NPO法人健康と温泉フォーラムは医療、環境、施設等、温泉保養地に関わるあらゆる分野における専門家を中心とした団体です。
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湯の川温泉 ゆのかわおんせん

リウマチ 痛風慢性消化器病 病後及び疲労回復

<所在地>北海道函館市湯の川町
<交通>JR函館駅から市電25分車15分、函館空港から車7分
<泉質>ナトリウム、カルシウム塩化物泉

温泉療法医がすすめる温泉 佐藤武憲院長
(長万部町立病院長 元函館協会病院内科医長/内科 内分泌代謝 老年医学/医学博士)

文明開化を告げた函館、次は健康増進の発進地に・・・・・
北海道の人は、本土の人を内地の人と呼ぶ。津軽海峡を境にしてのことだろうが、青函トンネルの開通で地続きとなった。4時間余りかかった連絡船が僅か45分のトンネルで結ばれた。内地という呼び名も、そのうち消えるだろう。   出会いや別れ、悲喜こもごもの情景を演じてくれたドラの音、無くなってはじめて気付く郷愁であろうか・・・・・・。航跡さながらに長く尾をひいているが、代わりに"近距離"という便利さをつかんだ。函館は以前にも増して活気みなぎる街になっている。

一つ一つが短編小説・・・・・・おいしいもの見つけた朝市
函館は歴史が変わる節目に必ずといっていいほど、その舞台に登場している。戊辰の役の最後の戦場で、徳川幕府終焉(しゅうえん)の地でもあるが、安政2年(1855年)和親開港で国際貿易の幕を開け、見事に花を咲かせた港町。いち早く入ったハイカラ文化は多くの健造物にその名残りを留めている。約550年前、発見したと伝えられる湯の川温泉は、市内から僅か20分の離れ座敷といったところ。昔の人は、神からの授かりものとしていた。その後、ときの藩主が難病にかかり、心配した母が夢のお告げで、この湯の存在を知って湯治させたところ、ほどなく全快した。喜んだ母はお礼に社殿を改築し、薬師如来像など献納して祀った。それが湯倉(ゆのくら)神社で、温泉が湧き出ていた湯の川発祥の地である。  

湯の川温泉に生きる人たちは湯倉神社の由来から「頭を上げる前に、頭を下げる事を教わった。」観光事業の"原点"でなかろうか。函館のマチは棧橋会館の名物朝市から動き出す。連絡船はなくなっても賑わいは以前と少しも変わらない。威勢のいい呼び声、客と売手の掛け合いで、つい財布のヒモがゆるむ・・・・・・。これまた旅の楽しさの1つであろう。


世界に通用する健康発進基地に
同市在住で現在、長万部町立病院長を務める佐藤武憲先生の話は続く。函館は100年余りの歴史と言われるが、遠く6〜7世紀の聖徳太子の時代の古文書や絵巻物に箱館の名前と様子が現われているのは興味深い。いつしか箱が函に変わったが、多くの国の外国人によって開かれたマチであり、ガムシャラと思えるほど、何んでも取り込み、受け入れる度量とたくましさを持っている。   函館山からの夜景は世界3大夜景の1つとして知られているが、置かれた地形、自然環境は気候医学上から言っても、世界に類を見ないもの。同じような地形、また観光資源、漁業の都市、カナダのハリファックス市と国際姉妹都市を結んでいるが、両市は共に健康増進を第一に考えた世界に通用する一大リゾ−ト地を目指している。

異国が身近に感じる見どころいっぱいのマチ
湯の川温泉は1泊2日の歓楽型温泉地だが、のんびり、ゆったりの滞在型保養、休養地にどうしたらなれる・・・・・・と模索している。周辺には北海道唯一の特別史跡五稜郭。また丘陵地には、戒律を守りひたすら神への賛美と献身の毎日を自給自足でおくり続けるトラピスチヌ修道院が。一方汐風もさわやかな浜辺に啄木公園がある。「東海の小島の磯の・・・・・・」の句碑は、   啄木像から少し離れた立待岬に建っている。函館山の麓には、ガンガン寺と呼ばれたハリストス正教会堂が、東京神田のニコライ堂の鐘は昭和のはじめ、ここから移された国の重要文化財。中華会館、旧ロシア領事館、聖ヨハネ教会、しゃれた店に一変した赤レンガ倉庫などなど、見どころにはコト欠かない文明開化の異国が身近の街である。
 
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