NPO法人健康と温泉フォーラムは医療、環境、施設等、温泉保養地に関わるあらゆる分野における専門家を中心とした団体です。
名湯百選 名湯百選

湯原温泉 ゆばらおんせん

神経痛筋肉痛 関節痛五十肩 冷え症慢性消化器病 病後及び疲労回復健康増進

<所在地>岡山県真庭群湯原町湯原
<交通>新大阪から直通高速バスで3時間半岡山からバス3時間
<泉質>アルカリ性単純泉

温泉療法医がすすめる温泉 藤原寛太
(湯原国民健康保険湯原温泉病院院長/内科 血液学)

露天風呂の本家"砂湯"
古くから豊富な湯量と露天風呂で知られる湯原温泉は、江戸時代の諸国温泉番付で、上州草津に次いで関脇〈当時の最上位は大関〉。近年の露天風呂番付では、東の宝川〈群馬〉に対し西の横綱。勧進元の違った番付では大関の位置を占めている。岡山市から車で約2時間、中国山脈の緑深い山合いに囲まれた温泉地で、   昔は大山(だいせん)や出雲詣での街道宿場町であった。高さ64mのダム直下の川の岩盤からお湯が湧き出ていて地元の人は"砂場"と呼んでいる。川床から湧く湯を自然石で囲った湯船が三つ。長寿の湯、子宝の湯、美人の湯と名付けられ人も自然もそのままに混浴で野趣豊か。夜は満天の星空が殊のほか美しい。

本当のサ−ビスは、温泉を教えること
「地元の人たちは、温泉がすぐ目の前にあるので、温泉があるのが当たり前になり、何のためらいもまた考えなくしている。道路が良くなって観光の見どころもあり、団体バスでお客が来てくれるのでつい商業ベ−スだけに走りがち。温泉あっての町なのだから、もっと温泉のことを知り、客にこれを教えてやる・・・・・・。温泉地のサ−ビスはこれでなくてはと、常々思っていた。源湯をこのようにしたいし、また出来るところです。」と、   藤原先生は言う。小さな町ながら町立温泉病院、また各地区に4ケ所の診療所を持っていて町民の保健意識は高い。この日も本院で現役患者とOB"友の会教室"が開かれていた。テ−マは糖尿病。藤原院長ははじめ婦長、看護婦さんらと給食を共にしての食事会。一人一人自分の摂取カロリ−を知っているので楽しく微笑ましい団らんの光景だった。

無事帰ったお薬師さん
露天風呂が名物の温泉地だけに30余軒の旅館はそれぞれ自慢の風呂を持っている。Kホテルは9階に相当する屋上に見事な作りの露天風呂が・・・・・・。変ったところでは、夫婦二人だけでやっているというプチホテルのジャグジ−プ−ル。ジェットバス付きの洋式野天風呂とでも言おうか・・・・・・。水着をつけて入浴するので混浴、見知らぬ同志も忽ち会話がはずむ。家族旅行ならみんなで入浴、思わぬコミュニケ−ションが生まれそう。温泉街から砂湯に向かう途中に薬師堂がある。開基は慶長年間と言われ小指大の仏像がご本尊の薬師如来。明治26年、大水害で本堂もろとも流されたが、約80km離れた下流で釣人がご本尊を見つけ「湯原に帰りたい」という夢をお告げで元のところに戻った。以来"無事帰る""元の健康に戻る"のお薬師さんと呼ばれ、お堂の前に薬湯の飲泉場がある。湯原はまた"生きた化石"オオサンショウウオの棲息地として全国に知られている。町の人たちはハンザキと呼んで親しみ、ある時は神として祀ってきた。昔は随分多くいたが農薬などの原因で激減、国の特別天然記念物となっている。   ハンザキという呼び名は、体を半分に裂いても生きているという、たくましい生きざまの俗説からその名が生まれたという。湯原と同じアルカリ性単純泉の郷緑(ごうろく)、真賀(まが)、足(たる)と三つの温泉が近くにあり共に古くからの湯治場。足温泉は元亀年間、ときの城主が戦で傷ついた兵士の手当てと療養のため湯を樽詰めにして送ったという古事から、樽が"足"に変って呼び名がついた。豊富な湯を利用してアフリカ原産の熱帯魚テルピアを人工養殖している。形も味も黒鯛そっくり。その名も粋な"黒媛鯛"と名付けて各地に出荷し人気を集めている。湯原から西の軽井沢と称する蒜山(ひるぜん)高原への玄関口に、中国地方随一と自負する名ばく、高さ110mの"神庭(かんば)の滝"がある。付近一帯は日本百景の名勝地で県立自然公園、滝からの水は渓流となり、その一角に草葦屋根からしたたり落ちる小さな雨垂れのような滝がある。千古の昔から途切れることない、ハ−モニ−を奏でていて思わず足が止まる、「素敵なもの見つけた・・・・・・」になること請け合いである。
 
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