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受託調査研究

温泉地リーダー専門家会議「滞在型温泉保養地の取組み」(2005年8月)


(中田裕久)
それでは皆さん、ご出席予定メンバーが全てそろったところで、これから滞在型保養地調査研究委員会専門家会議を開きたいと思います。みなさんには専門家会議の資料はすでに配布されてるかと思います。これに従って2時間程度ですが皆さんとご意見を交わして行きたいと思います。本日は遅れましたけれども暑い中、皆さんにとっては、かきいれどきの中、集まって頂き大変有り難うございます。厚く感謝申し上げます。それでは議事議題に沿って参りたいと思います。初めになぜこの専門家会議を設けたかという趣旨につきまして奥村副会長より発言を願いたいと思います。

(奥村明雄)
皆様方には、大変お忙しいところ、また、遠路はるばるお越し頂きまして、誠に有り難うございました。私、奥村と申します。こちらにいらっしゃる奥村さんと同じ名字でありますけども。昨年の6月からこの実行委員会のお手伝いをさせて頂いてます。どうぞ宜しくお願い申し上げます。本日は滞在型温泉保養地研究委員会の専門家会議と言うことで実際、温泉地の運営、管理、経営に携わっておられる皆様方においで頂きまして、自由闊達なご意見をお願い出来ればというふうに考えた次第でございます。申し上げるまでもなく、大変今、温泉地の経営というのは、大変厳しい状態にあるように思います。従来の歓楽方というような形は難しくなっているのは当然でありますけれども、新しいイメージというのは固まってこないまま、皆様方、大変悪戦苦闘されているというのが現状ではないかと思います。私どもの健康と温泉フォーラム実行委員会は健康と保養を軸といたしまして、長期滞在型の温泉地形成というものを目指して、毎年各地でフォーラムを開催いたしますと共に、国内各地の温泉地や海外の温泉地の情報を集め、広く普及啓発に努めて参っているところでございます。しかしながら、まだその考え方が充分広まったとは言えませんし、依然としてイメージが固まらないまま、難しい状況が続いているということではないかと思います。しかしながら、最近では小泉内閣の、いわゆる海外観光客を主に増やそうというような計画が出ました。また、工場が海外に移転して、空洞化が進む中で貴重な資源である温泉地を生かした経済の活性化、そういうことが重要だというような考え方が広まっているように思います。私どもの実行委員会では、今日おいで頂いています日本政策投資銀行からご依頼を頂きまして、滞在地型保養温泉地のあり方につきまして本年度研究を行うことに致しております。特にその中で全国の温泉地に関心を持つ学者の方々、あるいは温泉地の関係者、マスコミの関係者、自治体関係者など幅広い方々、有志記者の方々、100人を選定して「100人アンケート」というものを実施しこれを元に滞在型の保養温泉地のあり方について、問題点の把握と解決策の展望、出来れば政策的な提言、というようなことを行って参りたいと考えているところでございます。本日は全国の温泉地のいわばリーダーというべき方々の皆様方にお集まりを頂いております。こうして私どもの問題意識、あるいは調査研究のあり方、あるいは温泉地活性化のあり方などについて、是非自由闊達な御議論を頂ければ幸いでございます。せっかくの機会でございますので皆様方の御議論はこれからの調査研究の中にも取り入れ、内容の濃い調査研究にしていきたいというふうに思っております。どうぞ宜しくお願い申し上げる次第でございます。お忙しいところお時間をさいて頂きました事を重ねて御礼申し上げ、ご挨拶と趣旨の説明をさせて頂きました。どうも有り難うございました。

(中田裕久)
それでは、政策投資銀行の代表の方に一言ご挨拶を頂きたいと思います。

(小山)
政策投資銀行事業再生部の小山と申します。本日は皆様方、大変お忙しいところお集まり頂きまして誠に有り難うございます。我々、昨年初めて「健康と温泉フォーラムいわき」に参加させて頂いて以来、いろいろ交流をさせて頂きまして、いろいろディスカッションを重ねてきて参りました。普段、我々事業再生部というのは旅館の再生という、個別の旅館の再生ができないか、みたいな話を考えているんですけれども、なかなか個別の旅館だけでは限界があるなぁというふうに思っていたところ、こういった多面的な地域の再生みたいな形でなにかできないかというようなことをいろいろ話をさせて頂いた中で一つのソリューションとしてこの滞在型温泉保養地みたいなビジネスモデルがあるのではないかという話を頂きまして、それに関して私どもの方から健康と温泉フォーラム実行委員会へ調査委託をさせて頂くということでこの話が進んでいるところです。先程、奥村さんの方からお話がありました様に本日は専門家一部リーダーの皆様にお集まり頂きましていろいろそのご教授頂きまして今後の調査の方向性に何か大変役に立つようなお話が賜れると思いますので、そういった形で今日お忙しいところお集まり頂いた次第でございます。今日はいろいろな有意義なお話をお伺いできるよう楽しみにして参りました。宜しくお願いいたします。

(中田裕久)
それでは、順序は逆になりましたけれどもここでこの席にお集まりの皆さんのご紹介を自己紹介という形で順にして頂ければと思います。それでは溝口さんの方からお願い致します。

(溝口薫平)
九州の湯布院の玉ノ湯の溝口でございます。どうぞ宜しくお願いいたします

(奥村武久)
道後温泉の大和屋本店の奥村と申します。宜しくお願します。

(首藤勝次)
大分県の長湯温泉の首藤と申します。長湯温泉というのは皆さんご存じない方も多いのではないかと思いますが溝口さんの所の湯布院の温泉地からひと山越えた処になります。ちいさな温泉地であります。そこからやって参りました首藤でございます。どうぞ宜しくお願いします。

(上口昌徳)
石川県の山中温泉でかよう亭を営んでおります。上口です。宜しくお願いします。

(鈴木和江)
伊豆のセンターのど真ん中の観音温泉と申します。宜しくお願いします。鈴木でございます。

(鶴田浩一郎)
大分県3人目でございますけれども別府温泉のホテルニュー鶴田の鶴田でございます。宜しくお願い致します。

(里見庫男)
昨年健康と温泉フォーラムいわき2002でお世話になりました、いわき湯元温泉の里見と申します。どうぞ宜しくお願いいたします。

(斉藤兵治)
信州鹿教温泉の斉藤ホテルの斉藤でございます。宜しくお願いいたします。

(倉沢章)
同じく隣の山なんですけれども長野県は別所温泉の上松屋の倉沢と申します。
鶴田さん達の別府がしばらく冬眠していまして別所の方が有名になっていたんですけど、今度ちょっと別府が元気でてきて逆になりまして別府に字が替ってしまって非常に残念なんですが、今日ちょっとおもしろいところに非常にお客さんの層があるなぁなんてことでとこないだ日本経済新聞の夕刊に載りまして自分流こだわりの旅ということで夕刊で長野県にはこないですね。日経はないんですよね。ちょっと私10枚ぐらいしか刷ってなかったもんで申し訳ないですが 。探し方によってはお客様って今いる人たちでとんでもないところにいる、定年になって奥さんに先立たれたけどネットはできるから夜テレビ見る替りにやっていて一人旅の宿を見つけたとか、あるいはここに1泊でじゃもったいないんで 1週間ぐらいしてみようかなという層をうまく掘り出すことができれば先程政策銀行の方おっしゃいましたけど、1泊だけで四苦八苦してなんとか目標人数達成して温泉地を活性化させようとも所詮無理のような段階に今来ていますので、それを思い切って3泊にしてみたり6泊にしてみたりして値段を結構リーズナブルにしていけばなんか策はあるのかなという事をこのごろしばしば感じております。別所温泉の上松屋でございます。宜しくお願いいたします。

(奥村暢欣)
北海道登別温泉から参りました第一滝本館の奥村と申します。どうぞ宜しくお願いします。

(古林伸美)
岡山県湯原温泉から参りました古林でございます。プチホテル湯原リゾートというちょっとあまりこちらのテーマには果たしてどうだろうかと思うのでございますが結構滞在型も増やしております。今日は湯原町の旅館組合の代表ということと、もう一つ情報発信の方でたまたま今ネットでの集客と言うことが出て参ったんですが全旅連の情報戦略委員会、インターネット委員会なんですけれどもそちらの委員長もやらせて頂いておりまして、今日は全旅連の事務局の望月さんに一緒にお越し頂いておりますので、ご挨拶をちょっと頂きたいと思います。

(池田博昭)
どうも初めまして。私、岡山の湯原温泉から古林と一緒に来ました池田と申します。湯原温泉の方で旅館を数件しておりますけれども湯原の宿こめやと申します。本日はどうぞ宜しくお願いいたします。

(望月)
どうもはじめまして。全国旅館組合の事務局員でございます。望月と申します。宜しくお願いします。

(小林英俊))
財団法人日本交通公社で理事でマーケティング部長やってます小林です。宜しくお願いします。

(飯島裕一)
長野の信濃毎日の飯島と申します。宜しくお願いします。医療、健康問題を20年ほど担当してましてここしばらく温泉の医学ですとか温泉と健康にこだわって取材してます。宜しくお願いします。

(太田)
日本国際観光学会の事務局におります太田と申します。今日は合田さんからお誘いうけまして参加させて頂いたわけでございます。どうぞ宜しくお願いします。

(中田裕久)
どうも有り難うございました。私、遅れましたけれども健康と温泉フォーラム実行委員会の中田でございます。議事進行をつとめさせて頂きます。ご紹介を終わったところで調査についての概要は奥村の方からアウトラインは説明させて頂きました。具体的にどんなことをやるかというものについてちょっと触れさせて頂きます。皆さんのお手持ちの今日の総会の資料がございます。この資料の22ページを開いて頂ければと思います。ここに滞在型温泉保養地調査企画書ということで調査研究目的、期間、それから実施体制それからどんなことをやるかというようなことをですねいろいろ説明しております。そこでざっとしたアウトラインを説明させて頂きます。目的ですね、今申し上げましたように自然文化観光、資源ですねそれから 滞在サービス、健康サービスなどを兼ね備えた滞在型温泉地形成や温泉の健康利用についての具体的な方策を提言すること提議することですね、これを最終的な目的にして調査研究をやっていきたい。出来ればということで山中町を救出して具体的な改造計画のモデルケースを作ってみたいと思っております。調査研究フレームですが8月本日から来年の3月までかけましてですね、きちんとしたものにできればなというふうに考えております。なお、3月に最終報告まとめますけれども私ども健康と温泉フォーラムのホームページ等々で広く公開していきたいというふうに考えております。実施期間としてはですね私ども健康と温泉フォーラムがやりますけれども様々な専門家なりあるいは地域リーダーがフォーラムに関与されております。その人のお力を精一杯お貸し頂いていい物を作っていきたいなというふうに思っております。共同研究者として日本政策投資銀行さんそれからモデルケースを扱う場合にですね山中町さんに共同研究者となって頂きたい。これは日本政策投資銀行のみなさんと数回この研究をいかに実施するかということを話し合いをしまして政策投資銀行さんがコミュニティファンドだとかそういったいわるゆビジネスモデルに造形が深いということでその辺について具体的な提言を頂ければというふうに思っておりますし、また具体的にいくつかに温泉地には現地調査に赴きたいと、それについては一緒に実行するという方法でですね共同研究の密度を高めていきたいというふうに考えております。次のページ開いて頂けますでしょうか。調査研究内容ということで三つの柱を立てております。第1番目は先程奥村の方から申し上げましたけれども温泉地再生の提言調査研究というものです。これは狙いは何かというと滞在型の保養地だとかですね健康づくりの為の温泉地というふうにシフトしていくための具体的な方策等々ですね検討するというのが狙いとなってはおります。これをやるためにアンケート調査なりヒアリング調査なりを実施していきたい、そのためには、まず初めに温泉地のリーダーの方に集まって頂いて、むしろ闊達な意見を聞いた方がいいのではなかろうかということで 今日の席を設けさせて頂きました。以降、この席の提言を生かして各地のアンケート調査なりヒアリング調査なりを実行していきたいという風に考えております。第2番目の柱は温泉保養地環境というものをいかに改善していくかということです。海外の温泉保養地なり観光地というのはですねすべてがきれいで美しいと、日本ではどうかなぁといったところで様々な問題が今各地で出ているかと思います。一例が遊休ホテルだとかですね廃業した施設が街の真ん中にあるというようなことがいくつかの温泉地で見受けられるわけですね。そういった意味でいかに保養地環境あるいは景観というものを整えていくかというようなスタディが必要なんではなかろうかということでこの場を設けさせて頂いたということでございます。第3番目24ページに記しましたけれども具体的な内容を、25ページ見ていただけますでしょうか。この山中温泉モデル事業ということで第3の柱で一応上口さんのところ山中温泉を一つモデルにとしてどの様な長期的な改善方策が可能なのかどうかと検討していきたいなと思っております。ご承知だと思いますけれども山中温泉には温泉病院がございます。それからどこの温泉地にありますけれども新たな健康のための浴場等々が設けられていると、こういった施設をいかに有効活用して新しいサービス、健康サービスなり美容サービスなりというものが可能かどうかということを検討していきたいと思っております。ここで先程、倉沢さんの方からお話がありましたけれども2泊、3泊するため健康のために2泊、3泊ないし1週間するためにはユーザーサイドの問題があります。ここで、私どもは企業、店舗だとかそういったユーザーサイドといかにこう温泉というものを結びつけていくかというものも重要な検討テーマになっていくのかなという風に考えております。以上が主な研究の3つの柱ですけれどもこうしたことを中心に検討していたったらいかがかと思います。一応雑駁な研究、調査研究のアウトラインの紹介しましたけれどもこれについてご意見等々あるいはこうしたらいいのじゃないのかというようなご意見があれば皆さんに一言お伺いしたいと思います。詳細についてわかりづらくて温泉地がこういう風な課題を持っているんだとか、あるいはこういう試みをすればいいというような提言も交えて皆さんからご意見を承れればと思います。これにつきまして順番で恐縮ですけれども溝口さんのほうから一つご意見を頂ければと思います。

