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| 一般講演 新しい温泉事業:21世紀へのグローバル・アクション イギリス温泉文化の伝統と可能性 新興市場:イギリス温泉リゾートの例 ![]() ポール・サイモンズ バース スパプロジェクト担当取締役 バース温泉プロジェクト 1987年、バース市はその行政区域全体が世界遺産に指定され、UNESCOのリストに登録されました。バース市は、ほぼ完全な18世紀ヨーロッパの都市の景観をなしています。そこには、保存のために登録されている歴史的建築物が約4,900件、遺跡として保存リストに載っている遺跡が6ヶ所あり、いずれも英国では最大の都市保全地区のひとつとして位置しています。このかけがえのない遺産を保護し、保存し、管理するというバース・アンド・ノースイースト・サマセット・カウンセルに課された責任は重く、常に十分な財源を確保していく運動が面前に来ています。 バース市の人口は83,000人、その周辺地域には年間300万人が訪れ、この小地域の経済に1億8500万ポンド(314億5000万円)という多大な貢献をし、6,650人の雇用を支えています。観光は、過去十年間にその規模においても価値においても毎年一貫して成長を続けている唯一の経済分野です。近年、これに匹敵する成長を遂げている分野は、情報技術と教育しかありません。バースの将来にとって最も重要な問題は、市のインフラ投資のための資源に加えて、交通管理と公共輸送です。 バース市は、エイヴォン川の急傾斜で樹木の茂った渓谷にあります。渓谷の底は幅が狭く、不規則に曲がりくねっています。周辺の丘は、コッツウォルド丘陵の最南端にあたり、黄金色のオーライト石灰岩でできています。バース市は、ブリストルの西海岸からわずか30km、ロンドンから真西に180kmの西部地方にあります。 イギリスの市場において、バースでは、マーケティング用語でいうUSP、つまり独占提供品がいくつかあります。 * イギリス唯一の天然温泉(45.5C) * 北部ヨーロッパにある複合ローマ公衆浴場の最も大規模な遺跡 * 三日月形の広場、四角い広場、円形広場、公園という完全な18世紀の都市の景観 * 市全体が世界遺産になっている。 これはビジネスを行う人にとっては良いニュースですが、国内外のバース市に対する現在のイメージは、芸術、建築、音楽、劇場、祝祭、美術館、骨董品、公園や庭園、レストランや高級ホテルのある伝統的文化都市の一つというものです。かつて「国の病院」と呼ばれ、温泉の伝統で有名だったこの街には、もはや医療用あるいはレジャー用に営業している温泉施設はなく。それは、なぜか?バースのみならず、イギリス中の温泉に、いったい何が起こったのでしょう? バース市を例として、ごく簡単な概要を述べることによって、主要な場所から衰退へ、ブームから破壊へ、投資から放棄へという対照的なイメージを提示しようと思います。それは、イギリスの温泉の現状の縮図となっています。しかし、この話は、楽観的な言葉で終わることでしょう。 * ローマ人がバースに定住したとき、彼らは繁栄したケルト族と古代ブリトン族の集落と、神聖な泉の回りに作られた宗教的な中心を発見した。 * サクソン時代(10世紀以前)までは、荒廃した浴場と流れる水の見事さを物語る詩が残存している。 * 13世紀から15世紀には、中世の修道院の管理のもとで復興され、繁栄した。医学的な機能と巡礼者の神聖な聖堂に区別はなかった。 * 16世紀までは、巡礼者や訪問客の宿泊の需要があった。私的なゲストハウスが作られ、レジャーが礼拝と同じぐらい重要になった。 * イングランドにおける1540年代の宗教改革は、修道院の権力を奪い、浴場は、商人が優位を占めるコーポレーション(現在のカウンセルの前身)に与えられた。聖堂は破壊され、資本主義がこれを引き継いだ。 * 1562年頃、医学が水治療法の利点を受け入れ、初歩的な研究が行われ、医師らが、特別な有効性に言及している。 * 1590年から1703年には、7人の著名な王族が浴場を訪れ、浴場はヨーロッパの支配階級や貴族の間で流行した。これは、新しい内陸リゾートへの重要な温泉投資を刺激することとなった(ハロゲット、タンブリッジ)。 * ピューリタン革命(1642−1646)後の時代は、植民地貿易から多大な利益が生まれ、文化的・経済的に景気が刺激された。これは、ジョージ1〜4世時代(1714〜1830)に全盛を極めた。この時代、「湯治」は、医学的な一時的流行よりもはるかに大きな流行をなす娯楽となった。今日我々が知るバース市は、この時代に作られた。 引用 ABグランヴィルの「イングランドの温泉と主な海水浴場」(1841年)へのジェフリー・マーティンの序文。 「…温泉の増大は、医学的サービスの需要と温泉が満たした社会的需要の両方を証明している。バースの温泉が皮膚をいたわり、リューマチの痛みをやわらげ、他の鉱泉が緩下剤として役立った以外は、温泉が最も良くその需要に応えた疾病は心気症であった。