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温泉と医療

老年痴呆に対する温泉療法

川村 陽一
小山田記念温泉病院


1.痴呆とは

 痴呆とは、いったん正常に発達した知的機能が後天的な脳の器質障害により持続的に低下し、日常生活や社会生活が営めなくなった状態をいう(参1)。中核症状としては、記憶障害、失語、失行、失認、実行機能の障害などの認知機能障害による症状が挙げられる(参2)。高齢になると、健常者であっても“忘れっぽく”なるが、知能あるいは判断能力は正常であるために社会生活には支障をきたさない。痴呆は記憶障害にとどまらず知能障害を含むために通常の社会生活が出来なくなる。また、障害された知的機能を頼りに日々生活していかなければならないため、不安、焦燥、易怒、興奮が出やすく、被害的で妄想的な解釈が生まれやすい。せん妄、徘徊、幻覚、妄想、不潔行為、睡眠障害といった問題行動が出現する場合も多く、ケアをより困難にしている。

 老年痴呆には大きく分けるとアルツハイマー病と血管性痴呆がある。アルツハイマー病の危険因子として一致した見解が得られているのは、高年齢であることと、若年発症の痴呆の家族歴だけであり、発症予防と結びつく危険因子はまだ特定されていない。そのため、アルツハイマー病の予防はきわめてむずかしいというのが現状である。一方、血管性痴呆はいわば脳血管障害後遺症であり、高血圧や喫煙、病的肥満、不適切な食生活、糖尿病などが大きなリスクとなる。従って生活習慣病の予防・治療が血管性痴呆の予防になる(参3)。

 1999年にドネペジルが日本で最初のアルツハイマー型痴呆治療薬として出現(参4)しているが、薬剤以外の痴呆に対する対処方法としては、ケアが大切であると考えられ、2000年から日本痴呆ケア学会が設立された。学会では数多くのアクティビティーの有効性が発表されているが、代表的なものとしては、音楽療法、動物療法などがある。我々は痴呆患者に対するアクティビティーの一つとして、温泉療法を試みている。

 なお、痴呆は侮蔑的な表現である上に、「痴呆」の実態を正確に表しておらず、早期発見・早期診断などの支障になっているとの指摘から、今後「痴呆」に代わり「認知症」という呼称を用いる見通しとなったことが2004年12月24日厚生労働省から報告されている。


2.小山田温泉(アルカリ性単純泉)を用いた、アルツハイマー病に対する温泉研究の紹介

 我々の医療施設福祉群にも老年痴呆患者で、自力で入浴できないため、入浴介助を必要とする人は多い。施設入所者の入浴は、介護者の勤務の関係から昼間に行われるのが現状である。一方、日本人には入浴が好きな人が多く、大多数の入所者も入所以前はほぼ毎日入浴し、入浴時間としては夕方から夜間に入浴していたようである。また、夜間入浴は入浴後に副交感神経が賦活され睡眠導入がしやすいとされている(参5)。

 このような観点から、特別養護老人ホーム、老人保健施設入所中の老人性痴呆患者を対象に、夜間入浴を実施して、その影響を検討した2つの研究をここでは紹介する。

(1)夜間温泉入浴による睡眠状態、痴呆症状(興奮、徘徊、攻撃性)への影響(参6)
対象は、特別養護老人ホーム入所中で、攻撃性、興奮、徘徊などの対処困難な痴呆症状を有し、日常生活が比較的保たれている75歳〜88歳のアルツハイマー病患者10名(男2名、女8名)である。7月〜8月の9週間にわたり週2回18〜19時に温泉入浴(小山田温泉、アルカリ性単純泉)を行った。なお、夜間温泉入浴施行期間以外は14〜15時に週2回温泉入浴を行っている。開始前2週間、入浴中9週間、終了後2週間の合計13週にわたり、攻撃性、興奮、徘徊の程度を一日10回、睡眠の状態を一日5回観察した。その結果、夜間温泉入浴により、睡眠状態が60〜90%で改善し、興奮、徘徊、攻撃性などの痴呆症状も75〜100%で改善を認めた(表1)。ただし、改善が統計学的に有意となるのは6週目以降で、生活リズムが変化するためには2か月近く必要であった。この研究の対象は10名全員が、自分の名前すら忘れる、寸前のことも忘れる、自分の部屋がわからない、身近な家族のこともわからない状態であった。このような高度の痴呆患者であったが、夜間温泉入浴により睡眠状態が改善し、攻撃性、興奮、徘徊などの痴呆症状にも改善を認めた。


表1 夜間温泉入浴の睡眠状態、痴呆症状に対する効果

症例 年齢 性別 睡眠 攻撃性 興奮 徘徊
1 76
2 83
3 80
4 84
5 80
6 86
7 79
8 88
9 82
10 75
著 効 60%(6/10) 100%(4/4) 83%(5/6) 75%(6/8)
有 効 90%(9/10) 100%(4/4) 100%(6/6) 75%(6/8)

