古い温泉というのもピンからキリまで全国各地に点在するが、中でも格別扱いの温泉が湯の峰ではなかろうか。実在云々の論議はともかく、第13代成務天皇の御代に発見されたと伝えられ、平安から江戸時代にかけて"アリの熊野詣で"と言われたほど信仰を集めた、熊野本宮大社の参拝人が、お参りの前に身を清めた湯垢離(ゆごり)場として知られる。文化14年(1817年)上州草津角力の名で出された、全国温泉番付では大関(当時横綱はない)の上をゆく"立行司"役に、またその後の効能番付では"勧進元"に、その名を留めている。歴史に裏打ちされた、天下の古湯の貫祿というものであろう。
心ぬくもる語り草があった・・・・・・
湯の峰温泉にはシンボルが3つある。その1つは、ご本尊が湯の花の化石で作られている湯胸薬師堂。次いで、そのお堂の下の川原に湯煙りをあげる源泉の湯筒、93℃の熱湯が湧いていて町の人達がいまも野菜や卵をゆでたり、お茶の湯にしたり、冬は湯タンポの湯となって重宝している。そして3つが、日に7回色が変わるという"つぼ湯"。歌舞伎でおなじみ小栗判官ゆかりの日本一小っちゃな露天風呂。 |
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岩をくり抜いて湯船となっている。盗賊に毒酒を盛られた小栗判官助重が、遊女照手のか細い手で引く荷車に乗せられて険しい熊野の山道を越え、毒消しに効く湯の峰の"つぼ湯"で湯治して全快したという物語りである。湯の峰にかつて大勢のライ病患者が湯治していた。病気で指が欠けた患者が宿代に困り、飴玉を作ってその日暮らしする人もいた。ライ病は遺伝と思っていた当時の村人たちは同情して、その飴を買い、みんなで食べて仲良くしていた。今ならぞっとする話だが、ライ病の飴玉を食べた村人からは一人の患者も出ていない。 |