どのようなリゾートでも、信じれば驚くほどよく効くかもしれないが、回復期の患者や歩行できる患者に提供された単純で快適な施設は、実は健康よりはむしろ気晴らしを求めてた人々に喜んで受け入れられた…。」 * 1730年から1790年の間は、3種類の人々がバースを管理した。後援者、建築家、そしてすべての公的な行事と社会活動の規約の実施を担当する祭式係長である。そして、今日我々が知るバースの街を作り上げた。 再びマーティンの引用: 「…彼らの仕事の強力だが統制の取れた独創性は、性質が変わった温泉社会にとって完璧な環境だった。それは、温泉社会を建築上の優雅さを備えた卓越した表現と調和させた。装置全体が、大きな田舎家と庭の都市版になっており、滞在は短いが要求の多い住民を喜ばせるように配置されていた。医療用の設計や治療のための入浴との関連はほとんどなく、同化しつつある富裕階級や社会その他の破壊的な勢力、そして確立しつつある様式の規範に関係すること大であった…。」 * フランスとの戦争(1792−1815)は、さらに外国への旅行をさまたげ、海辺のリゾートの成長を促進し、ジョージ3世によるブライトンとウェイマウスの大衆化やチェルトナムとレミントンといった新しい内陸の温泉によって、景気をあおった。 * 英国では、1800年から1850年の間に、内陸の温泉が新たに50ヶ所も開発され、温泉の最大の成長期を迎えた。しかし、海辺のリゾートの拡張が、すぐにこれに対抗してきた。対照的に、1851年から1914年の間は、新しい温泉は、わずか8ヶ所しか開発されなかった。 * 鉄道時代には、多くの人々に温泉や海辺へのアクセスが提供されるようになり、温泉に関するコメントが、ミネラルウォーターの効能に関する医学論文ではなく、旅行や地形や社会的なコメントに関する話題に限られている旅行者用ハンドブックが出現した。休暇という慣行が始まったのである。 「…温泉は、古くからの長持ちのする施設である。巡礼の地や健康のためのリゾートであったことから、温泉は、娯楽の場となり、社会教育の中心となり、海辺の温泉地という新しいタイプのリゾートのモデルとなった。初期の海辺のリゾートは、初めのうちは天然のままで派生的なものであったが、それらには順応性があり、新しい産業社会が正式な娯楽とレクリエーションに求めた要求に応えることができた。比較的古い温泉は、ヴィクトリア女王時代や20世紀の世界にはアナクロニズムに見えるかもしれない…。」しかしそれらは、「…休暇というきわめて重大で非常に興味深い慣行の発達において画期的な事件」をなしている。 * 1918年以降は、イギリスの温泉には投資が行われず、エドワード王時代のイングランドでは、大陸ヨーロッパの旅行と冒険という流行が盛んだった。 * 1921年には、内陸の温泉の利益を促進するために、また化学的分析によりミネラルウォーターの効果に異議を唱える専門家の医学的診断の出現に対抗するために、医学協同団体によって、英国温泉連盟が設立された。 * 1938年から1945年には、温泉地は残っていた観光用交通を失い、それらは概して国防省により、徴用された。 * 1941年には、英国の遺産を精密爆撃するために旅行ガイドが使用されたため、皮肉にも「ベデガー(旅行案内所)空襲」と呼ばれる空襲で、バースの温泉施設、主要ホテルおよび講堂は破壊もしくは甚大な被害を受けた。 * 1948年に国家医療制度が設けられると、入院患者あるいはデイケア患者のみにサービスを提供するために、5ヶ所の温泉だけが国に譲渡された。 * 1976年には、バースのロイヤル・ミネラルウォーター病院が、温泉の使用を止めた。 * 2000年には、現在残っている唯一の伝統的な温泉は、イングランド北部のダービーシアのバクストンにあるナショナル・ヘルス・システムにあるものだけで、これは2001年に閉鎖する予定である。(しかし、これは民間投資の驚くべき機会を提供する。)バースの場合で、この発展と衰退の周期的な歴史を要約すると、投資、成長、評判の時代は次のようになる。 * ローマ時代 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ 1〜3世紀 * 修道院時代 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ 12〜14世紀 * エリザベス朝およびスチュワート朝時代 ・・・ 16〜17世紀初期 * ジョージ1〜4世時代・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ 18世紀 そして、現在、 ミレニアム時代 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ およそ起源2000年 1976年医療制度は、バースの温泉水を水治療法に使用することを止めました。1978年にカウンセルの新しい余暇センターは、天然温泉に存在する病原性アメーバ(Neaglenia fowleri)の衛生上の脅威から水道水を使用しました。ミネラルウォーターの衛生管理が非常に手ぬるくなり、1978年には脳脊髄液に起きた珍しい菌株の細菌性髄膜炎により、11歳の子供1人が亡くなりましたが、その原因として最も疑わしかったのがミネラルウォーターでした。