(溝口薫平)
事前に全然にそういうことを予測しておりませんでしたのであれですが、山中温泉のかよう亭さん、私どもの業界の大先輩でいらっしゃるわけですがいろいろと街づくりといいますかそういう温泉地づくりで造詣が深かったので本当は何か山中温泉のかよう亭さんを中心にして今まで観光協会、商工会とかでいろんなことで事業展開されている何かをこう事前に見せてそしてこういう事、ということが一番私は入りやすかったかなぁと思っておりますが。私ども湯布院はお陰でこのところ世間が騒々しくなると湯布院が少し浮いてくるというか、どうにか持続的に今行われておりましてお客さんもコンスタントにだいたい入ってるんですが、それに併せてやっぱりその車が大変大きな問題になっていくわけですね。ですから車社会とどう対応していくかというと環境を整える。だから歩ける温泉地にしていこうじゃないかということをテーマにしながら交通関係を国土交通省と併せて少し別の所に駐車場を作る、そして、街中にはバスあたりでピストン輸送するとかそれから列車のあいだで湯布院と南湯布院というのがありますが、七分間ですが、今度それをトロッコ列車を走らせながらのんびりすることによって改善していこうとか、それから湯布院駅が女性が7割りなものですから男女ありましたトイレを女性専用にしていくということによってJRの方の協力で一千万かけて女性トイレに改造した。男性の方から差別じゃないかという事が出ておりますがそれは町営の有料のちょっと離れたところに造っていくとようにひとつひとつ見せることによって快適な、それから荷物を全部駅前で預かりまして次の宿泊の旅館まで有料でお運びするというようなことによって、もう何も持たずにゆっくり散策できるというように「快適」という一つのものをベースにしながら湯布院市がこれから先やはり目指していくというその「滞在」ということもさることながら「快適」であるというようなこと。それと今、料理人のメンバーが70人から80人ですが料理の研究会をずっとやりながらそれぞれの旅館のレシピを公開していきつつ、そして旅館としてまたそれをベースにしていきながら新しいものを料理開発していく。その時にやはり安全であるという様なことから板前さん達と農家の人との契約によってその土地で採れたものをその土地で消費するという地産地消を形としていく。そして、やはり食を通して滞在が可能なもの、湯布院の中で皆さん泊まっているわけですから昨日のお料理は何を出したかと板前さん同士が電話で連絡しあって、その次の2泊目には料理が重複しないようにというように情報公開しながらそして共通にして湯布院の中に滞在を、というようなことでお陰でこのところの傾向としては滞在が少しずつですけれどもやはり増え始めたということも事実です。それと熊本県の黒川が有名になりましたので黒川・湯布院というベースが凄く多くなっているのもひとつの特徴じゃないかと思いますし、すぐ近くに首藤さんとこ、それから別府が温博で大変元気なものですからそういうふうなものによってベースにしていきながら近郊の観光地と連携していくというような動きが今のところあると言うことで少しご報告に変えさせていただきます。



(中田裕久)
どうも有り難うございました。
では、奥村さんお願いします。

(奥村武久)
奥村という名前が3人で珍しいんですが、どんな会議でも2人もいることはないのですが私も奥村でございます。第1回目の健康と温泉フォーラムをやったのは道後、松山市だったのですがそのご縁で顔を出していますが、私はあまり業界のというか東京にあまり出てこないのでたまたま身内のものがいろいろやってるものですから私は長年まぁ8年以上ですかね、旅館組合の理事長してたのですが、今は松山市の観光協会の会長というのをやっていまして、昨日もちょうど理事会だったんですけどもね。どうも旅館のおやじが47万都市のこの業界の会長をやるというのはちょっとシビアなんですけどもね、たまたま道後っていう看板がですね、あと松山第一ってゆうのがあんまりなくて475,000ぐらいありますからかなり地方都市としては大きい方なんですけど道後っていう看板がなくなっても1年くらいは会長するよって事でやってます。その一角にある道後ってのはですね非常に溝口さんあたり日本的な温泉リゾートがすばらしくありますので私から皆さん方にお役に立つような道後ではないのですが。たまたまこのあいだ足湯巡りで国土交通省の表彰を受けたのですけれども、道後のような殺風景の温泉郷もこういうことをやればお客さんもわりあい楽しんでいただいて行列が出来とる、こんなこともできるかなということで。ここの旅館が魅力的になれば結果的に温泉郷もよくなるんじゃないかと。道後には古い日本一の重要文化財の温泉本館があってこれも修復するのに10年くらいかかる。工事中になるんですね。地域の人はあれしかないといっているものですから。松山は大変な温泉ブームでして道後以外に温泉地が10いくつでましたかね。大変なんですよ。こないだからどこと合併しようかと言っているのですがなにしろ温泉人口がすごいものですからまぁ東京もすごい温泉郷になっているわけですけども、私共は温泉を会員制にしてますが入会金1万円、5万円の会費で断りきれんですから。入浴料は1500円ですけれどもほとんど断るのです。食事しない人は入れないというぐらいなんですね。なにせ温泉人口がすごいということです。そう言うことでございまして私はなんとか生き残っているんですけれどもどんどん旅館がつぶれてマンションがいっぱい建っておりまして景観をどうするか道後駅前の物件のお世話をしたりですね、いいという側面から見るとあっちはいいところだし道後もいいんですが悪いという面で見るともう最低なんですね。湯布院さんなんかは総合的にいいんですけども。そう言った視点で外国人から見たら道後の駅前最悪なんじゃないかと。しかし賑わっているという面では草津に負けないくらい道後はいいよという見方をされる方もいますし、美意識の問題ですけども。こないだも道後の商店街の入り口に「美しい街づくり重点地区指定」という看板をつけたのですが私はその看板が汚いと言うんですが。それを理解させるのが非常に難しくて。「私も旅館は毎日きれいにしています。社員教育しています。」なんていう看板を玄関に出しているのもおかしいわけでして、その辺の美意識といいますか、街は住む人と来る人によって成り立つのですが、湯布院のように住み良い街は行ってみたい街と。いろいろな文化人がたくさんいらっしゃるからですかね。松山あたりで住みやすい街というのは利便性ばかり追求していくというのですかね。やはり住民意識が、市民が選ぶ街づくりだったら最低の街ができるんじゃないかとか言ったりして。そういったことであまり道後の話ししてもみなさまに参考にならないかと思いますが、温泉の凄さですね。足湯もすごいですし温泉に対する感覚もすごい。まぁ滞在って問題については道後はですね、私は24時間の時間と空間が最大の勝運だといってますから10年、8年前から100%12時チェックインチェックアウト、これでお客様が命の洗濯できたら2晩なんか泊らなくても絶対的にお客さんが喜ぶのは24時間の宿だと思ってやってますんでこの辺はうまくやってます。もちろん滞在はいいんですけれどもリピーターという言葉を最近使いましたら、顧客によってすべての商売が成り立っているのに我々の業界はリピーターをどうやって作ろうかと言っているのは他の業界から見ると大変おかしいことでございまして、この滞在がテーマでいくというのは非常にいいんじゃないかと思いました。非常に私はこういう筋の通らない話ばかりするのですけれども以上で私の発言を終わります。どうも。

(中田裕久)
首藤さんお願いします。

(首藤勝次)
先程ご紹介させていただきました直入町の首藤でございます。位置的にはちょうど別府温泉、湯布院温泉からひと山越えてそのまたひと山、うちからひと山越えると黒川温泉ということでトライアングルに位置している小さな温泉地なんですが、街自体は人口が今2850人ぐらいしかいませんのでやっぱり当時7200人ぐらいいましたから相当に過疎化と高齢化が進んでいる街ではあるんですが、この5年間で街に入ってくるいわゆる交流人口というか、観光客数というのが5年間で2倍を越えて今70万人に迫っております。これまで20年間近くいわゆる温泉を核とした個性的な温泉地づくりということをテーマにして私24年間行政の方に身をおいておりましたもので、そういう意味で行政主導でどういう温泉地を目指すのかというコンセプトがはっきりと見えて一つ一つ積み上げてきたということの成果が今花開いてるのかなと思いがしております。実は温泉そのものは日本一の炭酸泉という炭酸ガスの成分が非常に強い温泉地で泉源数が47?8本ありますが全部炭酸泉です。温度の低い32度から温度の高い47度までまさにチェコのカルロヴィ・ヴァリの温泉地と同じくらいに非常に温域の広いところの違った種類の炭酸泉が存在しているということが注目を集めているというような街でありまして、特にドイツ・チェコの方と交流を続けてドイツから300人ほどの町民の皆さんもお見えになってますし、うちの方からも300人以上の町民がドイツの方に足を運んでますので人口の1割以上がドイツの温泉療養の実際を見聞してるというような街であります。そういうことの中で国際的の視野に立った個性的な温泉地形成というテーマでいろんな作業を積み重ねていく中で私は特に二つのことを柱に致しました。一つは長湯という小さな温泉地に昔からあった外湯ですね。外湯巡りによって地域が栄えてきたということの地域の見直しをもう一回やってみないかということの提言が一つ。もう一つは炭酸泉という他の街ではたとえば出来ない追随を許さないような素晴らしい湯質の水質であると、これは飲むと血糖値が下がってきますし非常に胃腸病にもいいということでそういう泉質の特異性を生かした飲泉文化ということ、これを柱にしてこの二つを掲げることによって小さな温泉地でも世界に通じる個性を磨き上げることが出来るのではないかということで、これは公共でいわゆる飲泉場、温泉の飲む施設を5つほど整備を致しました。だいたい500メートルくらい行くと温泉が飲めるというまさにカルロヴィ・ヴァリのああいう温泉施設・飲泉施設が街の中に点在してます。それから外湯巡りという意味ではそれぞれの宿が自分の内湯にお客さんを囲い込む、他のホテル要素も含めてミネポリーの前期の補修集約型の機能を持ったお客さんを囲い込むというんじゃなくて、街の中に温泉地の中にぜひ出かけていってその地域が持っている、温泉地が持っている魅力を満喫していただくというところで新しい経済の開拓というか接点を見出そうと。こういう戦略を実は打ち出して平成12年にこういうドイツとの交流の文化、歴史を象徴した温泉療養文化館の御前湯というのを作りまして、この中にはドイツの素晴らしいいろんな歴史もありますけれども、この中には食堂とかレストランとか土産品店全くございません。なぜかというとそういう機能がないが故に地域の人たちが集まってくる人たちを随分と楽しませてくれる。例えば農家の皆さんが朝採りの野菜を持って集まる、そういう温泉市場は年間に7000万以上の売り上げをする。土産品店もできるし喫茶店もできるというそういうような新しい機能が小さな街の中にできていくというそういう現象が現れ始めてドンドンドンドンお客さんが増えていく、それでもって経済循環が非常にうまく巡るわけですからまた新しい民間による地場の人たちによるそういう経済活動が進展をしていくというそういうことの繰り返しが今うちの街を支えている。一つの自慢は街の中にはいると皆さんがいい意味で静かですねという言葉をよく使ってくれるんですが私はまさにその通りで、入ると昔からこの温泉地の方々はこういう暮らしを大事にしてきたんだろうなと一発で見える温泉地であります。逆を取るとお金儲けが出来るような仕掛けがない街であります。そのことが外から来た人たちが感じるのは「ここは本当に安心して歩いてもいいんだな。買うものはほとんど本物だな」っていうのがわかるからいわゆる安らぎとか安心とかそういうようなことを身をもって感じていただけるというそういう温泉地なんですね。今ひとつのテーマというか課題がこれからまさに滞在をということで今研究中でありますが、一つ心配になるのはこのフォーラムもそうなんですけれども日本がこのフォーラムを中心にして最近ずっと5年10年滞在型を目指そうじゃないかと、観光型とか歓楽型から滞在を増やそうと言い始めた。全部の温泉地がほとんどそういうことを言い始めた。これをドイツのバーデンバーデンの今市長さんされてますシューグルン・ラングさんというラング市長が非常に皮肉って「首藤さん実は私たちはあなた達の国から滞在型のいわゆる湯治という素晴らしい文化を学んでドイツに持って帰った。50年経ってみたら日本というのはどうしたんですか?ねえちゃんおらんか?酒もってこいの世界になってしまってる。それがドンドンおかしくなってまた元に戻ろうとしている。」ところが、ヨーロッパの方は逆に日本のような大型の旅館に大型バスが横付けにされて沢山の観光客が来るって言うのが憧れに写るんだそうですね。このあたりおそらく掘り下げた現象を把握できてないという事もあるんでしょうけれどもこのあたりも一つのテーマにされたらどうかなというふうに思うのと、フォーラムが今までずっとやってきた研究の成果、この成果を、例えば今自分は政治の世界におりますがこの運動体をどう政策化していくか、という所の何か終着点が見えないと私たちはどういう議論をしてその議論をどう日本の中に目指して根を張っていこうとするのという部分がどうも見えない。そのあたりもぜひ今回の議論の中に舞台に上げていただけるとありがたいなあと思いながら聞かせていただいておりました。ちょっと長くなって申し訳ありませんでした。

