NPO法人健康と温泉フォーラムは医療、環境、施設等、温泉保養地に関わるあらゆる分野における専門家を中心とした団体です。
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雲仙・小浜温泉 うんぜん・おばまおんせん

「雲仙」皮膚病神経痛 慢性湿疹婦人病 金属中毒「小浜」創傷神経痛 リウマチ性疾患など

<所在地>長崎県南高来郡小浜町
<交通>JR長崎本線諌早から県営バス1時間で小浜。小浜からバス30分で雲仙
<泉質>「雲仙」硫化水素泉「小浜」食塩泉

温泉療法医がすすめる温泉 八並信
(波佐見町八並整形外科医院院長 日本整形外科学会認定医
 日本体協公認スポ−ツドクタ−/医学博士)

隠れキリシタンの哀話を秘めた雲仙
雲仙は昭和9年(1934年)日本で最初の国立公園に指定された自然に恵まれた国際観光地。その中心になるのが温泉で、奈良時代に発見したと伝えられる古湯。温泉(うんぜん)岳、熱い湯の出る山の麓にあるので、もとは温泉(うんぜん)温泉だったが、紛らわしいので国立公園指定を機に知恵を集めて雲仙と改称した。雲仙を有名にして、歴史の一頁に刻み込んだのは、秀吉から徳川時代に入ってのキリシタン弾圧であろう。   今も轟々と凄まじい噴煙を上げる"雲仙地獄"は、今でこそ雲仙最大の見所だが、かつては隠れキリシタンだった人たちに対し転教を責めた残虐な拷問の刑場跡地で、踏み絵を拒んだ多くの教徒が煮えたぎる地獄の釜に投げ込まれた。その数200人とも300人とも言われる。その哀話は、誰が捧げるのか今も野花の供花が絶えない殉教の碑が物語っている。

日本で最後に夕日の沈む街
雲仙西麓の海岸端にあるのが小浜温泉。島原の乱後、漢方医だった中国の僧が来遊して温泉の療養効果を教えてくれた。当時は海辺に自然石で囲っただけの湯舟に海の満潮時、湯をとり込んで浴びる素朴なものだったそうだが「キズが治った。腰の痛みがとれた」と忽ち評判が広まり長屋式の湯治場が出来た。当時小浜の庄屋は温泉を取締まる役目の"湯太夫"に任じられ、今も湯本にその湯太夫邸が往時の面影を残している。   すっかり近代建築に生まれ変った温泉街には源泉の湯煙が汐風になびき、海に落ちる夕日がまた美しい。日本で最後に夕日の沈む街・小浜・・・・・・と言っている。

古い建物に、生きた温泉と出会い
長崎県で唯一の温泉療法医八並先生を波佐見町の医院に訪ねて話を伺った。春光を浴びた少女との出会いを歓びと感じて作った、という北村西望(せいほう)の少女の像が応接間に飾られていた。雲仙・小浜、山と海、また泉質も全く違った温泉です。温泉療法がいいからといって、どんな病気にも必ず効くとは限らない。行く前に専門医に相談した方がよい。緊張感から解放されて、ゆっくりくつろぎたい時は海がいいでしょう。海浜は鎮静作用があります。雲仙は海抜750m位あるので夏は清浄な大気と豊かな紫外線のシャワ−を浴びる避暑地です。貧血やノイロ−ゼ、喘息、慢性気管支炎、また糖尿病、痛風、肥満の人にいいです。国際観光地を目指して豪華なホテル群が建ち並んでいるのでリッチな気分になりたい1泊2日型なら、選り取り見どりロッジ風のしゃれた建物の観光案内所があるので親切に教えてくれます。   ちょっと離れた小地獄には長期滞在が出来る心安らぐ湯治宿が並んでいます。あそこの共同浴場は、古めかしい建物ですが、生き生きした新鮮な湯が溢れ出ていて魅力満点です。見知らぬ土地の人達から思いがけない話が聞けたり、その出会いは湯治の楽しさを2倍にも3倍にもしてくれます。雲仙はバ−、キャバレ−の類全くなしの健康モデル地。料金も手頃な小地獄の宿を基地に、民話伝説の史跡を訪ね回るのも面白い。200年ぶりに火山噴火したのは雲仙最高峰の普賢岳。一部マスコミはこれを雲仙岳と報じたため雲仙温泉は一時客足ぱったりの、とんだ目に遭った。それにしても島原の人達の被害は大きかった。火砕流は記録にあるが、実際に体験した人は誰もいない。日頃穏やかな潤いを与えてくれる自然も、ひとたび暴れると人間様の力など到底及びもつかない、凄まじいエネルギ−の猛威を見せるものである。
 
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