皮肉屋は、18世紀や19世紀の温泉施設は、すでに医療制度も地方行政府もそれらに再投資する意志を失い、非常に劣悪な状況にあり、死者が出たことは歴史的な温泉を完全に閉鎖するための格好の理由になったと主張します。そうゆうことかもしれませんが、20年間以上、バースの温泉は有益に利用されることはありませんでした。民間部門の投資家や経営者を引きつけようとマーケティング努力がなされたにもかかわらず、もはや確立した温泉利用者の国内市場がなかったので、バースだけでなく、イギリス全般で、商業的なリスクが高すぎるとみなされてきました。80年代と90年代にカウンセルに提供された主な5つの計画案のうち、最も成功に近いものでさえ、プロジェクトを実行可能にするために必要な投資の7割しか集めることができないだろうと推測された。 1993年経営コンサルタントは、バースの温泉プロジェクトの商業的実行可能性を評価しました。バース市の既存の外国人旅行者と、新たに発見された健康と福祉への関心による国内市場へのアピールについては楽観的でした。しかし、資本支出のレベルにおいては、需要不可欠な商業的リスク・レベルであることが確認されました。その当時、商業部門の支援として、資本コストの25%相当のこの地方への公的助成金または補助金が必要と勧告されました。その後、この温泉は、商業的価格設定方針によって、年間総収入の点では事業遂行が可能な状態を維持するので、その以上の公的助成金は必要ないだろうと思われました。 1995年に幸運にも二つの関連のない出来事が偶然重なったことによって、バース温泉プロジェクトが、コンサルタントにより算定された公的助成金を受けられる可能性が開けました。来るミレニアムを祝って、24億ポンド(4,080億円)という全国宝くじ計画によって、多額の基金が設立されました。どのようなプロジェクトでも提出することができましたが、ユニークで、全国的な重要性があり、地方共同体により支援され、受益者負担に応じた補助金を集めることができなければなりませんでした。二つ目の出来事は、バースにバース・アンド・ノースイースト・サマセット・カウンセルと呼ばれる新しい地方行政の枠組みができたことでした。その結果、温泉の再生をはかる最後の試みをいとわない、今までとは異なる行政府ができました。 このプロセスにおいて、住民や地方企業からの政治的ロビー活動が極めて重要で、公開会議や審議会やピーアール活動も重要な役割を果たしました。政界での議論では、とくに投資、雇用の創出、地方経済に対するドミノ効果、温泉再開により促進されると思われるその他の新しいプロジェクトなどに関する経済発展基準に基づいて勝利が得られました。 以前、経営コンサルタントが算出した助成金をまかなう資金をミレニアム委員会から獲得するために、1997年に、バース・アンド・ノースイースト・サマセット・カウンセルにより、プロジェクト・チームが設立されました。これらのコンサルタントは、事業計画を更新したり、カウンセルに投資や経営上の提案を提出するよう求められている商業部門から出された案を評価するために、資金獲得プロセスの間中、プロジェクトチームとともに働き続けました。プロセスのこの段階では成功の保証はなく、カウンセルは、資金獲得プロセス用の資金を調達するために35万ポンド(5,950万円)というベンチャー・キャピタルを提供することに同意しました。選ばれた商業上のパートナーもまた、このリスク資金を分担しなければなりません。 幸運にも、バースでは、温泉を再開するための、資金集めや積極的にこの計画を支援する運動をするために、1977年、元の温泉を閉鎖する頃に「バース温泉信託」という地域に基礎を置く慈悲信託が設立されました。信託の資金はささやかなもので、さらに資金を集め、他の地区からも支援を集める準備が出来ていました。地域住民やコミュニティーの18のグループ、全体で22,000名の住民を代表するバース住民協会連合もこの計画を熱心に支援し、財政的な支援を募るため「住民出資金計画」を提案しました。もっとも、これは正式な出資計画の形ではありませんでした。 このようにして、バース温泉プロジェクトの出資組合員の基金が集められました。市のカウンセルは、政治、個人、事業に基づくコミュニティー内から発生するリーダーシップ、参加意欲、意気込みなどを調整する役割を果たします。バース温泉信託は、カウンセルの仕事を支援し、結果として、その慈善目的の贈り物として完成した温泉を受け取る公正な単一組織となります、営利投資家および経営者は選抜されて、ミレニアム委員会からの50%の助成金を申請しなければなりませんでした。 EUの調達手続きのもとで、経営の成功、財務成長、安定性というサウンドトラック盤を持っており、決められた基準にしたがって温泉経営経験者として資格があるメンバー国の企業に関心を示してもらう必要がありました。イギリス国内の既存企業には、「温泉精神」、つまり真のヨーロッパの温泉の伝統と可能性や直接の経営経験を理解するバックグラウンドをもっている企業が存在しないことは明らかでした。