NPO法人健康と温泉フォーラムは医療、環境、施設等、温泉保養地に関わるあらゆる分野における専門家を中心とした団体です。
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大湯温泉 おおゆおんせん

神経痛 リウマチ筋肉痛 皮膚病婦人病 術後回復片マヒ機能回復

<所在地>秋田県鹿角市十和田大湯
<交通>JR花輪線陸中花輪駅からバス40分、十和田南駅から30分
<泉質>弱アルカリ性食塩泉

温泉療法医がすすめる温泉 小笠原達
(大湯リハビリ温泉病院長 秋田県温泉審議会委員
 日本温泉協会特別会員/内科 消化器/医学博士)

"温故知新"です。保養温泉のメッカを目指す大湯。
十和田、八幡平と言えば、名だたる国立公園。春よし、夏よし、秋はまた別格のスケ−ルのでっかい景勝の地。その隣・・・・・・「イヤ、隣が十和田八幡平なのです」というのが大湯温泉である。歴史は古く800年前もの昔から、町を流れる川沿いにコンコンと湧き出ている温泉で、江戸時代には、この地を治めていた南部藩指定の保養温泉地であった。田植え後の"早苗(さな)ぶりの湯"、季節の変り目の"菖蒲湯"、   秋の収穫を終えた"稲揚げの湯"、などといった骨休めの湯治場として栄えた。一方、観光十和田の誕生で、1番近い地の利から十和田見物の宿泊地となっていたが、道路網の整備と車社会に変った近年はただ素通りするだけの町となり「空室あります」の看板がやたら目につく温泉地になってしまった。しかし、この町には、コト温泉にかけては第一人者に数えられる温泉博士、それも秋田県にただ一人の温泉療法医の先生がいる。

長寿時代にいち早い対応デイ・ケア施設

西洋医学がドイツからアメリカ医学のとって代わって、「温泉なんか・・・・・・」と、とり残された格好の一時期があった。この風潮に真っ向から立ち向い反論を加えたのが、東北大学医学部の黒川利雄内科(のち同大学長、文化勲章受賞者、故人)である。その黒川内科直系の愛弟子が大湯リハビリ温泉病院長の小笠原達先生。もの静かな温厚そのものの先生だが、温泉にかけた情熱は"温泉の申し子"と言いたいほど、厳しく激しい信念の持ち主である。昭和32年、大湯で開業していた、お父さんが倒れた。当時大学で温泉研究をしていた先生には助教授、教授の呼び声が掛かっていたが、生まれ故郷を無医地区にする訳にはいかないと、お父さんの跡を継ぐ地域医の道を選んだ。秋田の冬は厳しく、日本でも指折りの脳卒中多発県。

  入院患者の半数以上が片マヒの後遺症という姿を見て、温泉をフルに活用したリハビリ病院へとジャンプした。どうせやるなら大湯を日本の保養温泉のメッカにする・・・・・・が、先生の夢である。広域大湯温泉保養地づくりの中核病院として、障害を持つお年寄りを1日預かって、風呂に入れたりお世話するデイケア施設も増築、急速に進んでいる高齢社会に向けて、地域の人たちに対する実習教室なども計画している。院長室に掲げられた師と仰ぐ先輩、杉山尚東北大学名誉教授の写真を見据えて、ポツリ「"温故知新"です。」その目は輝いていた。故(ふる)きを温(たず)ねて、新しきを知る、論語の言葉。以前学んだことを復習吟味研究して、さらに新しい道を見つけ出す・・・・・・という意味である。

ロマン?ナゾ秘めたスト−ンサ−クルと民話の里
温泉の小高い丘に、約4000年前と推定される縄文古代人の作った"スト−ンサ−クル"(環状列石)が2つある。約10km離れた川から運んだ自然の河原石を大きな円形に並べ、中に日時計のような組石が一基立っている。何んの目的で、またどんな意味をもつのかナゾのまま。古代のロマンが、かくれているようで興味は尽きない。また、その近くに樹齢2000年という杉の巨木が見事な枝を張っている。"錦木塚"、"山芋と役人"、"ダンブリ長者"など、豊かな人情を伝える民話と歴史の里でもある。話を温泉に戻そう。健康長寿は誰もは願っていること。ならば、せめて年1回2週間位、   オ−バ−ホ−ルの意味で温泉に・・・・・・と、小笠原先生は説いている。病院で健康チェックし、その結果で保養、ときには早期発見の療養コ−スで専門医の指導をうける。患者は、今ある温泉宿に泊り病院保養館に通う、というもの。「眼の見える人は、見えるという幸せを忘れている。病気も同じで、病気になってはじめて気付く。それからでは遅いのです・・・・・・」と。同院長の理念は口伝えに地元から市外、県外へ広まり5年前に比べ県外患者が倍加しているという。確実な手応え、評価であろう。
 
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