函館は歴史が変わる節目に必ずといっていいほど、その舞台に登場している。戊辰の役の最後の戦場で、徳川幕府終焉(しゅうえん)の地でもあるが、安政2年(1855年)和親開港で国際貿易の幕を開け、見事に花を咲かせた港町。いち早く入ったハイカラ文化は多くの健造物にその名残りを留めている。約550年前、発見したと伝えられる湯の川温泉は、市内から僅か20分の離れ座敷といったところ。昔の人は、神からの授かりものとしていた。その後、ときの藩主が難病にかかり、心配した母が夢のお告げで、この湯の存在を知って湯治させたところ、ほどなく全快した。喜んだ母はお礼に社殿を改築し、薬師如来像など献納して祀った。それが湯倉(ゆのくら)神社で、温泉が湧き出ていた湯の川発祥の地である。 |
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湯の川温泉に生きる人たちは湯倉神社の由来から「頭を上げる前に、頭を下げる事を教わった。」観光事業の"原点"でなかろうか。函館のマチは棧橋会館の名物朝市から動き出す。連絡船はなくなっても賑わいは以前と少しも変わらない。威勢のいい呼び声、客と売手の掛け合いで、つい財布のヒモがゆるむ・・・・・・。これまた旅の楽しさの1つであろう。
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