最終的に、オーストラリア、ドイツ、ハンガリー、イタリア、オランダ、スイスに本社を置く8社の営利企業から、共同経営の申込を受けました。 商業および財務的な強さ、温泉精神と哲学、事業計画、マーケティング、建築、土木工学および設計、医療施設および経験、従業員の構成と訓練、環境意識、水および衛生管理を含む、温泉事業のあらゆる側面をカバーして、厳しい選別プロセスと監査手続きが確立されました。これは徹底したプロセスで、最終的にオランダに基盤を置く「テルマエ開発会社」を含む2社に絞られました。テルマエ開発会社は、最近、オランダのヴァルケンベルクに「テルマエ2000」と「テルマーテル」をネイメーヘンに「サナドーム」を建設して成功しており、このプロジェクトの共同経営への参画の誘いを受け入れました。 本来の目的は、以下の比率で、見積もりの1,350万ポンド(22億9500万円)を資金調達することでした。
上記の表の2つ目の欄には、見積もりコストが現在1,750万ポンド(29億7500万円)になっていることが示されており、その後の出資交渉と明細の変更に応じて、比率が調整されています。 4者の法的関係は、特定の企業構成、つまり、ジョイント・ベンチャー、共同経営、会社もしくは正式な出資契約によって決められているのではなく、財務上、経営上、資産所有関係をカバーする複合的な契約上の申し合わせのセットによって管理されています。 契約の複合的マトリックスは論理的で、それぞれのパートナー組織の独立性を維持するために必要です。それらの書類は、次ページのリストの通りです。 ●表1 ![]() ミレニアム委員会からかなりの資金を受け取るためには、重要な基準として、そのプロジェクトが公的な支援を受けており、またそのプロジェクトがサービスを提供する予定のコミュニティーの生活に相当な貢献をする必要があります。このことは、以下の問題に詳しく対応することによって立証されました。 * 過去のミレニアムを振り返り、新たなミレニアムを考える。 * 未来の世代の人々が国または地域の歴史上重要な意味をなしたとみなすようなプロジェクトにする。 * 地域社会の実際のサポートを示すために出資組合員の分担金を含める。 * ミレニアム委員会の資金なしでは、実行不可能である。 * 通常は、公的資金による支援を受けることができないし、別の宝くじ販売員の範疇にも入らない。 1996年11月から1997年11月までの間に多数の提案がなされ、1997年11月にプロジェクト費用の50%までの助成金を獲得することに成功したプロジェクトの最終リストが全国発表されました。全国で提出された2,000件以上のプロジェクトのうち、助成金を獲得できたのは、そのうちのわずか2%でした。温泉は、20年間の空白の後、再びバースの現実となり、コミュニティー全体がそれを祝っているようでした。 このようなプロジェクトを長期的に見る場合は、それが起源を持つ真の歴史的展望の中にそれを置くことが不可欠です。我々はバースの温泉がローマ占領のはるか以前から癒しや精神的な目的のために使用されてきたことを見てきました。最近、その遺跡の考古学的発掘により、温泉の周囲で、紀元前1万年から1万2千年(1万2千年から1万4千年前)の新石器時代の遊牧狩猟民の痕跡が発見されました。 歴史上少なくとも4回見られた温泉の大規模な再生または再建は、その結果として、必ずバースの周辺地域により広い復興と経済的繁栄をもたらしてきました。それが成し遂げられるときは常に、それは未来志向であり、バース市の長期的なあり方と繁栄に対する信頼と決意と信念の表現でした。その点では、今日のプロジェクトは、何世紀もまえから行われてきた成長と衰退のサイクルを繰り返しているに過ぎません。市が深刻な経済問題に直面するたびに、温泉の再建は、市にとって繁栄を取り戻してくれる唯一のプロジェクトであったし、我々は今回もそうであってほしいと考えています。 同時に、それに関連するライフスタイルの問題が、国際的なメディアで非常に目につきます。情報、印刷、電子メディアでは、健康、美容、フィットネス、栄養やダイエット、減量、福祉、スポーツによるケガの治療、手厚い世話、補完医療や治療、精神性、脱ストレス、解毒、そして環境全般の質に関する話題が、大変なブームになっています。 ヨーロッパの温泉に対する行政の直接支援が一貫して減少するにつれて、温泉を楽しめる人々は、直接の支出だろうと、保険の適用だろうと、あるいは労働者の機構を通じての支払いであろうと、自分の福祉に対して自分で支払う人がますます多くなってきています。現在では、国家医療システムは、もはや頼りにされておらず、人々は自分の余暇や可処分所得は自分の健康の心配をするために使うべきだと考えています。したがって、我々は、多くの人が考えるように、今は温泉にとっての好機だと考えています。レジャー/観光市場が健康市場と出会うころには、完璧な製品、つまり「温泉」が存在し、急速な成長に向かっている健康志向の観光とともに、そのチャンスはただ感じられるだけでなく、現実のものとなりつつあります。 バース温泉自体は、比較的規模が小さく、直接の雇用創出効果はささやかなものではありますが、すでに隣接地が拡張された温泉施設、新しいレストラン、ホテルやカジノなどのために売買されつつあります。このプロジェクトは、平均90名のスタッフを雇用して、一日15時間、一年362日営業する予定です。 スタッフの内訳は以下の通りです。