(中田裕久)
どうも有り難うございました。
それでは上口さんお願いします。

(上口昌徳)
山中温泉の上口です。さきほど溝口さん首藤さんに触発されて自分はしゃべろとおもったことの順序をちょっと変えさせていただきますけれども、実は300年前に松尾芭蕉が奥の細道で東北を回って参りました。金沢がおそらく北陸の最大の目標だったと思うんですけれどもここで彼は9泊しております。もちろん門下生をたくさん作るためにあるいは自分の弟子が金沢という北陸最大の文化都市で彼が8泊9泊するのは当然なのですけどわずか数百名であった山中の村へ温泉の村へやってきて彼はなんと8泊しているんです。なぜ8泊したのかという、今ほど滞在型のことをおっしゃいましたけれどもあの時代に芭蕉が8泊した。それから前田の藩侯が来年の9月に四回りもしくは五回りの滞在をするからと言った時に14件の宿屋のうち10件が修繕に入ってそして来年の9月に前田の藩侯、一回りは約5日だそうですけれども約20日以上の前田の藩侯の滞在という歴史的な事実がある訳なんです。そのような当時の温泉場、我々が今憧れてやまない温泉地が山中であったわけでありますが、残念ながら戦後、高度経済成長化の中にそういうことはすっかり無くなってしまって、今おっしゃるようにいわゆる歓楽、享楽の温泉観光地になってしまいました。私が奥村さんや首藤さんらに啓発されて元に戻したい思いを強くもったんですけれども実は私は30年前にオイルショックの昭和48年11月におこったオイルショックの時に、つい先日尊敬するというか言葉一つ一つに非常に尊敬した当時大阪府知事の黒田さんが議会の答弁の中であの高度経済がはたと止んだ時に無理になんにもしないこと。無理が創造の時代を日本が経過すべきだということ、私は身を刺し抜かれるような名言を発しております。私はある日突然250名の旅館をネズミの巣にしてしまって親父がまいったと言うまでの戦いを約4年間やりましてネズミの巣にしてしまった旅館は全くの負の財産になりましたけれども、山の上に今の10室の宿屋を4年後に建てて28年を迎えております。私の基本的な旅館の経営のその時に申し上げた、今頃みなさんよくNPO,NPOとさわいでおいでになりますけど、私はNPOのつもりであります。利益をいっさい、利潤をいっさい追求しないのが本当の宿屋なんだ。そこで働いて生活をしている人たちが豊かに安住の場であることがすべて。人や家族と一緒の気持ちの旅人同士で癒されるんだというのが私の出発でありました。それを私は今でも貫いておるつもりでありますけれども、残念ながら1個の旅館がどの様に頑張ってもできないことと、私は24年間県議会に、よう首藤さんあの世界にまたいったなと感心しとるんです。私は理想を求めて議会におって一匹狼でまあ議長も幹事長までやったんですけれどもともかく卒業させてもらいましたけれども。私はその中でやっぱり自分のかよう亭だけでなくもう一つ広がりのものたち、隣人達とどう安住の地として自分らでどう努力するかということを考えたときに私20年前全体の繁栄があって個の繁栄があるというテーマを掲げまして、私30年近く観光協会長やってますけど10年ほど前に裏側の産業活動である商工会長を兼ねたものですからこの10年ほど前から私も一つそれに刺激的に「座して死を待つくらいなら死ぬ気で変化しろ」という言葉を町民の皆さんに投げかけました。山中、今、今年も全国一小さな街として商工会や観光協会の他の人たちの見学の視察の場に並べて頂いて、どうも山代へ泊まられて山中へ見学のお客さんも多いです。まあこれはもう一つの大きな広がりでそれはいいんですけれどもいずれにしてもそんな場に今なっております。ただ残念ながらまだまだ皆さんの合意とかそういうものを得られないので苦しみ抜いておりますけれども、何とかこれだけ大きな流れの変え方ができたからなんかやるんじゃないかと皆さんさっきも展望を見出したようで昨日もおとついも一昨々日も夜は浴衣掛けのお客様が私たちが仕掛けた24年目を数えますけれども、夜お子さま達ばかりを楽しませる夜の夏祭りしようよというのがようやくここ数年花開きまして、浴衣掛けのお客様が旅館から街の中へバスでも送り出しますけれども本当に様変わりしまして、北陸の温泉郷といったら皆さん男の温泉地だったんですけれども山中は全く変わりました。私の所のお客様も90%男性で出発しましたけど今はだいたい70%が女性であります。それがあとの30%男性がおいでなんですけれどもお二人連れのほとんどは女性主導型の旅になったことも事実なんです。そういうことでこれ私はある意味じゃ女性はロマン男性は我慢のこんな時代は異常だと。確かに異常でありますけれどもこれを正常にすることの中で何か新しい観光地の展望が出来るんじゃないかと思うのですが、今、健康と温泉フォーラムの事務局も大変ご迷惑おかけしておりますのは私たち観光の旅館のもの達を中心にようやく町民、サラリーマンも漆器の職人達もそれから商店のみんなも漆器産業をやってる問屋のみなさんようやく街一万の者達同じ方向にむく形になった時に、残念ながら合併の問題が起きまして、旅館は絶対合併しないでくれと私たちでやっていって展望をつくるっていう決議までしましたけれども残念ながら当町議会は合併協議会をつくって合併の方向に進みつつあります 。そんなことで旅館と決定的な決別の状態であってフォーラムの問題も少しご迷惑をおかけしておりますけれども、何とかこの会議をやらなければいかんという危機感をお持ちのようで今そういう苦しみの中にありますけれども井上先生も私たちは基本的には私たち街の者達がここであれぐらいのことですんでよかったなとそういう街にともかくすることであれば結果として旅人が絶対訪れるような文化的な質の高さとか自然環境のよさとかですねそれから芭蕉の、山中は古九谷発祥の地なんです。焼き物の発祥の地も私、古九谷試行錯誤25年続けてようやく歴史ができて名物になりつつある、まあそういうことを含めて21世紀の中で 旅人が訪れる可能性のものがすべて備えられておるぞという自負心があるわけなんで、街の人たちがどれだけそれを気づいてくれるかということでありますけれども私の旅館のこと言ってご無礼なんですけども今年四国からおひとり、それから岡山からおひとりお接待さんが来ましたけれども、私一人一人話してるんですがこの二人とも“絶対ここで生を終えたい、安住の地としてここに住み着きます”という決心をしましたということとできれば板前の恋人がおるので二人で山中で何か事業をやりたいので私に土地を世話して下さいという接待がいる。まあこんな事が私らが今やろうとしていることに何か明るいものそういう人たちから感じ取りまして意味を持って今大変苦しいう胸突き八丁の場でありいますけれども皆さん方のお知恵やお力を借りながら何とか生き抜きたい、過去の栄光をすべてかなえて新しい価値観の街にしたいと思っておりますのでご指導宜しくお願いします。

(中田裕久)
それでは鈴木さんお願いします。

(鈴木和江)
はい。参考になりますかわかりませんが、大先輩が皆さん、今まで色々ご指導して頂いたんですけど、私は伊豆半島の先程ご紹介したとおり先端のど真ん中のとこの観音温泉と申します。本当にまだ歴史も浅うございます。当初私の父が滝野川タクシーのオーナーでしたんですけれども、晩年今の40年後こうなるぞとここは50年計画の事業所だからと私と27歳で伊豆の下田の観音温泉という地を自分で銘々しまして穴も掘って今の源泉を掘り当てたような歴史からスタートでございます。当初、今、滞在型とうたわれてますんですけど当初うちの父は武道精神ということで武道家でしたので体育館、武道館を造りまして、そこへ訪れた方は当然滞在型で皆さん地元の方も合宿所だとうたわれてましたんですけど、私はそれに対してここ在所はここにありということは何か精神の面でございますよね。精神というのは何につながるのかというとやはりああいう環境のロケーション本当に山の頂上の一軒宿屋でございました。六つくらいの部屋しかないスタートでしたんですけど本当に地元の方皆さんが協合して頂いて湯浴びをしてました。なんせ地図もないいんですからなんいもないところでどうやって人を集めるかで、その資産、資本投下もして頂けない。それだったら来たお客様を大事にしようじゃないかと、まずじゃあ温泉入ってもらおうと全部無料でやりました。無料で入って頂いたお客様こんないいい温泉あるのかなと、これ自然体のつきあいだから。先程も上口さんでしたっけ、やはり旅館というのは人が喜んでもらうものであってそれを利益に追求しようってこれ疲れるんですよね。お客様も感じえて。ホントになんにも無いところから観音温泉今日あるのはやはりその時からのお客様がまだお繋がりして頂いてます。ご自分達があの地を造ったというやはりエネルギーがそこにあるんだなぁと。私も今日ここまで来れてるのもやはりその媒体媒体でやはりリピーターのお客様これが三代にやっとつながってきた歴史がそろそろ始まっておりますんで私も苦労がかいがあったかなと思いますんですけれど、なにぶんにも今合併問題色々騒がれてますんですけど、伊豆ってのはホントの狭いところでございまして全部分離産業なんですよね。それ非常に私感じましたのは、ほんとに湯布院の方、黒川さんホントに羨ましいな、やはり皆さんが競合してこのエネルギーはホントに観光の人たちを非常に迎える形からしても時間の空間がないくらいに繋がりをもって頂けるというやはり行政と一体化するってことは観光文化じゃ本当に基本原則なんですけど、やはり私なんかもまだ歴史が浅いだけにやはりそういうとこの痛みがいつもひしと感じますんですけども。じゃ何をそこで打破しなきゃいけないか。私は伊豆の先端のど真ん中、最近ぼつぼつ地元のお客様の方から、「いやあありがたい観音温泉というとあっあそこに息子がいるんですねと息子さんの郷土なんですねっていうのは観音温泉っていう名前でわかってくれたよ」やはりこれも地場産業だと、私はやはりそういう面じゃやはり伊豆半島のここにこういう温泉があるを謳うこと事態がやはり伊豆半島、強いていけば日本のために少しでも役に立ってるんじゃないかという気持ちで毎日邁進している次第でございますんでやはり私も自然界の中では何が大事かと形にとらわれるんじゃなく精神だと思います。やはりこうあるべきもんだ・ステータスな考え・ご自分の意見、こういう形は全部私はいつも無にしてお客様に接触してます。そこからいい発想、いいマーケティングをいただけるんですよ不思議に。ですからうちのお客様の顧客データというのはいろんな分野があります。スポーツ関係でも20種類くらいの分野、もういろんな角度。これが何かというとやはり経済の活性の一つの構造が回ってるんじゃないかな。ですから、早いこといいとこ飛びつけばいい形にエネルギーになるかもしれない でもこれはホントの筋のマーケティングじゃないじゃないかなと私は常日頃お客様のつながり、この流れ、こういうものをいつも私は先手先手で答えてきました。答えてくれたことに関してお客様も感謝の意を称してくれる。このつながりを今日勝ち得てきたまだこれからも続く形になるのは私の次の世代交代がもうスタートしてますんで今娘が現地で頑張っております。そういう面でもやはり人の縁は今も同じのものじゃなく縁を私達が提供できる広場にするって事はやはり人間、日本人の良さじゃないかと思っております。これは何かというと今、核家族だなんだと騒がれてる中でも私はやはり草食民族なんじゃないかなとおもうくらいに群衆の力という物は皆さん日本人の良さだと思います。この結束は。なんか観音温泉は事がありますと本当何も声かけなくても全員がですね、「こないだちょっとテレビでてたね」で皆さん自分ちのごとく喜んでくれてホントこういう面が従業員一同皆さんが自分のことのように今マーケティングにしてその答えに返してやる姿勢、ですからうちはマニュアルも一つもないんですよ。私が面接してもマニュアルありませんよと、うちは帝国ホテルじゃない。なんでもない。お客様に答えるのがマニュアルですよと一番難しいことでございます。これを一つ一つ先輩がやはり今度後輩に指導していく。今地元の生徒さんもだいぶ浸透して私の意に叶えてくれるような人材育成して来れたのも段々歴史になってくるんだということで参考例になったかどうかわかりませんですけれども私の経営は自然体で動いておりますんで今後とも宜しくお願いいたします。どうぞ。

