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名湯百選 名湯百選

奥津温泉 おくつおんせん(山峡のひっそり静かな素朴な出湯)
<所在地>岡山県苫田郡奥津町奥津川西
<交通>JR津山駅から中鉄バスで70分,中国自動車道の院庄ICから国道179号線を車で30分
<泉質>アルカリ性単純温泉
<効能>慢性消化器病・リウマチ性疾患・神経痛・胃腸病・皮膚病

 

津山城主専用の湯治場としてにぎわった昔
奥津温泉は岡山県の最北部に位置し、中国山脈のふところに抱かれた山合いのいで湯。中国山地に、東から湯郷、奥津、西に湯原の三温泉があり、これを称して美作(みまさか)三湯と呼ばれている。
温泉の起源については、さまざまな言い伝えがあり、古くは八雲朝廷の時代にまで遡る。大国主命の命を受けた少彦名(すくなひこな)命(みこと)が巡撫使として地方を巡視した際、発見されたものと伝えられている。また、療養の温泉としての歴史も古い。今から400年余り前の戦国時代には、山陽と山陰地方の諸将の勢力争いは中国山地を中心に行われていた。天正時代(1573〜1591年)石洲津和野城主、坂崎出羽守が宇喜多(うきた)左京(さきょうの)亮(すけ)詮家(あきいえ)と名のっていた頃、創痍を入湯で癒したと伝えられ、戦国時代には多勢の人々が入湯してにぎわっていた。
  江戸時代には津山藩主、森忠政公が入湯し、また、四代藩主、森長成公が3週間に渡り入湯して病を治したと言われ、たびたびの入湯に便利なようにと別荘が造られた。別荘の敷地は広大であり、今も「御殿屋敷」という地名が残っている。
 藩主、御内室の入湯には、土地ものの使う一般浴場と藩主用の湯を別けて楼屋を作り、藩主用には常に鍵がかけられ一般の入浴を禁じた。これが「鍵湯」の由来である。鍵湯は、一般村人用の村湯と区別し、鍵湯を藩主用としたところから、上湯とし、村湯を下湯と称していた。
 こうして「奥津町」という町は、藩主自ら、この温泉場に目をかけており、各地からの湯治客でにぎわっていたことがうかがえる。
 現在、鍵湯は奥津荘の男子浴場として利用されており、村湯は奥津荘別館の共同浴場および町営温泉として土地の人々に利用されている。

奇習の"足踏みせんたく"いで湯の情緒ひとしお
"姉さんかぶりに、揃いの紐、赤い腰巻に赤だすき"というスタイル。これが奥津温泉の風物詩「足踏みせんたく」。その昔この地方には、熊や狼が多く川のほとりに湧く温泉場で洗濯をするにも、見張りしながら立姿のままで洗濯をした。その独特の風習が、今日に伝わったものだと言われている。清流吉井川が流れる奥津橋のたもと、自然に湧き出る露天風呂で行われる足踏みせんたく。土地の娘さんや若いお嫁さんによって、奥津温泉小唄に合わせて踏む(・・)姿は、一見ダンスを踊るようでもある。
奥津温泉の下流にあり、文部省より「名勝地奥津渓」に指定されている奇岩の奥津渓
  この渓谷は海抜400m、延々3kmにおよぶ吉井川の源流に臨み花崗岩の板状摂理と侵食の美よりなる。数十万年かの歳月をかけて、自然が形造った珍しい?(おう)穴(けつ)は自然の驚異を感じさせる。奥津温泉の下流、笠ヶ滝から般若時を経て臼渕まで3kmにわたって十数個の?穴群が見られる。
 この奥津渓八景一帯は、春にはコブシ・シャクナゲ・ツツジ、夏には山頂より吹き降ろす冷風が新緑をゆらし摂氏25℃以下の避暑地となる。また、亜紀には全山錦を織りなす効用、冬は樹氷というように、四季の自然の美は尽きない。

水と緑のあふれる自然のレクレーション・スペース
豊かな自然に恵まれた奥津温泉には、自然とふれ合うレクリエーションがいっぱいだ。奥津渓谷沿いには自然探求歩道があり、ハイキングやピクニックなどに最適のコースとなっている。渓流では山女釣り、鮎掛けを楽しむ釣りマニア達も多い。
  森林浴の宝庫でもある奥津町には、1,000人収容できる泉源キャンプ場、岡山県立森林公園がある。標高840〜1,100mに位置し、面積333haの大規模な後援の中には、自然研究路の遊歩道に登山道、林間園地、自炊式の宿泊施設、展望台、展示室のある管理センターなどが整っている。園内では、何百種類もの植物や昆虫、バードウォッチングがたっぷり楽しめる。

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