地域の人々が温泉で創出される新規雇用の大部分を占められるように、温泉オープン前に、市内の大学に訓練プログラムが準備され、地域住民が必要な技術訓練を受けられるようにしています。 いったんプロジェクトが完了したら、バース温泉信託が150年の名目家賃でその財産を引き継ぎます。つまり、カウンセルには資料の支払いはなされません。それから、その資産を営利パートナーのテルマエ開発会社に50年の期間で転貸し、その間に初期投資を取り戻し、中期的に十分な利益をあげながら、同時にバース市に対して長期的な財産的義務も負います。純利益は、75%が鋭利経営者に、12,5%がカウンセルに分配されます。信託は経営者からも資料を受け取り、カウンセルは温泉水の供給に対して年間支払いを受けます。 温泉の遺跡は、市の中央、ローマ浴場だった場所の中心にあり、メインのショッピング街から100メートルの位置にあり、1998年には92万人の有料入場者があった世界的に有名なローマ浴場美術館からも100メートルの位置にあります。複合温泉は、バース・ストリート、ホットバス・ストリート、ボー・ストリート周辺の3つの遺跡と、整地された一つの遺跡からなっています。ボー・ストリートには、登録(保護)されている歴史的建造物が5つあり、すべて保護・維持された区画は、天然温水を使用した1920年の市のスイミングプールの場所だったところです。敷地の面積は1650平方メートル、建築物の面積は合計3980メートルです。 最小だが最も印象的な歴史建造物は、18世紀の構造物の外観を呈したクロスバスです。クロスバスは物理的に90度回転した形で、1791年に建造されたコロネードのあるバス・ストリートに左右対称に面しています。しかし、その建物は、狭い路地と路地の間に挟まれた三角形をした中世の浴場の遺跡にあります、その構造物の下には、バースの3つの天然温泉の一つ、クロス・スプリングのすぐ隣にある、地下貯水タンクまたは貯水池があります。地下貯水タンクの下には、ローマ時代以前の祭壇の隣に、ローマ時代の土台があり、2000年以上もこの遺跡が宗教的な目的と治療目的の両方に使用されていたことを示しています。クロスバスの裏には、1174年に創設されたセントジョーンズ・ホスピタルの18世紀の建物があります。セントジョーンズ・ホスピタルでは、裕福な貴族客が流行の浴場を利用するように、病人や貧しい人や年を取った人々が治療用温泉を使用することができました。 さらにホットバス・ストリート沿いには、1790年代の道路拡張により、再び道路に面するようになった1680年の切形の邸宅、ヘトリング・ポンプ・ルームがあります。これは、バースにあるジョージ1〜4世時代の絶頂期の8つのポンプ・ルームの一つでありました。申込者は毎朝ここに、お通じをよくしたり、血液をきれいにするために処方されたミネラルウォーターを飲みに来ました。この建物には、イギリスの温泉の歴史に関する小さな展示があり、温泉のビジターセンターかつ情報センターになっています。 遺跡のメインブロックは、クロスバスとヘトリング・ビルディングに面しており、No7バース・ストリートを構成しています。この通りは、温泉のメイン・エントランスになり、レストランや個別コンサルティングルームが作られる予定です。No7とバース・ストリートに挟まれているのは、No8バース・ストリートです。これは、市の古い城壁の南門とギルド集会場から移動された中世とジェームス1世時代の彫刻をすべて所蔵するために1789年に作られました。城壁と集会場はどちらも、バースを世界的に有名にした完全な18世紀都市の景観を作り上げたジョージ1〜4世時代の大規模な都市再建計画に道を譲って破壊されました。No8は、「古代の遺物の館」として知られていました。いわば最初の市の博物館で、紳士達はそこで彫刻をスケッチする時間を待っていたのでしょう。 すぐ南には、若い方のジョン・ウッドによって設計された1787年のホットバスがあります。ここには、洗濯設備の付いた更衣・休憩所が8室ありました。それぞれに、第二天然温泉であるヘトリング・スプリングの温泉を使った露天の中央温水プールへ降りていく入り口が別々に付いていました。この小さくもすばらしい古典的な建物は、幅の狭い中世のホットバスに取って代わりました。そこには、セントジョーンズ・ホスピタルによって管理されている隣接の癩病患者が使用するための、水が溢れるようになっている小さな浴場がありました。この建物が使用されたのは、1976年に水治療のためにリューマチ専門のロイヤル・ナショナル・ホスピタルが使用したのが最後です。この時以来、閉鎖され、再開発を待ち続けていました。これは、中央プールを囲むように10の個室が並ぶ、温泉プロジェクトの主な医療用スペースあるいは「予防所」となる予定です。