(中田裕久)
それじゃ鶴田さんお願いします。

(鶴田浩一郎)
別府の話をした方がいいんですか?モデルの話をした方がいいんですか?

(中田裕久)
おそらくこの三本柱は別府のテーマと非常に似てるんですね。で、別府の話でどういう風にこれから取り組んで行かれようとしているのかを交えてお話しして頂ければ有り難いかなと思います。

(鶴田浩一郎)
別府の話してもあまりおもしろくないと思うんで知ってる方もいらっしゃると思います。これの企画のテーマがモデルを作ることですよね。実はその滞在型のモデルはなんなんだというと、政策投資銀行さんと一緒に形を作るということ。過去どんなモデルがあったかということを実は僕も戦後を一応研修をした方がいいだろうと。ただモデルの場合はいろんなことを具体的なことを捨象してるんで必ずしもそれが現実的かというとそうでもない、経済モデルなんか特にそうですから。例えば象徴的にいうと戦後は別府、熱海 モデルがあった。これは歓楽モデルですね。その後、これをもっと質的に高めた加賀屋さんがいるとよかったかもしれない。加賀屋モデルさんみたいたなそれから旅館経営研究会の旅研モデルみたいなものが北陸から東北にかけてだーっと席巻した時代がありまして坪がもう100万、150万ぐらいかけてともかく一貫でどんどんでかくしていくというこういうタイプのモデルがあって、そしてバブルの後にこれはもう90年代は湯布院さんのモデル。もちろん湯布院さんは80年代からがんばってたんですが、注目されてましたけれどももうこれしかないっていうのが90年代に入って湯布院の溝口さんがいらっしゃるから湯布院モデルというのが、まぁいろんなところまぁ黒川もそうなんですが、いろんなところで同じ時期に山中の上口さんなんかもお考えになってるかもしれませんけれども少なくとも湯布院のモデルっていうのはあるだろう。この3つのモデルが今歴史的に査証して考えるとあって、次のモデルっていうのはそれでは何だろうっていうのが、実は別府がそこでぶち当たったのは3つ前の別府のモデル、熱海のモデルっていう、新しいモデルを作らなければいけないけれども30年間どうも新しいモデルを作りきれなかった、新しいコンセプトが出てこなかった、新しいマーケットが見えなかった、っていうのが現実でそれでやっと別府の場合は98年ですね、98年というのは実は一番その別府の落ち込みが激しくなった頃です。実はバブルの後別府は設備投資大きくなかったですからそこまで痛手は受けませんでした。だから別府の場合ひどくなったのは98年以降です。それまではよく実は頑張ったなぁと自分でも思います。98年以降は別府の経済、観光そのものが不良債権の溜まり場になったのではないかなと思います。まぁ観光地どこも不良債権の溜まり場できっと政策投資銀行さんがここにいるのもそういう訳なんでしょうけれども、そういう訳で別府の行く末っていうのは98年ぐらいのマーケットをよく見ていると将来どうも長期滞在のマーケットがあるぞというのが最近、最近というかその頃から僕の周囲でもいろんな方がいらして長期滞在のためのモデルで何が必要かという事から始まって今、実は長期滞在の将来の仕込をやるためにイベントの別府温泉博覧会と温博というのをやってます。温博っていうテーマも簡単で来た方が別府を楽しむオプションをたくさん揃えてあげる。別府らしい別府にしかないオプションをたくさん揃える。それはどういうことかというと、別府の文化が基本的に見える。文化っていうのは土地の特性であったり元々あった首藤さんもおっしゃってますけど首藤さんの理論でもありますけれども、僕ら観光地すべて、すべからくそうしないといけないでしょうけれども元々あった別府に元々あった外湯を大切にするとかですね、もうひとつは元々あった10種類の泉質が別府にありますんでこれをいかに有効にお客さんにわかってもらうか。10お風呂に入るお客さんはいませんのでそれでいくつ入ってもらったらどんな効能があるのか、確かに効能はありますね。たとえばpHの高い温泉に入った後塩化物泉に入るとお肌はすべすべします。これはもう化学反応ですからあたりまえの話。こういう事というのは地元の人も知らないし観光客の方も知らない。こういうことを地元に元々あったものは全部掘り下げて全部磨いてプログラム化しましょうというのが実は温博プログラムをたくさん作っていったきっかけです。これは長期滞在将来の長期滞在のためのオプションということになって今5回目を今度秋で迎えます。非常に好評です。これは基本的に地元の人に楽しんでもらうと思って今やってます。そういう準備を長期滞在のための準備をしている最中です。ただ問題はやはり空間形成それから交通問題。交通の問題はやはり規制問題ということになるんですがこういうインフラの問題は行政さんと本当に一緒にやっていかないとできない問題です。これが最大に欠落してるのが今の別府の現状です。さらにもうひとつ付け加えて将来のビジョンをいうと宿泊客を増やす観光交流人口を増やすということだけは実は考えてません。別府の人口が13万人ありますのでこのうち実はリタイア組が2万人ぐらい住んでるようなんです。外から来た人。やっぱり住みやすいものですから外からマンションが最近たくさん建ってそこに人が住んでるんですね。今の、今来てる人は現に住んでます。だから幽霊マンションにはなってなくて、今住んでるんですね。それだけやっぱり土地の魅力でリタイア組が住むようになってきているというそういう土地柄でもあります。実際長期滞在といっても1週間いるというんじゃなくて僕らが考えてるのはある意味で1ヶ月以上いてくれるような長期滞在者。だから今の僕らの旅館業はそういう時は否定しなきゃいけないんですけれども、そういう業態は必要ないんです1ヶ月の人には。だから1ヶ月2ヶ月いるようなお客様層そういうロングステイのところまで一応踏み込んで将来日本人のライフスタイルが変わるときに受け入れやすい、将来そういう人がまた別府に住もうかと思う13万人の人口が15万人位まで抱えられそうなんで、そこまで増えるといいなぁというふうに思ってます。そのときは観光交流人口が実は増えるよりも人口2万人増えますので圧倒的に経済のパワーは大きくなるだろうというふうに思ってます。以上です。

(中田裕久)
どうもありがとうございました。
里見さんお願いいたします。

(里見庫男)
先ほどの日本政策投資銀行さんの企画書、これに基づいて発表すればいいのですか?

(中田裕久)
別にこれに基づかなくても構いません。
去年フォーラムをやりましてある種、滞在型温泉地を狙うとか、あるいは温泉の町をどうにかしようというい動きがありましてそれをどういう風に取り込まれているのかとか、あるいは今後どういうふうにしていこうかとかその辺の展望まで入れて頂ければありがたいなと思いますが。

(里見庫男)
日本政策投資銀行さんの企画ではひとつは首藤さんにいろいろご指導頂いた国際化ですね、ヨーロッパ滞在型このあたりの例えば小泉首相の年頭所感にあった外国人受け入れ、そのあたりもこの企画書の中にまず見えてこないというのがひとつありましたね。もうひとつは街づくりというわれわれ今温泉地経営を街づくりの一環としてやってるわけですけれどもそれはなぜかというと、いわき市36万の人口ありますけれども湯本温泉そのものは1万弱なんで複合都市における温泉地経営をどうしていくかひとつ大きな悩みであるわけです。昨年お陰様で「いわき宣言」出させて頂いた訳でありますが、その中にひとつはキーワードはいくつかあったのですが癒しということと健康づくりの温泉場。それから個性とホスピタリーの向上を目指した温泉場という。それと人材育成ということでバルネオセラピストという勝手な名前を付けたのですが温泉保養士といいますけれども、現在第2期目を今迎えて合わせると大体100人近くの温泉保養士が育成されつつあるわけですけど。それからもうひとつ我々が今見習っているのはドイツのバーデンヴァイラーとの交流の中で多様な健康プログラム・スポーツプログラムを含めてそういったことをどうこれから展開していくかといっぱいあるわけで。それから交流と連携、温泉地にふさわしいキーワードは交流と連携かなと思ってますけどそれらと併せて実際湯本温泉の歴史は確かに古いんですけれども、こういうふうに皆さんと話に入ってこちらからいろんな情報を発信するよりむしろ受信する立場に今ありまして、非常に後進的な土地でありますけれども皆さんのいろいろなご指導を得て昨年のいわき宣言をどうこれから展開していくのかということ今懸案しているわけです。別府さんの温博も行きましたし、それから伊豆の修善寺のあれにも行きましたし温泉フォーラムにも行きましたしいろんな形でご指導いただいて、さあこれからどうするのかということになりましてわれわれの時代よりむしろわれわれ息子の次世代の温泉地経営にわれわれは代ってきているわけですね。ですからスパリゾートハワイアンズさんそれとわれわれの次の世代の温泉地経営ということで今転換期を迎えているというようなことで今日はむしろ勉強をさせてもらいに来たというそういう状況に今ありますので次の方に移ります。


(中田裕久)
どうもありがとうございました。
さきほど鶴田さんから熱海、別府モデルというのがあったと、その次に加賀屋モデルだと。それから湯布院モデルが次にきて今別府では長期滞在、ロングステイを目指してむしろ人口を拡大するという形でのロングスティというのがあるんじゃないかというようなある種長期滞在を検討していると、いう話がありましたね。

(里見庫男)
最終的にはそこらへんが実は頭にある。

(中田裕久)
これに加えますと鹿教湯モデルというのもある種あるわけですけれどもそのへんにつきまして鹿教湯モデルが今どの辺までいっているのかどうか斉藤さんお願いします。

