| FORUM'99 |
| ■パネルレポート1温泉保養の原点 NPO法人健康と温泉フォーラム副会長 井上 昌知 ![]() 昭和8年生まれ。立命館大学法学部卒。昭和33年厚生省入省。医務局、楽務局、大臣官房人事課にて人事管理及び病院経営の業務を担当後、環境庁に出向、自然保護局施設整備課長として国立公園の施設建設及び利用普及の業務に携わる。その後厚生省所管の特殊法人である社会福祉・医療事業団の医療貸付部長を経て現在(財)国民休暇村協会常務理事。専門分野は病院及びホテルの経営管理。NPO法人健康と温泉フォーラム副会長。 1.石和の青空温泉 石和町役場発行の「1998年町勢要覧」によると、1961年1月24日、保養所建設を企画した民間会社の手によって温泉が掘り当てられ、地下150メートルの掘削によって摂氏60度、毎分1,200リットルの温泉が噴出し付近の小川に流れ込んだとあります。そしてさらに次のように述べられています。「石和温泉郷の幕開け『青空温泉』の出現です。ほどよい湯加減となった小川にはにわか湯治客が近郊から押し寄せました。ブドウ棚や柿の木に衣類を掛け、弁当を広げたり一献傾ける様子はマスコミで紹介され、石和の名は一躍全国にとどろきました。」と。 何と素晴らしい情景でしょうか。そこには先ず温泉があります。そして温泉の周りには果樹園が広がり青空やおいしい空気やそよ風などの豊かな自然が温泉を取り囲んでいます。人々はその自然の恵みを心ゆくまで満喫し、心身のリフレッシュをしているのです。それに加えて自分で用意した弁当やお酒を楽しみながら。すべてが温泉から始まり温泉を中心にして回っているのです。ここに温泉保養の原点があるのだと思います。 2.地域経済との結びつき しかしながら、小川で温泉を利用しているだけでは地域の経済効果はほとんどありません。また、利用者もそれで満足しているとは限りません。温泉を利用するための施設がいろいろあった方が良いと思うでしょう。石和の場合は二つの方向に発展しました。一つは療養温泉地としての発展です。石和には温泉病院が6施設ありその病床数は1,101床と聞いております。日本の病院の一般病床は人口10万人あたり約1,000床ですから、石和の場合は約4倍の病床があることとなり、診療圏がかなり広いと考えられます。その意味では療養温泉地としての機能があるといえます。この機能により地域経済の振興という点からもそれなりの効果はあるのでしょうが、医療は公益を目的として行うべきものですから限度があります。 もう一つの方向は観光温泉地としての方向です。観光温泉地の定義は必ずしも明確ではありませんが観光や遊興に重点をおいた温泉地をいいます。日本では源泉とそれを利用するための宿泊施設がある地域を温泉地と呼んでおりそれが温泉地にとって最も重要な施設と考えられています。したがって宿泊施設に従事する人の数が最も高くなるのが普通ですが、観光温泉地ではバー、酒場、芸妓屋などの従事者が多いためこの割合が50%を下回っています。このような観光温泉地は昭和の初期にすでに存在していましたが、昭和30年代の日本経済の高度成長期に多くの温泉地が観光温泉地化したといわれております。温泉地における観光施設や遊興施設の増加は宿泊施設や食事の水準を上げ、温泉利用者の消費を拡大させることとなり地域経済の振興をもたらすこととなりました。しかし、それが行き過ぎるとかえって害になります。遊びが優先され温泉保養は二の次となってしまい、温泉を本当に愛している利用者の満足が得られなくなってしまうからです。満足しなかった利用者は二度と来なくなります。 3.地域経済振興の道 経済が成長し社用族が多く、個人の所得もどんどんと伸びているときは観光温泉地も繁盛するのでしょうが、今日のように経済が低成長さらにはマイナス成長の時代となれば旅行の形態も変わります。接待旅行や社員の慰安旅行は激減しました。数年前から宿泊料金の価格破壊が進んでいるのはよく知られているとおりです。 昔から温泉には療養、保養、休養の三養ありといわれております。療養は特定の病気を治療すること、保養は健康の維持、増進を図ること、休養は疲れた体を休め元気を回復することです。温泉医学の立場からは温泉保養には三週間程度の滞在が最も好ましいといわれております。一日当たりの単価が低く滞在ができるような料金の設定が適しているのです。小川で温泉を楽しんでいる段階では休養です。それをさらに進め宿泊施設が建設されたのは休養をさらに一歩進めて保養にまで高めようとしたからにほかなりません。保養には温泉医学の知識が不可欠です。石和には立派な温泉病院がたくさんあるのですからそれとの連携を密にされて、高齢化が進み健康が極めて大きな関心事である現在の社会に最も適した温泉地づくりを進めることこそ地域経済を振興させる最良の道であると信じています。 |