各部屋には、公認開業医がおこなう補足治療や補足療法の範囲で使用するために温泉水が供給されます。 ホットバスの裏には、1927年のスイミングプールの遺跡があります。これは、最近、主要な建築契約を開始する前に、1年間にわたり考古学的な発掘が行えるようにするために破壊されました。これらの発掘により、残存している中世考古学の断片の上にある、18世紀初期から19世紀の温泉建築物の詳細が明らかになりました。この遺跡から、大規模なローマの構造物の痕跡が発見されました。それは別々の大きな浴場か、東方100メートルの位置にある近くのローマン・バスを拡張したもののいずれかで、もしかすると、これにより、この浴場はローマ帝国全体でも最大の複合浴場の一つとなっていたかもしれません。ローマ時代の地層の下には、天然の川の渓谷の段丘があり、初期新石器時代の狩猟民の痕跡が発見されました。 新しい温泉の建物の敷地は、周辺の構造物はすべて法令により保護されているという歴史的な都市の中心に位置します。何年にもわたり、カウンセルが行ってきた保守的な政策と伝統を守りたいという欲求の強さが、経済的投資に水を差す傾向があり、ここ何十年はどんなに新しい建物が建築されても、昔のもののコピーになりがちで、伝統的な広場を損なわないようにして、できるだけ早く簡単に建築許可を得ようとするために、「ごたまぜ」建築になっていました。しかし、今回は、カウンセルもミレニアム委員会も、歴史的な建築物を補完し、それらと対照をなすような卓越した現在建築を作ることを望みました。このプロジェクトは、市の過去と同様、市の未来にも関わっています。これは難しい挑戦でもあり、大きなチャンスでもあります。ヨーロッパ中の140以上の建築事務所がこれを認め、温泉プロジェクトの設計契約を獲得しようと依頼がありました。 その結果、構造、機械、電気、水処理のために、ロンドンのニコラス・グリムショー・アンド・パートナーズと、保全のスペシャルリストのドナルド・インソール・アンド・アソシエーツと、技師のオーブ・アラップ・アンド・パートナーズを選択しました。照明、ファサードの窓ガラス、芸術家の委任など、その他の専門家を加えたこの統合チームは、5つのフロアーにすべてのレジャー施設を擁する新しい建物のために、難しい囲われた都会の遺跡を活用して、視覚的にも刺激的な構想を作り上げました。グリムショーは、多くの点でプロジェクト・チームを感動させましたが、とくに以下の点が印象的でした。 * 構造的な形態の使用 * 窓ガラスの大胆な利用 * 照明技術と照明システム * 水を建築の重要な一要素として使用する経験 バースの世界的に有名な古典建築に刺激されて、このような創造性が発揮された結果、小さくて繊細な遺跡にあまりがっちりした建物を詰め込みすぎないようにしながら、実際の規模や特殊な条件の点で、この遺跡の可能性をフルに活用したすばらしい設計が生まれました。公的な活動と私的な活動の間の内部空間の配置は、建築上の形態に反映されており、その結果、「建物の中の建物」という考えが生まれました。この考えでは、内部空間は、ウッズのホットバスの建物の四角い基礎案から直接その足跡をたどる石の立方体の中に含まれます。この立方体は、4本の柱の上にあるメインの温水プールを貫通して、床から生えており、そこには更衣室、マッサージ室、リラクゼーション室があり、トルコ式風呂やサウナ室と屋上温水プールと同じ高さになっています。 ウッズの建物より引っ込んだ形で建てられているこの立方体は、それから周囲を窓ガラスの壁で包まれています。この窓ガラスの壁は、他の既存の建物と様々な高さで物理的につながっている。この「裏返し」のアトリウムには、歩道、傾斜路、橋、エレベーターや階段、その他のサービスが備わっています。これは、屋上プールの高さよりも一階分低くなっており、ダイニングやリラクゼーション用の屋外テラスを作っています。これより高くなっている屋上プールでは、一年中、どんな天気でも朝から夜遅くまで、バースの町中を丘陵や周辺の田園まで見渡せる屋上の景観を楽しみながら、屋上の温泉にはいるというユニークな経験ができるようになっています。サウナ室のフロアーも、スチームフロアの本体内に、4つの別々のガラス製のスチーム用縦溝があり、忘れられない経験となるでしょう。これらには、様々な温度のスチームと、呼吸困難を緩和したり、皮膚に潤いを与えたり、油分を与えるために使用されるユーカリやシトロンなど、様々なオイルが含まれています。冷たい水が落ちているのが特色で、石のベンチが外の壁の周囲にあり、中央の霧状になった冷水が、独特の照明効果で趣きを添えます。 屋内外にある2つの大きな温泉プールは、深さ1,4メートルで、渦巻き、ジャグジー、バブルジェットなど様々なベンチや、運動障害のある人々が水に入る際に使用する乗降板の付いた首や肩のマッサージ用ジェットバスがあります。この水処理システムは、濾過、オゾン除去をおこない、残留塩素を最小限におさえています。この処理システムは、一日当たり合計125万リットルを排出する3つの温泉すべてから温水を受け取ります。温泉すべてから温泉を受け取ります。