(斉藤兵冶)
ありがとうございます。先日も鶴田さんに来て頂いてその後でじっくり感想を聞かなくちゃと今日は楽しみに来たんですけれども。実はご存知のように鹿教湯温泉の場合は鹿教湯病院さんの存在を抜きに考えられないということでございまして、病院さんと共に大きくなってきた温泉場と私が言うまでもないことでございますが。どうもひとつの反省といいますか現実といいますか、さかんに最近鹿教湯の中で話題にあがるのは、あの小さな地域に黒川さんに直接聞いたわけではないんですが適切なリゾート規模というのがあって200メートル800メートルだという、なんか読んだことがあるんですけれども。ちょうど私どもそんな温泉場なんですけど。その中にあれだけの大病院550床ございますから、勤めてる方が400人ぐらいある。そうしますと温泉中の空き地という空き地が駐車場になってしまう。もちろん旅館もみんな駐車場が欲しいわけですから、せっかく東京からある面自然を求めておいでになって頂いたお客様に見て頂けるのは車の止まってる駐車場だけだというような非常に情けない情景がございまして、これをなんとかしなくちゃということで先ほどこのフォーラムの温泉地という温泉地をどう作るか。と、いうような提言がでてくるという、また話に出ましたようなパークアンドライド的なものというかさかんに今検討で話が出ております。ただそのときに合併の話がでましたんですけれども、例えばいい例でうまく表現できるかどうなんですが、例えば私たち丸子町というのは中心部というのはこのくらいの大きさです。そのとき鹿教湯というのは例えばこれくらいの規模です、というような感じでございまして、街の中心部から私どもの鹿教湯温泉までに相当距離が離れてる、住民の一体感というのは昭和の合併で一緒になったものですから全然ないわけですね。そうしまして、こっちの大きい方に行政の中心地がある。私どもこっちでがんばる。と、いうようなことがございましてこの数十年どうもこの対立関係が表に出て温泉地経営がうまくいかなかったんじゃないかなと非常に反省しております。私ども自分の力だけではどうにもならないわけでございますが。早く言いますと日本人というものは嫉妬の塊といいますか街の中心部にいる人たちにとりますと鹿教湯の私どもの業種がある面非常に派手ですから私どもが華々しくやることに関して大変こうなんというのですかね、早く言えばやきもち焼いちゃう、ようなことで。行政が鹿教湯に温泉に金をかけるということがこの30年近くほとんどない。できないというまぁ町長さんとっても出来ないんじゃないかというふうに思うわけでございます。例えば自分のうちの子供たちにこっち中央に出てって負けるなというような教育しなくちゃいけない。そんなときに話をしたのですが丸子の中心部におまえ達行ってみろ、中学が実は合併したのでこっちに行っているのですが、行ってみろと丸子の町にエレベーターが何本あるか。そうしますと街の庁舎にあるエレベーターともうひとつ大きな病院さんございましてそこにエレベーター。それしかエレベーターがない。ところが私ども鹿教湯温泉にはちょっと数え切れないくらいエレベーターあるよ、というようなことで。まぁ中心部の人たちの気持ちはもちろんよくわかるんですが。そうかといいまして例えば非常に極端な例なんですけど鹿教湯の中心部にちょっと2000坪近い町有の土地、昔の町営の国民宿舎のあった土地があいて空いているんですけれどもそれが駐車場になっています。それがなんと町営の土地であるのにかかわらず、町営の国民宿舎の経営を助けるために月極の駐車場になってしまった。要するに鹿教湯に来てくれたお客さん方にその駐車場が開放されないというような、ちょっとよその温泉場では考えられないような異常なことが常識としては通ってると。そういうような非常に悩んでいましたところ、今その合併の話が出まして隣にいるこちらと今度は同じ市になりますので、今度はよくなるかなぁと期待しておりまして、その期待の中で何とか温泉地づくりをやりたいというようには希望をもって先ほどでましたパークアンドライド的なものをやろうと、さかんに今やっています。それとやっぱり緑を黒川温泉さん湯布院さんそうなんですけど緑を増やさないとだめだろうと。温泉地の整備計画て大金を投じてもらう必要もないけども、なんとか中心部に木を植えるような体制が作れないかと一生懸命動いて歩いているのが現状でございます。方々から鶴田さんもつい先日も来て頂いたのですけれども。残念ながらお客さんは順調に減っておりましてこれは何とかしなくてはいけないというふうに思っております。ただ、滞在型ということで一時鹿教湯のブームのときに結構、1泊型団体の方も入ってたりしていましたので相当減ってはきているのですけれども稼働率そんなに落ちてないのではないかなというに私とすれば思っているのですが。ただ一部屋あたりの人間が減ってしまったというのは大きく効いてるかなと。それともうひとつ自分のうちの話になってしまうのですが滞在型を目指すというときに一番大きな問題。例えば今日政策銀行さんいらしてるんですけど。一連の大きな問題は1泊2食型の宴会型旅館というのは収益構造非常によく出来てまして鹿教湯の場合私ども昔から滞在型でやっておりますと。儲からなくてもいいと言えばそれまでなんですけれども、なかなか収益構造が非常に難しい。これが滞在型には必ずついて回るかというふうに思っております。ですから新規に投資をどうしていくか鹿教湯はまったくそういうことに直面しているわけですけど、滞在型でやってますと新規投資が出来ない。私も長く若いときから抱えておりましてどうしようかというので今のひとつの結論として出ましたのが私ども持っております建物でございますけれども。直接金融的な処方を取り入れないと滞在型の温泉場での投資というのは成り立たないのではないかというのがたまたま私の斉藤ホテルとすればそういう取り組みで今やっているということでございます。簡単な数字で内緒にしてもしょうがないのですが、実はバブルの最盛期に計画をいたしまして実は46億という投資をしました。ですから当然、今、借金の塊になっていますけど何とか立っているというのは直接金融で実は120室作ってそのうちの半分の60室をマンションで売ってしまったわけなんです。そして資金を回収する。資金を回収して大浴場ですとかまぁ私どもプール持ってますけれどもプールですから外交関係そういうものの資金はマンションの方に負担して頂くと。一緒に負担して頂くという感じですね。ご存知のようにリゾートマンションというのはそんなに稼働率高くございませんのでかなり大浴場とかの負担をマンションの方にして頂いたというような手法でひとつは資金繰り集め。もうひとつはその時にバブルの最中に計画したものですからいわゆるコンドミニアムという考えがございまして、ホテルの部屋自身もお客様に買って頂くんだと。お客様に対してはリースバックというか賃貸料を払えばいいじゃないか、というようなことで残りの60室も基本的には分譲するんだよというそういう形で始まったわけなのですけれども残念ながらこれはバブルとともにしぼんでしまいまして不動産に投資するという考えはなくなりました。売れませんでした。そこで売れないと困るということで始めたのがアメリカのリゾートの投資の処方のタイムシェアという仕組みを導入致しましてこれは1週間単位に1部屋の料金を1週間単位に区切って売るというアメリカでは非常に定着しておりましてちょっと話題がそれてしまいますがアメリカのいわゆるリゾート業というものの最近では8%、人によっては1割くらいがそれがマーケットを占めているだろうという処方でございます。大手のヒルトンとかシェラトンとかディズニーとか各ホテルのチェーンさんが全部投資を始めてまして大変に今盛んでございましてさすがにアメリカもいわゆるリゾートといって景気がいいといっても30%しか伸びない。タイムシェアの業界に関しては年率10数%で安定して20数年,30年近く伸びていると非常にアメリカでは高度成長の業界なんですけど。そこのまねをして施設の分譲を滞在のお客さんを確保するというような形で資金繰り的にはなんとかたっているという状況でございますが要するに滞在型を目指してどうやって投資するかという再投資が非常に難しいですよというのをひとつ問題提起したいと思います。それからもうひとつはうちも最近ちょっと方向転換してようやくまた元に戻ったのですが、滞在型で一所懸命売りましたのは1番稼げる金曜日土曜日の稼動が下がってしまいまして、ちょっと弱ったなというので今方向修正しまして少し金曜日土曜日1泊のお客様をとってますが。要するにテトリスみたいなもので滞在のお客さんを詰めていくのは非常に難しくて一定の率の一泊のお客様を確保していかないと稼動が限界がありますというのが出てまいります。ちょっと金土が減ってしまうと極端な話なんですが。それは何とか取り戻してますけどそれも非常に難しい1泊型のお客様と滞在型のお客様の比率がうまくいくようなこのマーケティングが結構難しいかなというのがございます。それから今日、本当はこれを一番言いたかったのですが後で小林さんから話が出るかと思うのですが、残念ながら私ども滞在型というのは当初はJTBさんのお世話になったりして始めたのですが、結局、何度かJTBさんにも調整して頂いたのですがエージェントさんは売れません。というか売る能力を持っていないというのが現状です。ですからうちも大きな投資の後しばらくセールスを抱えまして、だいぶんエージェントさんを責めたのですが結局だめだということで、現在は営業を一人も置いておりません。全部自分で応対する切り替えました。ただどうも旅行のマーケットというのは非常に大きなシェアをエージェントさんは持ってます。何とかこのエージェントさんとうまく付き合える方法を構築していく必要があるかなというのが今日のこの会議で提案したいのですが。よく車の両輪ってありますけれどもが温泉地の私どもがみんなで滞在型にいったとしてもエージェントさんはそれを売る能力を持たないと、ちょっと厳しいのではないかという。数が少なくてぼちぼち攻められるうちはいいのですけど大勢でやるようになったときに果たしてそれでいけるかなぁとふうなことをちょっと問題意識を持っておりまして。じゃあどうするかという問題で最近一生懸命やっていますのは今日ちょっと簡単な資料持ってくればよかったんですが。サプライチェーン・マネージメント。SCMという言葉がございますが、どうも私どもの業界にはそういう言葉は存在していない。このSCM的な発想でエージェントさんと流通業の皆さん方と私どもの商品を提供する方と何かうまく近代的な手法を使って、早く言えばインターネットなのですが、近代的な手法を使って一貫して商品を作ってうまく売ってエージェントさんの窓口からもフィードバックしてもらう、私どもも窓口さんに最新の情報を出すというような形で業界全体でうまくいくような仕組みがあるのではないかと。さかんにインターネットの世界に取り組んでおりまして一つの答えとしまして専門の話になってしまうのですが、UDDIという形のサービスがNTTコミュニケーションさんが始めまして、もしかすると展望が開けるかもしれないというふうに思っております。この席ではご説明できないんですけれども、インターネットのBtoBあるいはクイック・アンド・モルタルといわれるエージェントさんと私どもがエージェントさんの現実の店舗と私どもが組んだ、そしてインターネットを使うというようなモデルでいけるのではないかなと。別府の温博さんにも非常に注目してまして鶴田さんには今日資料持ってきましたけれども。後ほど相談したいなと思っています。先行していわゆる滞在型と頑張っているのですが、いろんな問題を抱えてますということです。後また時間がありましたらもうひとつお話したいと思います。

