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戸倉上山田温泉 とぐらかみやまだおんせん

リウマチ性疾患 糖尿病 運動障害 神経マヒ 皮膚病 湿疹 病後期回復 疲労回復 健康増進

<所在地>長野県更級郡戸倉・上山田町
<交通>JR信越本線戸倉駅から車で8分
<泉質>単純硫黄泉

温泉療法医がすすめる温泉 吉松俊一
(更級中央病院整形外科部長 同病院リウマチ・スポ−ツセンタ−所長
 全日本野球連盟オリンピック強化スポ−ツ医科学委員長)

スポ−ツ選手も温泉療法。楢山節考の伝説発祥の地
詩情豊かな千曲川のほとり、信州では珍しい平地に開けた温泉地。戸倉上山田の行政は二つに分かれているが訪ねる客はそんなことおかまいなしである。明治初期に発見し、中期になって温泉場らしく形作られたというが、善光寺詣りの"精進落とし場"的存在になって、旅館ホテル数、規模共に県下第一を誇る歓楽の温泉街となった。「日頃たまったストレスを、カモシモ脱いだ一夜の宴で気分転換をはかるという、こうしたところも必要だ。しかし一方には慢性関節リウマチや   神経痛など当の本人でなければ到底解からない激痛をじんわり和らげ、ときには痛みを押さえて予防してくれる効能を持っており、病後の回復や疲労回復、健康増進にきわ立った効果を見せてくれるのも同じ温泉である。」温泉利用のスポ−ツドクタ−では、第一人者と言われる吉松先生の話である。「私は上山田温泉で温泉の素晴らしさを知り、療養に使えると温泉療法医の資格をとったんですよ・・・・・・」とも。

年齢関係なし、死ぬまで野球。プロ選手の頼みのドクタ−
無類の野球好きという先生は、全国で盛んな"早起き野球"の草分け的存在。40歳以上でチ−ムを編成する"寿野球"は今全国に88チ−ムあるという。健康な体力づくり、楽しみながらの予防医学が狙いであることは言うまでもない。寿野球を広めたら年配者からクレ−ムがついた、そして生まれたのが"生涯野球"。「たった一度の人生に引退なんかあるものか、死ぬまで元気に野球をやろう・・・・・・」というもので、第4回全日本大会を上田市で開いた。出場資格は40歳以上だが、国籍信条、また男女の別すべて不問、リ−グは年齢別で主力選手が還暦以上というAリ−グを含めて全国から96チ−ムが参加した。メキシコ五輪マラソンの銀メダリスト君原選手は   足の故障を温泉療法で治したという話は有名だが、スポ−ツ全盛時代のこの頃の選手は限界ぎりぎり、果ては限界を越えた酷使でケガと故障が多い。吉松先生はこれら選手の治療とトレ−ニングに温泉を利用して効果をあげている。日本プロ野球トレ−ナ−協会顧問など20を越えるスポ−ツ関係のドクタ−に委嘱されて多忙この上なしである。プロ野球ではヤクルトは全選手また12球団のほとんどの選手が障害につながる危険なところがあるかないか、ペナントレ−スが終ると先生の整形外科ドックを受け、温泉で体力づくりに励んでいる。野球に限らず相撲、バスケット、バレ−、陸上、サッカ−。ゴルフでは尾崎軍団が必ず受診にやって来るという頼りのドクタ−である。

お年寄りには智恵がある
上山田温泉はそばの千曲川の堤防沿いに"万葉公園"がある。佐々木信綱直筆の万葉歌碑をはじめ、若山牧水、小林一茶らが、信濃の地や千曲川をうたった短歌、句詩の歌碑20数基が建っていて、頼めば拓本をとらせてくれる。この川に一つになりて流れゆく親しさを見よ水の心のあちこちの支流が集まって、豊かな流れの千曲川になっているという水の心を詠んだものだろう。温泉地から車で20分の所に楢山節考の元になったという姨(おば)捨山がある。信濃33番札所の長楽寺というお寺があって、月見の名所として知られている。その昔、捨てられた老婆が悲しんで石になったという大きな姨石があり、その石に上がれば、善光寺平を一望にする。その片隅に1反歩が48枚に区切られた段々の田んぼがある。その小さな水田に映る月をめでて"田毎の月"と呼ぶ。また48枚の田んぼは長楽寺ご本尊如来の顔形を現わしているものとか。その姨捨山、実はお年寄りを大事にしなさいという"反語"でないかと思われる民話があった。昔、年寄り嫌いの殿様がいて「60歳になった年寄りは山に捨てろ」とおふれを出した。   一人の孝行息子が自分のおふくろをおぶって捨てに行ったが、山を下りるころあたりはもう真っ暗だった。途方に暮れていると母親が言った。「ここに来る道々に枝を折って来たから、それを目印にしてお帰り・・・・・・」と。息子は智恵ある母親を捨て切れず、また背負って家の床下にかくまった。ある時、隣国から「灰で縄をなえ、出来なければ攻めるぞ」と難題をぶつけられた。殿様は「作れる者はいないか・・・・・・」と、また国中におふれを出した。この時床下の母親は「塩水に浸したワラで縄を作り、それを焼けばよい」と教えた。喜んだ殿様は「望むままの褒美をとらす」と言い、実は母親をかくまっていたと打ち明けた。殿様がすぐさま、先のおふれを撤回、以来お年寄りを大切にしたという。信濃はまた杏子(あんず)の里である。江戸時代、伊予宇和島(愛媛県)から長野松代藩主のもとに嫁いで来た姫が、故郷を偲ぶよすがにと持ってきた杏子の種が花をつけて栽培が広まったものという。杏子の花は雨に弱く、お天気に敏感なデリケ−トな花だが一目10万本の山里はピンク一色に染まって見事である。
 
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