温泉からは、熱が抽出され、複合施設全体の暖房と空調のエネルギー源も提供されています。このシステムはホットバス「予防所」の温水プールと、地域のコミュニティーに優先的に利用してもらう予定の小さな屋外プールであるクロスバスへの水も供給します。クロスバスは、神聖な場所として登録されており、クロス・スプリングの特別な治療効果を信じている人も多いので、使用を希望する人なら誰に対しても使用を拒否しない予定です。 このプロジェクトのための調査をしている間に、18世紀に浴場、とくにクロスバスに加えられた変更を示す失われていた図面が出てきました。この情報は、このように小さくて貴重な構造物のための非常に繊細な計画を作る上で大きな助けとなりました。クロスバスの扱い方に関する態度はバースでは様々で、この遺跡は、黙想、リラクゼーション、礼拝のための場所として残しておくべきだと信じる人々もいます。しかし、できるだけ多くの温泉水を浴場に利用できるようにして、しかもそのコストをできるだけ低く抑えなければならないという、このプロジェクトを推進する上での原則が常にありました。したがって、クロスバスは、利益を出して経営することはできません。利益が出れば、カウンセルはカウンセル自体に温泉の管理を任せながら、バースの市民全員に温泉水を与える権利を与えた1590年のエリザベス1世の王室特権を守ることができるでしょう。 プロジェクト・パートナーが同意した事業計画は、バースの既存の訪問客市場の詳しい分析と調査に基づいています。この調査は、毎年、地方観光議会によって、全国モデルに即して実施され、作成されます。観光事業の経済的な影響は、3つの重要な部門に分けられます。
これは、市の観光情報センターによる調査の数字、ローマ浴場博物館の来客数の詳しい分析、この地域のベッド数の詳しい分析により裏付けられています。この調査は、以下のように要約できます。 * バース・アンド・ノースイースト・サマセットには、年間93万8千人の滞在客(日帰り客)があると推定される。約65万人(69%)は国内の客で、約28万7千人(31%)が外国からの客である。 * 宿泊客について最も重要な宿泊設備の種類は、サービス付きの宿泊施設(ホテル/ゲストハウスと朝食付き宿泊)で、旅行の63%を占める。次に重要な宿泊のカテゴリーは、地域住民宅への宿泊で、旅行総数の22%を占める。 * バースへの滞在旅行全体のうち半数(51%)は、休暇旅行である。残りの5分の1余り(21%)は友人や親戚の訪問、続いて出張(17%)、語学研修(6%)、その他(5%)であった。「その他」には、教育、健康、スポーツなどが含まれる。 * 休暇旅行は、英国民(国内)の旅行の半数以上(52%)を占め、短い休暇も比較的長い休暇と同じぐらい一般的である。残りのうち、友人や親戚の訪問というのが、バース・アンド・ノースイースト・サマセットへの滞在旅行の最も一般的な目的で(24%)、続いて出張(18%)となっている。 * 外国人のバースへの旅行は、休暇(英国民52%に対して48%)や出張(英国民18%に対して13%)という目的はやや少なく、友人や親戚の訪問も少ない(英国民24%に対して16%)。しかし、語学研修旅行は、かなりの率を占めている(20%)。 * 最低3時間、20マイルの周遊旅行で、自宅からの不定期な日帰り旅行は、推定193万人であった。 * バースへの観光客による複合支出は、1億8,400万ポンド(1997年)で、41%がイギリスの滞在客、34%が外国人観光客で、24%がこの地方以外の自宅からの日帰り旅行者であった。 * バースの宿泊部門では、5,070万ポンドが使われ、小売業では、4,130万ポンド、給食産業が4,070万ポンドであった。市内の輸送(駐車料金、ガソリン、運賃等を含めむ)は、3,520万ポンド、アトラクションや娯楽の売上は1,620万ポンドであった。 *全体として、バースでは、観光事業に直接支えられているフルタイム相当の仕事が3,540人分ある。39%が宿泊部門、26%が給食部門である。これを間接的に生ずる仕事と合わせると、合計で、4,779人分のフルタイム相当の仕事があることになる。 * (フルタイム相当の仕事とは対照的に)実際の仕事という点では、6,636人分の実際の雇用が観光支出によって支えられている。うち79%は、直接の効果である。 * この研究により、観光支出によって支えられている6,636人分の実際の雇用は、バース・アンド・ノースイースト・サマセットの経済的に活動的な人口、推定79,200人の8%にあたることがわかる。 この研究に伴う事業分析では、潜在的な温泉利用者の国際市場での傾向が調査され、それらがやや詳しく調べられました。明らかになった一般的なパターンは、互いに調和したり、同時進行しているようには見えないが、全体として、すでに海外旅行をしている人々の間に有望なトレンドや傾向があることを示しました。幸いにも、このパターンは、バースがその「伝統的都市という製品」によってすでに達成している既存の外国人客のプロフィールとぴったり合っています。市場の「ニッチ」は、簡単に特定することができました。