どうもありがとうございました。
それでは倉沢さんお願いします。

(倉沢)
倉沢でございます。今、鹿教湯の斉藤さんがとってもいいことを言ってまして嫉妬という部分、やきもちですよね。旅館に宿敵ということがあります。私も22から旅館業に飛び込みまして52ですから30年やってそのことで非常に悩みでありまた励みでもありました。この辺「嫉妬」と「宿敵」がこのフォーラムのキーワードになるかなと。そのお陰で設備投資も出来ましたしかといって地域分裂も起こしたりということで、非常に大事なテーマじゃないかなと思うんです。実はずっと旅館やってきまして、ある文献これは歴史上にあるんですが、旅館に1週間泊まってそのかける3倍21日。これたしか山中の方の文献だと思うのですが。そういう宿泊を経験してこれは昭和初期だと思うのですが、私まだ生まれてませんけど帰ってくると10万円だった給料が15万に上がるという世界があったそうです。この辺何かこれからの福祉の世の中と保険制度で実現できないかな。多分ある企業に協力してもらえば別所温泉に非常につらい21泊過ごして来ましたので帰ってきたら10万が15万のお給料になったよということができないかなということをうんと考えてます。このフォーラムで是非私どものとこで提案したいのは手付かずの温泉地。何も手を染めてない温泉地っていっぱい全国にあったような気がするのですがそれがいろいろおもしろおかしくさっきのリフォームじゃないけど大型設備投資をして温泉地を変えてしまって小さなタバコ屋さんとか酒屋さんストリップ劇場みんな潰してきてしまったという部分があったので、手付かずの温泉地。だから明治30年ごろ昭和の初期ごろ以来の確か非常に繁栄していた代の温泉地に今自分の現場を戻せないかなというとこを私非常に思っています。実は別所温泉はさっき合併という問題がありましたけれども、上田市という12万人の人口を持っているところから約2里半、10キロですよね。そこに昔温電といったのですが田園電車が走っています。まるまる電車で非常に何とかハムで有名になったのですが。10キロぐらいのところに15の駅があるんですね。何で15の駅がここにあったのかな。というのは多分地元の人を乗っけながら乗っけながら来て止めて、しかも朝6時ごろ出発の電車6時じゃない朝帰りに間に合う電車があったようです。多分何かがあったことみんな忘れてしまってて、なんと赤字だから廃止してしまおうという問題が起こっているのです。今、高知かどこかで何十年、80年かけて電車がやっと引けたよと大喜びしてましたのをちょっとこないだテレビで見たのですが。われわれ大正時代からそういうすばらしい電車があるのに何かの関係でそれを潰さなくてはならないという非常事態が起こってます。それと別所温泉にはグランド野球場が2面ぐらい取れるような別所小学校という卓球温泉で有名になりました。あの小学校があったんですがそれをばさっと壊されてしまいました。われわれの財力の不足でそれを俺買うからと何とかするから。私はそこに大共同浴場作りたかったんです。小学校1年2年3年4年5年6年までのお風呂の入り方を教えようかなと。小学校1年なら大きい所で混浴やったっていいんじゃないかな。そういう1年に手を上げるお客さんがいたら混浴にドボンと入ろうよ。だって体育館使えばそれができるじゃない。体育館をスコンと取ってそれをやればお湯を落とせば出来るわけですから。それとか段々高学年になってくると2人で入る家族風呂とかですね構想もあったのですがそれがスコーンと抜かれて、またすぐ側を走ってる電車15も駅がある10キロの温泉電車が今消えようとしてます。これをそのままの状況でもし戻すことが出来たら。さっき首藤さんが言ってた御前湯あの発想とか、私もあの湯布院なんかは溝口さんところは多分上山田温泉とか渋とか見に来たのね。多分あの時代に見にきてまねっこしてああいうふうに作ってあんなすごくなっちゃった。ドイツもそうですね日本のまねっこした。だからまねっこする前の我々のものをなんか我々がずっと維持できなかったその歯痒さですね。1番は今日は政策銀行さんいますけど別所温泉18万人お客様来るんですよね。昔18万人きて今18万人きて横並びでいいなぁ。お陰でちょっと伸びていいなぁなんて言ってますけどみんながみんなが設備投資して大借金抱えて18万じゃ足りないんですよ。倍なきゃだめ。36万人いなきゃだめなんですよ。それを簡単に36万人するにはどうしたらいいか。2泊にすればいい。簡単なことです。2泊にするには楽すぎていけないから私は3泊にしよう。ということで自分のうちをモデルでやりだしまして実は8月に入ってから毎日満員状況続くんでございますが、32室の旅館が50人弱で満員になっております。しかも料金3倍もらえればいい。これで設備投資しましたから3倍ください。そういう時代じゃないですよね。来なくなったお客様に3倍やるわけにはいきませんから結局毎日、現に一人旅のお客様。それもそうです。団体でとるのは私はあんまり好きじゃなくてどうしても他のさっきのやきもちですね、他のうちにバスが入ってる。憎ったらしいんでね、それっだっだったらどうやって毎日うちに。毎日満員になってさえいたら従業員も私も安心なんです。いくらでとろうが全部の部屋が電気ついてたら調理場もそうですルームさんもそうです。おかみまでみんな安心ホクホクなんです。7千円であってもそう。1万円であってもそう。それにはどうすればいいかというと一番ぶらぶらインターネット見つけたり見たりしている人や歩いてる一人客を取ろう、ということを10年前から始めました。1年に一人ずつ客が増えてきて今やっと毎日32室のうちの10室が一人のお客様で埋るようになってきたということ。それとさっき斉藤さんがエージェントに滞在客を仕掛けるのは難しいという面がありまして、私見事エージェントにひっかけまして4部屋ですかね。名鉄観光に提供してます。それは売りと同時に完売です。3泊です。1泊7千円くらいですから2万1千円くらいで売れるんです。即完売です。ですけど2人1人が来るという世界です。それで4,5部屋使われて、後、一人旅10部屋、15部屋。その世界のお客様が確実にあること確かです。ですからうちも今大借金抱えて苦しい状況にいますけどスコンと18万人から36万人になったときはすごいことが起こるかな。簡単に倍にする方策。それは私たちは滞在だと思ってますので。その辺のこと誰かがうまく仕掛けて別所が別所小学校の跡地と温泉電車とそれを昔に戻って手付かずの温泉地になるようなことをこの温泉フォーラムでもしこんなことをやったらいいよとかいろいろ大失敗してるからこうやると失敗しないよとか熱海、別府もそうですね。私、熱海に4年いたものであの失敗例をずっともろに見てきたもので、そういうことはしたくない。別荘の部分マンションの部分、別府失敗すると思うのですけどね。今は来てるようですけど。その辺の叡知をぐっと絞って本当に、もし来年か再来年、別所がモデルケースになってみんなで作り上げた手付かずの温泉地になればいいかなと思ってちょっとあげさせてもらって、この仲間に入れてもらいましたけどいろんなご意見と実談が是非欲しい思ってますので。そんなことでよろしくお願いいたします。

(中田広裕久)
ちょっとお聞きしたいことがあるのですが、よろしいでしょうか?3泊される方がいらっしゃると3泊されてどういうことをおやりになっているのでしょうか?

(倉沢章)
何もやってないです。

(中田裕久)
部屋にずっと籠っているのですか?

(倉沢章)
2人でなんかいちゃいちゃしているわけではなくて、お年寄りですのでお風呂。本当のお風呂っていうか入りたい。それから外湯の部分もありますし、別所という街が出来ているのでどこを歩いても楽しい。しかも下駄で浴衣で国宝の塔、日本で1個しかない国宝の塔を拝むことが出来るという、元々素晴らしい観光状況にあるんですよね。それをお客様知らなくて来たけど発見しちゃってるんじゃないかな。だからまた来るんですよね。で、私手付かずと言ってる。だからあるものを活かそう。ある人脈もそう。そこに通勤している人たち。それがさっきのやきもちです。あっちにお客様があって我々に何も還元ない。無いはずです。、18万人しか来てなくて設備投資したところが金ガバガバやって返しているわけですからね。それが倍になったときには街の人たちに相当の還元率があるような気がするんですよね。だから実際3泊しても私見てるに何もやってる気はないですね。遠くまで行こうと。といってもJR使って来てますので遠くまで行くということはやってないですね。

(中田裕久)
それに関連してですが、食事なんかはどうなんでしょうか?

(倉沢章)
食事は昼は、みな地元の蕎麦屋とかうどん屋とか、そういった処に行って食べたり。今、食べたくない人もいっぱいいます。朝晩素晴らしいご馳走が出るんです。原価調整してすばらしいご馳走が毎日違う6泊プランというものもやってます。それも6泊12食でみんなバリエーション変えてやっているのでお客様朝晩楽しみなので別に昼を抜いてもいいし。それでも昼食べたいときは地元の蕎麦屋さんとかうどん屋さんへ勝手に地元民と食べあってるようですね。

(中田裕久)
ありがとうございました。何か関連して。
首藤さんどうぞ。

( 首藤 )
滞在されるときの部屋の広さってどのくらいなんですか?

(倉沢章)
空いてるものはすべて使うということで、もし、いい部屋が残っていたらそこを提供します。

( 首藤 )
どれくらいあるということですか?

(倉沢章)
12畳あります。基本的には8畳を売ってあるのです。バストイレ付き8畳。だけどせっかく来てくれるお客様に12畳が空いていたらもったいないので提供しちゃう。詰まってくると8畳になってきますけど。それはほとんど今一人ですね。

( 首藤 )
料金設定は一緒ですか?

(倉沢章)
一緒です。なるべくそんなに優秀社員っていないので旅館業界。われわれが優秀ぐらいないものですから。その複雑な何人来たらいくらとかJTBがやるようなコンピューター管理しかできないような料金管理は私させたくないので駆け引き止めようということで。すっきり1万円ということでやってますけど。何人来ても1万円でやってますから。

(中田裕久)
よろしいでしょうか?
そのほか倉沢さんになにか、ご質問があれば。

(   )
3畳一間と4畳半一間の長期滞在の部屋というのをすごい気に入っているので1回図面と現場モデルをぜひ検証にうかがいたい。

(倉沢章)
はい、4畳半一間は一番昔われわれの利用価値が多かったものですから。

(中田裕久)
よろしいでしょうか。
それでは登別の奥村さんお願いします。

(奥村暢欣)
本当に単純にとにかく勉強させて頂きたいということで参りました。登別温泉は非常にいろんな今皆さんの話を伺って遅れているなというかほとんど何もしていない。何もしていない、にも関わらず年間160万近くの宿泊のお客様がいらっしゃってるという現状があります。以前のことは私よくわかりませんけれども、このシーズンになりますと夜、温泉街を歩いているお客様の数よりも朝6時半とか7時に歩いているお客様のほうが非常に多いんですね。私営業の仕事をしているのですが、元々当館はお湯治のお客様で始まった旅館で、現状でも年間に非常にパーセントで言うと2%もないのですが、3600人泊、長いか方だと1ヶ月という形でご湯治のお客様が道内のお客様がいらっしゃいます。これをなんとか道外といいますか飛行機を使ってくるお客様の方に広げたいというふうに考えまして、4年ぐらい前に全国のエージェントの方のところに営業に行ったのですがその時点ではまったく現状でも仕組みが追いついてないという部分があるんですけれども。お客様が逆に今安い飛行機を使って特に冬場なんですけれども、連泊するお客様が年々増えてきております。それは特に大阪とか東京とか、わりと都市部からのお客様というのが確実に増えてきているなぁというところがありまして、個人的にも非常に興味があって宿泊客を増やすという部分もありますけれども2%、3%という部分をとにかく連泊して頂いて滞在して頂くお客様を着実に増やしてリピーターを増やしていきたいというふうに考えております。また登別温泉は非常にちょうど私40歳なんですけれども、同世代の人がまったくいないんですよ。次の多分経営者になるのが義理の弟、だいたい20代後半から30代前半。何とかそこまで繋いでいきたいなぁというふうに思ってまして、とにかく勉強させて頂きたいということで参りました。どうぞよろしくお願いします。

(中田裕久)
連泊される方というのは年代層としてバラエティがあるのですか?それとも中高年とか?

(奥村暢欣)
中高年のご夫婦ですね。
圧倒的に多いと思います。で、何もしないです。何かつけるというのを逆に嫌がるというか、昼もほっといて下さいと。お風呂入って、本読んで、天気がよければ冬場なんですけれどもぷらっと温泉街に出て行くというような方が大半ですね。それか非常に少ないのですがいろんな情報を勉強していっしゃって私たちが知らないようなところに、例えば近場の室蘭のどこどこに行くとか、そういう方も中にはいらっしゃいますけれども。95%くらいの方は何もしない。とにかくのんびりゆっくり疲れを取りに来て、また空港まで行って帰っていくというような方です。

(中田裕久)
なるほど。


(    )
合田さんが言ってましたけどペットの貸し出しはおたくじゃないですか?ペットの指名をするんですね。この犬が、こういうのがほしいと、東京から持っていくわけにはいかないからと。

