お猿のお風呂は地獄谷温泉にある。お客が餌をやるので人なつこい、親子の情景は微笑ましく心なごむところ。そばに時折り熱湯を噴き上げる、間けつ泉があり地下エネルギ−のすさまじさを見せている。上林温泉は、志賀高原を愛した文化人の集まりの場だった。大正デモクラシ−のハイカラ文化の建物などが名残りを留めている。洋風木造建築の志賀山文庫は、東京にあった旧渋沢邸を移築したもの。同文庫には、この地を訪ねた多くの文人墨客の作品、小説は初版本だけ16,000点、そのほか絵画など、ゆかりの資料3,000点を所蔵している。温泉熱を利用したベコニアガ−デンは、真冬でも一年中切れ目なく花がある。 |
|
日本画壇の巨匠横山大観は、角間温泉の高台に別荘を持っていた。ワラぶき屋根の一見簡素なものだが風格がある。今は、"つみ草の宿"と名を変えている。渋温泉は、昔から大小さまざまの宿が軒を並べて、ほんのり湯の香ただよう湯治場情緒が色濃いところ。外湯と呼ぶ共同浴場めぐりが面白い。外湯は9つあって、苦(九)労を流そうというもの。見知らぬ者同志が、ハダカの付き合いで、お国自慢の会話が生まれ「明日は○○か××に行こう」と、誘い誘われて湯治をより楽しいものにしている。このように湯田中・渋温泉郷はどの温泉見ても、そこには"健康が一番大事・・・・・・"と感じさせるこれまた“顔”があった。 |