  ◎:改善 、○:やや改善、△:不変、―:症状なし


(2)夜間温泉入浴による昼間活動性への影響(参7)
対象は、老人保健施設入所中で、対処困難な痴呆症状を有し、日常生活活動が比較的保たれている67〜85歳のアルツハイマー型老年痴呆患者9名(男1名、女8名)である。上記9名を夜間入浴群(午後7〜8時)5名と昼間入浴群(午後2時〜3時)4名に分けた。夜間入浴群、昼間入浴群ともに週2回の入浴介助を行った。温泉はアルカリ性単純温泉である小山田温泉を用いた。開始前1週間、入浴中12週間、終了後1週間の合計14週間にわたり、Kenzライフコーダー(多メモリー加速度計側装置付歩数計)を用い活動性を調査した。その結果、夜間入浴群5例中3例(60%)、昼間入浴群4例中1例(25%)で昼間の活動性が改善し、夜間入浴群において昼間入浴群よりも高率に昼間の活動性が上昇した(表2)。ただし、統計学的に有意となるのは9〜10週目以降であり、生活リズムが変化するためには2〜3か月必要であった。この研究の対象は9名全員が、自分の名前すら忘れる、寸前のことも忘れる、自分の部屋がわからない、身近な家族のこともわからない状態であった。このような高度の痴呆患者であったが、夜間温泉入浴により昼間の活動性の改善を認めた。

ただし、前者の研究においては、10名の老人性痴呆患者の入浴介助を行うのに5名の人手が必要であり、後者の研究においては5名の老人性痴呆患者の入浴介助を行うのに3名の人手が必要であった。介護保険、医療保険において、夜間入浴もしくは夜間入浴介助には高い介護報酬を与えるなど配慮した制度の改善を要望したい。

 当院の紹介以外にも、全国介護老人保健施設大会や日本温泉気候物理医学会等でも温泉を利用し、老人性痴呆にアプローチした様々な研究が報告されている。我々も老人保健施設、特別養護老人ホーム等を有した複合施設であり、年々増加傾向をたどる老人痴呆患者をどのようにケアし、質の高い生活を提供できるかが課題となっている。今後もこれらの課題に対し、全国の老人保健施設と共に探求していきたい。


表2 夜間温泉入浴の昼間活動性に対する効果

夜間入浴群 昼間入浴群
症例 1 2 3 4 5 6 7 8 9
年齢 79 71 78 78 67 85 67 84 76
性別
1〜3週 × × × × × × ×
4〜6週 × × × × × × × ×
7〜9週 × × × × × × ×
10〜12週 × × × × ×
終了後1週 × × × × × × ×

  ◎:改善  ×:変化無し


3.当院での取り組み

(1)温泉療法の基本方針
 小山田温泉の源泉は51℃のアルカリ単純泉で、毎分880リットルの湧水量を誇り、優れた温泉成分も希釈も加温もせずに潤沢に使用できるという、温泉医療にとってはまことに恵まれたものである。この温泉を日常生活の一部としての入浴以外に、リハビリテーションとしての運動浴や地域住民に対するサービスにも利用している。当院の温泉については以下の4つの基本方針に沿って利用を進めている。1)高齢者のリハビリテーションに対して積極的に利用する。2)高齢者に多い神経・筋・骨・関節疾患治療に、心地よく副作用の少ない温泉利用をすめる。3)高齢障害者のQOL(生活の質)の向上に温泉を役立てる。4)地域リハビリテーションに温泉を利用する。

 本院において病院周辺の自然環境は茶畑や山脈の緑が豊富であり、入院患者様や福祉施設の入所・入居者様が数人ずつで散策をし、自力では歩行できない方は車イスに乗り自然環境を満喫している。これらのことにより心身ともにリフレッシュできる。つまり、温泉療法とは温泉および温泉地の有する自然環境等を利用した療法であり、必ずしも温泉入浴のみに限定されるものではないのである。

(2)温泉の施設環境
我々の医療法人社団主体会、社会福祉法人青山里会は三重県四日市市の郊外の緑豊な小山田の地に小山田記念温泉病院をはじめ、介護老人保健施設、介護特別養護老人ホーム、身体障害者療護施設、在宅介護支援センターを展開し、高齢者及び障害者のための医療・福祉サービスを提供している。そして、両法人は医療と福祉が一体となった高齢者の総合医療・福祉施設群として機能している。

温泉利用の具体的な場所としては、小山田医療福祉施設群にある全施設の療養風呂、リハビリテーションセンターの多目的温泉プール、小山田第二特別養護老人ホーム内の足浴場、そして地域のどなたにでも利用していただける地域交流ホーム内の温泉浴場、小山田記念温泉病院内の足浴場である。当法人においては4名の温泉アドバイザーがおり、多目的での温泉活用をおこなっている。温泉アドバイザーは各地にも在籍しているので、その地域に合う温泉療法を尋ねるとよい。

(3)多目的での温泉利用

1)リハビリテーション
 当院には温泉を利用した多目的温泉プールがあり(図1)、腰痛症・関節症等の整形疾患や脳卒中等の中枢神経性疾患に対する水中運動療法を行っている。また、陸上では痛みなどにより歩行が出来ない方でも、安心して歩いて頂ける水中歩行訓練が行える。