(奥村暢欣)
まだやっておりません。アイディアとしては。

(中田裕久)
はい、どうもありがとうございました。
それでは湯原の方の古林さんですね。よろしくおねがいします。

(古林)
皆さんこんにちは。岡山県の湯原温泉という街はほとんどご存知ない方のほうが多いんじゃないかと思うんですね。東京の方に言わせますと大阪から西は海と。岡山というのは、はてどこだったろうか。というのがほとんど本音じゃなかろうかというのを肌身でしみております。湯原温泉のいろんな取り組みなんですが、みなさんのをお聞きしておりますと今日何を話そうかという感じくらいなんでも手を出してまして、どういうのでしょうか、むてかつ流といいますかやっとおります。私自身といいますか街全体がある意味ひとつの方向性を持ち出したのは25年程前でございまして溝口大先生のご講演を私本当に若いとき25歳でございました。商工会の青年部か何かでお邪魔致しましてお話を聞いて頂きまして、その日、目覚めまして街づくりというのはこいつは本気でやらないかんな。それまで酒を飲むことしか芸がなかったんですけども。突然目覚めまして。それから周りも見渡せだしたということなんです。その中でいろんな全部でましたね。「どこ行く湯原温泉」というようなテーマでした。当時昭和47年頃が湯原温泉の1番ピークを迎えておりまして、それから徐々に下降傾向、でもまだ底ではなかったのです。とりあえず下りつつあるときは不安なものですから新しい温泉の方向性というものをその25のときに、なにか考え始めたんですね。そこでその時に療養型とかいうような話もでました。当時はまだ芸者さんが湯原温泉というのは結構いたんですよ。規模的に言いますと現在の規模で旅館件数32件。収容力2500名。年間の宿泊のお客様22万人。お越しになるお客様以外の数で日帰りのお客様で64万人。昨年の数字でございます。本当に小規模なんですがその当時は120人ぐらい。そんな2500人しか泊まれないところに120人の芸者さんがいたりして。それなりに儲かっていたのですよ。もうわんさかわんさかでしたね。あんなに儲かっていいのかというぐらいだったんですけれど。まぁどこでもだったんでしょうけれども。その時には一応それでもこれからの温泉地というのはこんなことはいつまでも続かんなというのはなんとなしに肌身にかえてまして、案の定お客様はどんどん減りまして最高27万人からこれが27万というのは岡山に新幹線がついた年なんですけど、それから20万人。最低で19万人までの落ち込みです。それ以後は一応横ばいといいますか、徐々に20万人きったりきらなかったりでずっとついてきまして、その間ずっと方向性でなかったんです。もうどっちに向いていいかと結論でずになんでもかんでも黒川さんがいいぞといえば湯めぐりをやってみたり。あらゆること何でも団体さん法人向けのほうがいいといえばバス送迎でいろいろやってみたりと。いろいろみなさん取り組んでらっしゃいました。ある意味それで維持できたという感じです。バブル期も特別お客様は増えておりません。景気もよくなかったなという感じ。湯原が一番幸いなのはすり鉢の底みたいなとこでございまして土地がない。外部資本が一切入ってこれない。大手の資本が入らない。バブルの時もそれでございまして。各旅館等もその時に設備投資ができなかったという非常に幸いなことがございまして。今はそれほどきょうび聞かれるめちゃくちゃな借金はどこともないというのが実状だったわけです。近年ちょっと動きが出てまいりまして4年5年程前からそれでもこのままじゃいかんぞと、若いもの中心にいろいろ頑張っていこうということで旅館組合を中心に致しまして。また新たに大体方向見えてたんですけど保養型、療養型になるだろうともうみんな大体感じてました。それからもうひとつは宿の個性化。団体旅館では絶対成り立たんと個人旅館への移行というのはそれは早かったですね。10年ぐらい前から始まっておりました。みんな宴会場潰ししちゃって少なくても200人規模の宴会場なんて元々ないですが、ちなみに湯原温泉の旅館の規模は最高が350名程度。あとは120名が5,6件で小さなそれこそお父さんお母さんでやっているような宿も10件程度。そんな32件なんですけれども。そんな中で大体方向性は見極めて、今いう個性化、ある意味では個性化といえばいいですかね。そういうものを一応見極めてきてました。5年ほど正確に言うと4年前から湯原の里振興プロジェクト。湯原温泉という名前ではなく湯原の里と称しております。これは湯原温泉を宿泊場所として選んで頂いた時にその湯原から普通1泊なり2泊なり3泊でも訪れる場所は全部湯原の里だという。県を越えようが町を越えようがもうそんなものは関係なしに湯原を起点に動くときはすべて湯原の里。情報掲載はすべてそういうものもパンフレット等も湯原で作るんだけれども、例えば湯原温泉岡山県の北の端でございます。そこから極端な話一番遠いところは2時間半から出雲までも湯原の里だと。日帰りで行ってこれるのではないかというような感じで、もう非常におこがましい考えで宿泊基地湯原という感覚でやって参りました。そうして4年前振興プロジェクトの中でやはり起点は何かというと温泉ではないかと。温泉大事にせなあかん。湯原の温泉のこといろいろ考えてますとこの噴出量がなかなか素晴らしいです。1分間に総量で6トン6000リットル。これに60をかけて24かけて365をかけますと1年間の総噴出量。それで入湯税のお客様の人数で割りますと一人あたり12トン。この計算を草津温泉でやりますと9トン。要するに草津よりも3トン湯原の方が多いではないかという理論を持ちだしまして湯原は日本一だととんでもない思い上がりといいますかおこがましい言い方なんですが。そんな理論で町民を納得させたというこれは外向けといいますか町民向けに啓蒙致しましてもう誇れと。温泉は湯原の宝だと。その辺のところでおだて乗せ上げまして最近ずっと湯原温泉の外向けでもやりましてね。要するに今言う7月の31日に公取委の方から使っちゃならんという曖昧なところだということになったようですが、源泉100%本物温泉というのをばんばん発信してるんですけれども。そんな中でお客様親交プロジェクト徐々に増えております。5年前から毎年少しズつ増えてきまして何とか昨年度で1割増の20万人から22万人というところまで持ってきました。面白いんですよ。岡山県の場合には今大河ドラマ宮本武蔵がございまして県全体が宮本武蔵一色でいけという御命が下ったのですが、湯原刃向いまして宮本武蔵には絶対目を向けないと。そんなものは一過性のものとあれは放浪癖があるから湯原にはいつかんと、とりあえず湯原住む間の宮本武蔵ではなくて本物温泉一本でいけと。昨年からやってますことは、温泉指南役養成セミナーというのを初めております。要するに土産物屋の親父さんから赤ちょうちんの親父、旅館の従業員やフロントや社長はもちろんのこと、もう温泉のプロフェッショナルになれと。そのことがお客様のサービスになるのじゃないかと。自分たちの自信にもなるだろうさっきの噴出量の問題もあるんですけれどもそういったことで自分のところの温泉をよく知っておこうということで始めました。第一回は実は準備期間が結構かかりまして今年の5月の7,8,9くらいでやったんですけれども33名。それこそうちがあたりましてマッサージさんそれから土産物屋のご主人、飲食店の方、旅館の従業員、取り混ぜて33名の第一期生を送出いたしました。第二回をまた秋に計画してるんですがここ2,3日実は私睡眠時間ほとんどないんです。一日2時間ほどしかこの4日間寝ておりません。理由は簡単でしてまず7月31日にでました公取委の温泉表示の問題これがまず気にかかってホームページの作り直しからよりガンガン100%だせという。それから各旅館に対しもしうそがあってはならんのでそういうところについてはちゃんと直しなさいという旅館組合での指示を出すこととか。それともうひとつございましてこれは私がたまたま気づくのが遅かったんですが財団法人、健康開発財団さんの方が新しい温泉の資格ということで温泉入浴指導者という資格を今年から始められました。従来の温泉利用指導者これは非常に敷居が高くて東京5日間、福井の方で5日間合計10日間で資格代よりも軽く5〜60万を超える予算がないと費用をかけないと取れなかった資格だったんですが、今、現実に今までその認定を受けられた方306名しかここ数年間でいないという非常に少ない中もう少し敷居を低くした温泉入浴指導者というものが出来たんだそうです。今年の第一回の試験が9月2日3日に神奈川県の方で行われるのですが、申し込みますとほとんどいっぱいでした。ということでこれはいかんと。湯原として温泉指導、温泉指南役をやりながらこれに参加していないのはどうもならん。1人2人は絶対だしとかなきゃいかんということで急きょ、さてどうしたものかと思って健康開発財団の方にお問い合わせをしましたところなんと中身は湯原の温泉指南役と全く同じ事をやっていたんです。考えてみるとこの健康開発財団の先生は実は湯原の温泉指南役のときに呼んでいたんです。それをもって帰ってまったく同じ組み立てしたんじゃないかと私は非常に悔しい思いを。これはまるごととられたなという気がしているんですけれどもまぁそれはきっとそんなことはない。きっと緻密な計算のもとにやられたんですが結果的に一緒だったんですが。あまり悔しかったものですから結局団体申し込みという制度がありましたので、その温泉利用指導者の講習会を湯原に誘致いたしました。9月のその次の週、9月の8,9,10の3日間で最後の一日は湯原独自の湯原の温泉の歴史と湯原の温泉について徹底授業を取り込んで最終的には2日間で温泉利用指導者のくみとりをといいますか健康財団の 認定そしてもう1日付け加えて湯原の温泉指南役の認定という、湯原の方がさらにひとつ上という資格制度でもって従業員の方、温泉街全体の町の方々に自信をつけて頂こう。こういった活動が療養型といいますかそういうものにもどこか関係するのではなかろうか。もうむてかつ流にやっております。B&BはそれこそB&Bとか、RCとか温泉地に取り入れるのもこれもそれこそ非常に逗留にはある意味都合がいい。各旅館でのメニュー交換というのは、実はそれもこれは実現の方はもう少しなのですが、一応呼びかけのほうはそれぞれ旅館の方にさせてもらってまして、朝食なり夕食は好きな旅館で取ってもらえるというような形のものを一応形としてはオープンできております。実際にやっているかといえばこれはまだまだなんですけれども。こういったものがもっとオープンに進んでいけば滞在型っていうのももっととれてくるかなという感じです。当面ある意味湯原は困ってないものですからそういう意味において、もうひとつまとまりが欠けていると。もうひとつの新しい取り組みと致しましては、実はもう黒川温泉さんの丸どりで、5,6年前から湯巡りをやっていたんです。もう返上しようお返ししたらどうだと。理由は湯めぐりをするほど安物の湯ではないという。湯原の湯は大変湯持ちがいいので1日に何べんも入ると湯疲れして倒れてしまうんじゃないか。そういうおこがましいというか思い上がったことでございまして、一人一回ずつの入浴を大事にしてもらおうではないか。最近千と千尋で大変温泉の癒しのイメージの方がますます盛り上がってますので、あれにあやかって湯蔵でいこうと、ひとつずつ湯原の温泉にそれぞれある意味、ランクをつけます。例えば「さら湯、都度はりかえ」、一番上等なのは新しい湯を都度はりかえる。「さら湯、都度はりかえ」というのが最上等の湯だ。次にかけ流しと、これは順次実際問題、大人数入られたり公衆浴場法の適応を受けたところは低循環にしておりますのでそういうところはそれなりに形状していくというこういったお湯のランク付け、こういったものも考えたりして、とりあえすお湯のよさを徹底的に誇っとけと別府の鶴田さんのプレッシャーを感じながらしゃべっておりますけれども。ある意味、犬の遠吠えといいますか本当に山の中の東京の方からは姿が見えない海の中、海の底から岡山県湯原温泉でございますのでこれぐらい言っても誰も怒らないだろうと。もう山の本当に空がないんですよ。谷底でございまして。そんな中でいろいろ模索しております。今の皆さんの話、貸して頂けるならヒントがあっちこっちに転がっておりますので早速どれから真似してみようかなとまねっこ作戦を考えておりますけれども。唯一、湯原はこれは誇れるなというインターネット。超みんな熱心です。小さい宿さんがすごく元気になって参りました。対前年度は毎年毎年200倍とかいうような感じで倍倍ゲームでお客さん増やされて。小さい宿が声が大きいので旅館組合全体が活気立ってます。それから先程斉藤さんがおっしゃられました嫉妬の話、湯原でまさしくそうです。跡取が残るのは旅館しかいないです。農業もだめ。他の飲食店なんかもだめ。土産物屋さんもだめ。中で、旅館だけが跡取が残ります。それに嫉みでしょうか観光に対しては予算を全然取ってくれませんでした。ところがここ数年唯一すべて右肩下がりの数字の中で観光だけが右肩上がりだ。ここにきてさすがに町の執行部の方も観光に向かなければいかんということと、もうひとつは経済効果、合併問題を踏まえた湯原のアイデンティティ。年間22万人と入客数64万人これがもたらす経済効果はざっと見込んでも100億近くになってそれが周辺に及ぼす影響というものを力にして合併問題を湯原に有利に温泉を大切にというところの視点で進めておるというのが現状でございます。すいません。ぜんぜん問題提起にもなにもなっておりません。

(中田裕久)
どうもありがとうございました。
今、温泉地のリーダの方からいろんな発言がありまして逆に質問が2点ほど出ているという状況です。ひとつは基本的な問題ですが首藤さんから発言がありました。こういった研究をどういうふうに実際に活用するのかと。政策提言等々諮っていくのかどうかというようなご質問がありました。そういったターゲットを明確にしてやられる方がベターなんではなかろうかという発言がありました。この辺につきまして奥村副会長のほうからご発言を願いたいと思います。

(奥村明雄)
大変貴重なご提議を皆様から受け賜ってるわけでございますが、最初に申し上げましたようにできるならばこの研究調査はこれまでの私ども実行委員会の集約という意味でなんらかの政策提言というところまでいければいいのではないかなというふうに考えております。個人的にはひとつはヨーロッパの温泉地など回ってみますと温泉のいろいろなマッサージその他の医療行為保養行為については健康保険が適応されているわけで日本の場合にはこういうものが適応されていない。私は医療費も増向傾向の中でこれを縮少していくというのは大変大きな命題だろうと思いますが、そういう意味でも日本でも是非温泉で長期滞在しながら一定のメニューに従っての生活をする、あるいはウォーキングなどをする、そういうような場合に一定の費用を保険の方でみるというようなことそういったような項目を政策提言としてしていくと考えられるのではないかと思いますし、これは先ほど鶴田さんのお話にもありましたが長期滞在からむしろ地元に住んでもらうということになって参りますとこれは正しくさらに大きな政策提言ということになって参りますし、倉沢さんのお話にありました地域の古い伝統を残していくというようなことになりますとこれもひとつの政策提言というようなことになって参ると思います。せっかくみなさんのいろいろな提言をまとめて研究調査の中でぜひ政策提言というところまでまとめていければなぁというふうに思っている次第でございます。