この国別の比率は、概ね以下の通りです。 北米 ・・・・・・・ 463,O00 ヨーロツパ ・・・・ 319.000 その他の国々 ・・・ 58,000 合計 ・・・・・・・ 840,000 年間の外国観光客数 国内市場は訪問者数193万人で、地域の日中の買い物客市場の客数は125万人です。(Deloitte&Touche、1995)。このように、温泉の再開による新事業を誘致しなくても、すでに合計で訪問者数389万人という既存の市場が存在しています。 平均滞在日数はちょうど3泊で、複合市場領域と市場浸透分析により、温泉で達成された訪問者の滞在日数は、33%は新しいバースへの滞在客で、18%は新しい日帰り客になるでしょう。温泉利用者との差(49%)は、既存の客や地域の利用者からのものと思われます。それから、これは、宿泊滞在数とひいては地域経済への支出に重大な影響を与えますが、訪問客数の増加を最小限に抑えるという基準にも合致するでしょう。これは質対量の議論で、もし達成されれば、市内のすべてのスペアベッドの容量はいっぱいになり、さらに新しいホテルの開発という圧力が発生するでしょう。(これは実際にすでに発生しており温泉は2001年の秋までオープンしない予定) 市場領域は、市場全体の比率で以下のパーセンテージで以下のカテゴリーに分類されました。
既存の市場領域のカテゴリーのうち、それぞれが、各カテゴリー内の支出パターンに関連した様々な余暇活動とトレンド指標を使って、潜在的な温泉利用について別々に分析されました。その結果、上記の表の2つ目の欄に示されている温泉の目標市場として確認された各市場領域カテゴリーの比率(パーセンテージ)の数値が算出されました。 経営3年目の安定した年以降の事業計画で使用された数字だが、以下に示すように、温泉の収容能力の利用率100%と利用率60%という数字が、収入の流れを計算し、変化率を設定するために使用されました。
すでに述べたように、温泉は継続して公的収入助成金は受け取らない予定です。バースの温泉が財務的に成功していると感じられ、実際にそのように見られることは、パートナー全員、そしてイギリスの温泉全般の動向のためになります。したがって、開業費用は、それを達成し、オープン後3年以内に利益をあげることをもとに算出されています。したがって、価格は以下のように決定されました。 温泉施設◆
◆2001年12月オープン * 中央政府に対する付加価値税@17,5%を含む。 **すべて1ポンド=170円で換算。 温泉で直接創出される90名分の雇用に加えて、独立の経済影響分析により、周辺地域のサービス部門、新しいホテルやレストランからパン屋やメンテナンス要員や洗濯屋まで、さらに190名分の雇用が間接的に創出されるだろうという結果が示されました。温泉の年間収益は、350万ポンド(5億9,500万円)(3年目には事業計画が安定)で、これがさらに地方経済に500万ポンド(8億5,000万円)の間接支出を創出するでしょう。したがって、他のパートナーシップ資金のレバレッジ、直接間接の雇用創出および地域経済への支出に対する継続的な影響という点で、カウンセルは、プロジェクトへの自らの直接資本投資を、非常にコスト効率の良い投資と考えています。温泉によって発生する純利益と将来の可能性に匹敵するような別の地方プロジェクトを見つけることは、現在、非常に難しく、率直に言って、そうゆうものは存在しないと言えます。 主な温泉複合施設の建設は、2000年4月に始まり、一般公開は2001年12月の予定です。プロジェクトを強く印象づけるプロセスが目下進行中で、2000年11月にロンドンのワールド・トラベル・マーケットで国際的な観光業に乗り出す前に、市場で試験される予定です。続いて、2001年12月まで取引や消費者マーケティング、ピーアール、インターネットやメディア・プロモーション、特別な呼び物の建物といった大規模なプログラムが続く予定です。 非常に駆け足で、私は、以下を含め、本当にすばらしいプロジェクトのあらゆる面をすべて網羅しようとしてまいりました。 歴史的展望 イギリスの温泉閉鎖の背景 世界遺産の都市 バースにおける現在の観光市場 温泉再生を成し遂げる努力 バースで取られたパートナーシップ・アプローチ 資金調達及び契約の申し合わせ 市場計画と事業計画 建築案と開発案 プロジェクトの幅広い経済的影響 そして最後に、 先進国がかつてないほどに個人の健康に関心を抱くようになった時代について本当に楽観的になれる理由。 私は明らかに、過去3年間、私の生活を乗っ取ってしまったこのプロジェクトに完全に好意的な偏見を抱いています。しかし、私はバース温泉プロジェクトについて合理的で幅広い根拠に基づいた分析を示すことができれば、と思います。 皆さんが判断する方法は、ただ一つ、それは2002年にバースを訪れる計画を立て、ご自分の目でご覧になることです。皆さんを大歓迎いたします。「健康と温泉FORUM2000」にお招き下さった主催者の皆様に感謝を申し上げて、終わりたいと思います。 非常に光栄でした。ありがとうございました。 |