図1 多目的温泉プール

図2 足浴場

2)足浴
 小山田記念温泉病院・小山田第二特別養護老人ホーム内には、車椅子を含め誰もが利用できる足浴場を設けており(図2)、入院・外来患者様、付き添いのご家族様、地域住民の皆様など、様々な方に利用頂いている。小山田第二特別養護老人ホームでは、痴呆性高齢者の不穏時に対して足浴入浴を行い、精神面の安静化と生活リズムの改善が図られている。これには、入浴による脱ストレス化と、温泉療法がもつ特有の「温泉とその周囲の自然環境を含めた総合的な身体調整作用」が関与しているものと考えられ、温泉療法の新たな可能性も感じさせる。また、足浴は温熱作用の面から全身浴と同様の効果が得られるが、全身浴とは異なり心臓などの循環器系への負担が少なく入浴による危険性も低い。その為、心血管系の合併症をもつものが多い高齢者でも比較的安全で簡便に行える入浴法として注目されている。

3)交流の場としての利用
 温泉は交流の場としての効果も高い。高齢者同士が連れ立って温泉に訪れ、コミュニケーションの場となるよう、施設利用者だけにとどまらず温泉を積極的に地域へ開放してきた。これは今や地域交流の場となっており、また、地域社会を基盤とするリハビリテーションの場へと成長することが期待される。


4.温泉医療の適応拡大と老人性痴呆への今後の展望

 温泉ほど幅広い年代層に喜ばれ、楽しみにされる治療手段は無いといっても過言ではない。これまでの主要な適応は心刺激効果や末梢循環改善、関節機能改善効果、運動療法補助効果、疼痛緩和効果などであった。今後は痴呆性高齢者の夜間せん妄や脳循環の改善効果、さらに一日中うとうと過ごしてしまい、夜間の良眠が得られない高齢者の日内リズムの改善などに適応の拡大が期待されると思われる。長期的な多種、多量の薬の使用は、二次的な副作用をも引き起こす可能性があり、これに苦しめられる人も決して少なくない。温泉は、そういった治療薬の投与量を減らすことができ、また治療薬と温泉医療を併用することで、さらに効果的な治療結果を得ることも可能であるのではないかと考える。温泉医療は、まだまだ未知なる可能性を秘めており、温泉と共に医療の発展を願うものにとっては、その効果に対し常にトライする気持ちを持ちつづけなくてはならない。

 次に、温泉は交流の場を作ることができる。昔から裸の付き合いという言葉があるように、一つの浴槽に入っての語らいは、お互いに気後れなく語り合え、実によいコミュニケーションの場となる。連れ立って温泉に入りにくることで高齢者の引きこもりの防止に役立つと思われ、これは痴呆の予防にも成り得ると考える。「やっぱり若い女の子と話せると嬉しいんやわ」と男性利用者の言葉であるが、年齢を重ねても男女を問わず異性との交流には関心があり、精神的な活力と成り得る。精神的な活力は、脳への刺激となり、いつまでも若々しく生きていくことができるのではないかと考える。高齢者が温泉に入れることの喜びは、温泉に対する若かった頃の楽しい思い出やロマンへの回帰であり、美しい景色、森林の緑の匂いなどと一体となって、生きる喜び、今生きているといった実感になるのである。

 当福祉・医療法人でも高齢者同士が連れたって温泉に訪れ、コミュニケーションの場となり、地域の高齢者同士が助け合ってお互いの生き方を変えるきっかけになるようにと、施設利用者だけにとどまらず温泉を積極的に地域に開放してきた。これは今や高齢者に限らず、地域交流の場となっており、また地域リハビリテーション、community−basedリハビリテーションの場へと成長することが期待されている。現在、我が国は世界が経験したことのない高度高齢社会を迎えており、老人性痴呆を含めた様々な疾患に対して、健康増進と疾病予防を目的とした温泉医療を提供していくことが重要である。また、我々は、温泉利用型の高齢者福祉・医療施設として、様々な難治性で慢性的に経過してきた疾患に対しても、辛く長い闘病生活を少しでも癒しの場とすることができるよう温泉と共に努力していく必要があると考える。


 参考文献
1)穴水幸子:痴呆―神経心理学的アプローチ、こころの科学80:72、1998
2)北村伸:痴呆の臨床症状、治療86:16、2004
3)柄澤昭秀:痴呆の疫学、治療86:11、2004
4) 臼井樹子ほか:抗痴呆薬の現状、治療86:21、2004
5)日本温泉気候物理医学会(編):新温泉医学、JTB印刷(株)、東京、2004年、pp300−302.
6)Deguchi A,et al.:Improving symptoms of senile dementia by a night-time spa bathing.Arch. Gerontol. Geriatrics. 29:267,1999
7)出口 晃ほか:老年痴呆に対する夜間温泉入浴、日温気物医誌64:71、2001.


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