(中田裕久)
ありがとうございました。もうふたつほどですね、これは同じテーマで2つほど話が出たわけですけどもひとつは滞在型というのはトラベルエージェントと相性が悪い、というような話がありました。なぜトラベルエージェント、滞在型の保養と相性が悪いのかということを後ほど小林さんからお話を伺ってくれというふうなお話がございましたのでその辺、小林さんいかがでございましょうか。


(小林)
滞在型がなんでエージェントと相性が悪いかというと、全然そんな事ないんですけども。日本で限っていえばあまり相性がよくないんです。これはなぜかというとひとつは仕組みの問題です。それは皆様専門家だからおわかりになっているかと思いますが。作る方も売る方も基本的に1泊2日をベースにした仕組みを作ってる。簡単に言うと鶴田さんご存知ですけどもコンピューターの仕組みそのものは1泊2日で入ってしまって、泊まりと食事を分けて売ってないんですね。今はそれを改造してますが、そういう意味での滞在型ができないということ。もうひとつは先ほどから話が出てるように滞在をして何をしているかというので、われわれの調査で一番多いのは何もやらないというのが一番多いんですね。何もやらないというのは自分で好きなように過ごすんですね。滞在するときはプログラムを作って組み込まないと売れないのではないかと思っていますが、全然そんなことはないんです。そうするとどういう問題が起こるかというと何もやらないという人に旅行会社は何を売るんだということのなるんですね。何もやらないということはどういうことかというと中高年の比率がどんどん増えてくると自分たちがいろいろな体験経験を今までやってきているのでそれを生かして楽しめるんです。今まで若い人を中心に商品を売ってきた人間、われわれにとってはプログラムを詰め込んで売るというのがひとつのパターンで出来上がっているんですね。そうではなくてその中身のところを自分たちで千差万別のものをどうやって大量生産するのかというノウハウがないのです。ここを今考えています。ですから今までのビジネスモデルが成り立たなくなっているというのは実はそういう言い方であって、相性が悪いのではなくまだ開発されてないことだろうと思うのですね。さっき国内に限ってという話をしましたけれどじゃあ海外でどんなことをやっているかというと最近非常に進んだ旅行会社というのは例えばドイツの中でわれわれすら聞いたことのない街に1週間滞在する商品を売り出し、めちゃくちゃ売れてる。その場合どんなことをやっているかというとそこに住んでいる人の情報を得てどうやってその街を楽しめばいいかという絵地図を作ってあげるんです。その市場に行けば何時からこんなことをやっているよ、とかですね、お昼にここの教会に行けばパイプオルガンやっているよとか、そういう情報をあげてそれをもって1週間楽しみなさいということで、もちろん最初にオリエンテーションをするのですが。そうすると今の人というのは実に勝手に遊ぶのがうまいのです。ここのところを考えれば実は日本でも出来るのではないかと思うのです。ただその場合に今日皆さんがおっしゃっている通りなのですが「なぜ滞在するのか」というところを考えなければいけないんです。実は滞在型にしてほしいという裏に2泊3泊していけばお金が落ちるならという、まず滞在する前にお金ちょうだいというふうに手が出ちゃうのです。だから、こない。そうじゃなくて滞在して結果としてお金が落ちるわけですから今日はみなさんトップレベルの方がそう話をしているのですが例えば、話し長くなってごめんなさい。滞在型商品で何が最初に売れ始めたかというと、例えばパリで1週間とか、ニューヨークで1週間、商品でいうと滞在型という意味でいうと。で、何をやったかというとなぜ売れたかというとパリに住んでる人とかニューヨークに住んでいる人はかっこいいよね。ああいうライフスタイルをしてみたいというのがまずあるわけです。その次に住んでどうしたかというと裏町の総菜屋でフランスパンを買ってお惣菜自分で買って食べてみたい。それはなにかというと町に暮らしている人の機能を使うということなんです。つまりそこに住むことがかっこよくてそこにある機能を使える。それが滞在型なんです。滞在型というのは2泊させ3泊させ時間止まらせようというのではなくてそういう風に考えていく、自然に滞在するそういう風にするんですよと物事を考えていくのが一番面白いのではないかと思うのです。後から順番が回ってきたら言おうと思っていたのですが、頭から滞在型温泉保養地と決めてしまうと実は形を考えてしまう。それにあわせる答えしか出ないのではないかと少し気になったところなんです。ということで、このへんで。

(中田裕久)
どうもありがとうございました。
もうひとつ斉藤さんの発言にあったのかな。サプライチェーン・マネージメントというカタカナがでてきました。この辺につきまして政策投資銀行さんから一言ご説明願えればなと思います。いかがでしょうか。

(小松)
政策投資銀行の小松でございます。今日は北陸の金沢から参らせて頂きまして、日頃から上口社長にはいろいろご教授を賜っておりますし、方々、溝口社長とは先日あるセミナーでご一緒したり、首藤社長からは金沢にセミナーの講演に来て頂いたりということで大変ご縁を深めさせて頂いてるのですけれども、私なりに思いますのは今日たくさんのお話を聞かせて頂いて、その中で斉藤社長の方からサプライチェーン・マネージメント的発想という話があったかと思います。私ども政策投資銀行としてはまさになぜこのセミナーにご一緒させて頂くという一つが、まさにそういう私どもが政策提言というものも今お話がございましたように拝見しながらサプライチェーンという大きなフレームの中でみなさんの大変ご努力されてる一つ一つのコンテンツをですね、うまくくくれるようなことができないかなということを改めて思いました。たまたま前職が交通生活部というところで船会社の担当をしておりました。外航海員を中心にまさにサプライチェーンを実践している会社部門を担当させて頂いていたのですけれども。私が2年間仕事をしながら思いましたのは船会社というのは外航海員の世界の中ではとりわけ国際化が極めて進んでおります。日本の商社さんがよく代表に出ますけれどもはるかに船会社の社員の皆さんは海外で実践をされながらその中から海外の情報、荷主さんの情報を掴んでこられて且つそれを世界中の方々にまさにニーズとしてそれを組み込んで今まさに船会社というより総合物流業という転身を図られています。コスト管理は徹底的にされておりまして、乾いた雑巾をさらに絞り込むということをさかんにやってますし、本社機能も別に日本に置く必要がない。そういう発想をもたれていますしあらゆる要素、ビジネスチャンスがあれば世界中駆け巡っていくと。そういうことをされています。その中から、総合物流業という戦略を中期計画の中で組み込んでらっしゃるということであります。私なりに今日のお話の中で思いましたのは、観光立国と小泉首相のおっしゃられたその背景にはやはりかつて日本が国際観光ということを目指して外貨を獲得しようということで国際観光ホテルをインフラとして国内に整備しまして、その時に私どもの前身の開発銀行がお手伝いをしたという背景がございます。今ここでもう一度観光産業というのがある試算によれば約70兆円くらい先進国並みの収入が確保できれば日本でも確保しうる、マーケットとして。これはIT産業に相当する。日本のですね。これぐらいの潜在需要があってこれをはたして日本が勝ち取れるかどうかこういう事でございます。このためには恐らく顧客の方々を日本の国内だけでみてはすでに遅いのだと思います。世界的な視野から見て日本の観光資源というのははたして世界の方々から 見てどう写るのであろうか。どう売れるんだろうか。その結果としてIT産業並みの産業規模にまで成長させられるのかどうかそういう大きな命題があるのかなと。と、いうときに斉藤社長がおっしゃられたようなSCM的な発想というのが私も大変重要なのであって、その一つが滞在型ということにもつながってくるのだと思うのです。例えて言うと、船会社さんが今盛んに力を入れているのがクルージングでございます。世界中に船を仕立てて、客船を仕立ててお客さんを取り込んでそこのクルーズの旅をしながら世界各国を周る。日本郵船さんが飛鳥という船を仕立ててこれは国内の旅をしております。今の青森のねぶた、このクルーズをしてまして、これはどういうことかというと日本の各地の観光資源を船というものでチェーンを作りまして、そこでお客様に提供するということをされています。私自身は、実は、10年前アメリカに生活していたときに斉藤社長のおっしゃられたタイムシェアに自分で入りまして、先々できることなら世界中の旅をタイムシェアの仕組みを使って行きたいなと。もう一つの理由は日本の国内でのそういうチェーンがその当時から出来ていましたので国内旅行もそういう発想でやってみたいなということで自分で入ってみました。残念ながらここ10年の実績を見ますと2,3度いったのですが満足感という意味では必ずしも十分に得られなかったという側面と、今日の話のようにそこの部分本当にうまくサプライチェーンができれば、今日お集まりの皆さんとの間に単純にタイムシェアを皆さんが導入されて、そこをお互いチェーンを組む。そこに例えば客船をひとつ、長野県ですと実際なかなかそこは難しいかも知れませんが、海に近いところであれば、それをチェーンにしながら滞在型の旅行というのもひとつ提案をできることになります。今年はここに行ってみよう、ここに行ってみよう。先ほどの皆さんの個性の塊といっていいくらい、それぞれの皆さんがご努力されているわけですから、そうすると当然選択肢の幅が広がるわけですね。その中からご自分で選ばれて滞在プログラムを組まれるということですので、最終的には非常に健康ということにもつながるような、生きがいにもつながりますし、今度、逆に提供されている皆さんからすると収入の確保ということにつながるわけですから、お互いのニーズが必ずマッチするのではないかなと、そのように思っていまして。実は、先ほど、加賀屋モデルというのがでましたが加賀屋の小田会長とはこれを本格的に導入に向けて考えましょう、ということを、今、内内検討しております。その時に、やはりなにかこういうフォーラムという場を通じて、私ども今回参加させて頂くのは、単にこのフォーラムへの参加ではなく、恐らく5年、10年、もっと50年位のスパンでこれから日本の先ほどおっしゃられていた皆さんにありますように、これまであったものをどう取り戻すかということとか、そこに新しい次の世代の方に受けいるような、どう組み込んでいけるかとか、そういうことを諸々の全部、まさにサプライ・チェーンで取り込めるといいのではないかなと、そう思っています。金融機関ですので最後はお金が伴わないと回らない。と、そういう厳しい面も当然見させて頂きながらその代わり、やはり、ある種のロマンといいますか、夢をこういう場を通じて実現に向けてそのきっかけづくりに国の機関として少しでもお役に立てたいなと、こう思っております。以上でございます。

(中田裕久)
どうもありがとうございました。
時間になりましたけれどもここのお集まりの皆さんにはまた調査研究で具体的には場合によっては現地に行きましていろいろなお話を聞くような機会があるかと思いますのでその際にはご協力よろしくお願いいたします。最後に一言奥村副会長の方からご発言をお願いします。

(奥村明雄)
長時間にわたりまして、貴重なご意見をお聞かせ頂きまして、誠にありがとうございました。最初に申し上げましたように、この調査研究の中で100人の有識者の方にアンケートを出しまして、それを通じて政策的な問題提起ができれば、というふうに考えたわけでございますが、実は、今日皆様方のお話を拝聴しておりますと、11人の方々から承っただけでも十分内容の濃い豊かなご意見をお聞かせ頂いたというふうに思っております。皆様方いろいろ温泉地の活性化について、ご苦労されているわけでございますがやはり地域での政策、あるいは県レベル、あるいは国レベル、いろいろな政策との関連性が出てまいると思います。国の方で言えば省庁がいろいろまたがっておりますし、統一的な政策というものをまたこれまでのところは必ずしも形成をされてきたものではないと思います。こうした機会を通じて私どもの実行委員会としては、いわば初めてかと思いますが、そういう政策的な研究に取り組んでいくということであります。政策投資銀行のほうでもご指導を頂くということになっているわけでございまして、この調査研究の成果を是非実るようなりますよう、皆様方のご支援を心からお願い申し上げまして、御礼のご挨拶に代えさせて頂きたいと思います。どうもありがとうございました。



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