められ、当時は女性の入浴はオフリミットだったが明治に入って解禁された。現在は女性客の方が断然多い。湯元から群馬県に通ずる道路を金精峠という。今は有料道路のトンネルが開通しているが峠の頂上に金精神社がある。峠をかつては木叢(きむら)峠と呼んでいた。キムラは木の枝がむらがり茂って昼なお暗い峠という意味だという。この山中に珍しいキノコが生え別名キムラ茸と言い、食べると元気もりもりになる薬茸ともてはやされた。キムラ茸がキムラ峠に出たので、   ある頓智者がキムラのムをマに変えキの字を外して発音した。峠に祀るご神体がそれで、家庭円満、子孫繁栄、会社盛業の神様となって広く信仰者を集めている。日光連山は男体山をはじめ女峰山、長男の太郎山、孫の大小真名子(まなご)山などの名称がついていてその奥に金精山、金精峠があることは民族学的にも面白い・・・・・・とこれは、とっておきの話だった。
 
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