NPO法人健康と温泉フォーラムは医療、環境、施設等、温泉保養地に関わるあらゆる分野における専門家を中心とした団体です。
FORUM REPORT FORUM'99
 
■パネルレポート2 

温泉と健康の街づくり―これからの温泉のあるべきすがた

      

リハビリテーションセンター鹿教湯病院 名誉院長
  藤田 勉

昭和5年北海道生まれ。昭和35年東京医科歯科大学医学部生理学大学院修了。昭和39年米国にて動脈硬化に関する研究、東京医科歯科大学医学部講師、信州大学医学部非常勤講師、鹿教湯温泉療養所(後に現在名に改称)所長などを経てリハビリテーションセンター鹿教湯病院名誉院長、長野大学社会福祉学科非常勤講師。日本農村医学会、日本循環器学会関東甲信越地方会などの評議員をつとめる。専門分野は循環器学・リハビリテーション医学・温泉医学。著書に「老化に挑む」「脳卒中最前線」「リハビリテーションを始める人のために」など。平成8年環境庁第15回温泉関係功労者表彰。



湯治場であった日本の主たる温泉地が1980年前後の有史以来の好景気により豪華なホテルや娯楽施設の建設ラッシュとなり、娯楽・慰安の場となった。温泉井戸の新規掘削は経済発展の指標の一つともさえ言われ、これと共に温泉源の探索や掘削技術法は飛躍的に進歩した。1988年竹下内閣の地域振興費「ふるさと創生1億円事業」の交付を受けた全国の3287市町村の1割を越す354自治体が温泉掘削資金に投入した。
 昭和10年日本全国の温泉地数863、源泉数5889であったものが、平成8年末にはそれぞれ2565、25455となりまさしく世界一の温泉国となった。
 しかし1990年代に入りバブル経済の崩壊の不況風は温泉地、特に娯楽温泉をかかえる温泉地に大きな影響をもたらしている。どの様にしてこの不況を乗り切るかが各温泉地の現在の問題であり、今回のフォーラムの大きな課題でもある。演者が鹿教湯の地を健康の郷にしようと考え努力した経験を振り返り今後の温泉地のあり方の参考になれば幸いである。

1.1970年頃の鹿教湯温泉
 演者が鹿教湯温泉療養所に赴任した当時、日本は高度成長政策への真っ最中であったものの鹿教湯の地は松本へのトンネルもなく、一般道路整備も不十分な全くの過疎地であった。パチンコ屋の一軒もなく温泉地のど真ん中に鹿教湯温泉療養所の一部のみが近代的設備であったに過ぎない。しかしリハビリテーションという医学をこの地で初めて学んだ演者にとってまず驚いたことは鹿教湯温泉全体がリハビリテーションの場になっていることであった。町の中には車の往来はほとんどなく、手足の不自由な患者にとってはすべての道が歩行者天国の様なものであった。旅館街から文珠堂や広場への道は坂道も多いが角度が緩やかな坂道で内村渓谷にかかる五台橋には全国でも珍しい屋根付き、ベンチ付きの橋がかかっている。急な階段も昇降しやすい様になって左右の手すりもついており大きな杉をくぐれば文珠堂に参拝できた。迂回すれば車椅子でも行ける道もある。買い物も商店の人達は障害者の接し方は心得たもので言語障害者も気軽に買い物をしている風景があちこちに見られた。鹿教湯温泉地元若者達の中には当時栄えていた戸倉上山田温泉地の様に娯楽温泉にすべきという意見もあった。演者はここをもっと日本の代表的なリハビリテーションの地としての町全体の公園美化、そして障害者を含めた人達の健康増進や芸術鑑賞が出来る劇場を作り欧米型に近い温泉地にすべきことを提唱した。当時療養所は冬場には木造の病棟は患者が激減するため、健康保養客を集団保養として受け入れていた。療養所の一部が冬場には旅館化するので我々も旅館組合の一員でもあった。その為に発言しやすかったこともあり、多くの人が演者の意見に賛成を得ることが出来た。病院の近代化(昭和47年から)にあたっても外来者も使いやすい多目的講堂を併設した。町の人達は町の美化、遊歩道づくりもできた。近代化着手と共に長野県農協との温泉保養の宿泊はすべて旅館を指定宿泊施設とし、一週間の献立はすべて病院の栄養士が作成することとした。参加人数も病院の近代化完成とともに急速に増加し、年間2000人足らずであった実人員が1万人を越すに至った。昭和52年、病院と地元の人達との協力関係を組織化する話がまとまり、翌53年鹿教湯温泉保養協会が誕生した。年に1回は健康に関するイベントを開催し、農協保養事業と同じ様な一週間単位の保養希望団体の募集、そして温泉会館(現在のクアハウス)の建設(1983年)、常勤トレーナーの配置等、日本のよい時代であった背景もあり割合スムースに構想を実現していくことが出来た(表)。鹿教湯を利用する総数延べ年間30万人位足らずから数年で10万人増加することが出来た。しかし欧米型の温泉地にはまだまだと構想を練っているうちに病院自体が医療費抑制等による経営方針の大転換を余儀なくされ、温泉保養協会の事業も一時的に停滞せざるを得なくなった。

2.現代人の温泉地に望むもの
 現在の不況下にあっても最近出来た市町村が掘り当て建設した各地の温泉館は極めて盛況である。大衆は決して温泉離れをした訳ではなく、無駄な宴会や接待に費用をかけなくなったのである。経営努力によってはこの不況下でも経営のよい温泉旅館があり、この差がひどくなっているものと思われる。
 以下現代人が求めている温泉地及びこれに付帯すべきものを列挙する。
 @環境汚染や消毒臭の強い水に民衆は飽き始めている。温泉地に良い水を期待し、おいしい水を求めている。
 Aストレス社会から1日でも逃れようと大自然の展望や、空気そして露天風呂への入浴を求めている。
 B療養や老いまたは障害を受けた手足は痛み・筋肉が硬くなっており適度の温泉入浴や気泡・圧注による刺激を求めている。
 C入浴後のおいしい水は決してアルコール飲料水ではなく普通の良水である。
 D日進月歩の医学や多くの学問の発達は人間の生き方に大きな光や希望そして夢を与えるようになり、あらゆる世代が知識欲旺盛でしかもこれを満足させることが出来る時代になっている。従来の静養と保養さらに体力増強やリハビリテーションに上記項目を加えた心理的・知的療法とも言えるプログラムを温泉地は持つべきであろう。

*付帯資料は作成中


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