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日本の温泉地再生への提言 [12] -第1グループ 旅館・温泉地リーダー 温泉地の再生のあり方に |
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七條 彰宣 (雲仙温泉)株式会社九州ホテル 代表取締役社長 |
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真言宗の僧行基によって開山され、その後長崎にいたケンペルやシーボルトらにより雲仙の温泉がヨーロッパへ紹介された。当時は温泉と書いてウンゼンと読んでいた歴史を持つ。1866年にはフランス公使が長崎奉行を通じて「ウンゼン岳の温泉は日本一である。故に我国人の病者をこの温泉で治療せしめたい。」と島原藩に要請した(「長崎県温泉誌T」長崎県衛生公害研究所より抜粋)との記述がされる温泉地である。 1889年に上海、ノースチャイナデイリーニュースにより紹介されたことをきっかけに上海や香港に住むロシア人やイギリス人が避暑客として訪れ西洋文化の影響を受け、軽井沢、六甲とならび日本のリゾートの発祥とされているところである。また日本最初の国立公園であり四季折々の美しい自然に恵まれたところでもある。 泉質は硫黄泉で、色は透明や白色、独特の硫黄の香りや味など五感に訴える泉質である。効能は殺菌作用があり皮膚に効果が高い。よって美人の湯と言われている。 この春には環境省により建設された火山と温泉湧出のメカニズムを紹介する新施設もオープンする。 温泉地の再生のあり方については、男性ターゲットで歓楽型が人気だった過去の時代では多くの温泉地がそのニーズを満たそうと努力し、女性や高齢者がターゲットである現在、今また一斉に美容や健康の保養型に向きつつあるように思う。 私は温泉地と一口に言っても、歓楽型もあれば健康増進のための保養型もあるということが理想ではないかと思う。利用者が目的にあわせて温泉地を選べるよう、それぞれの温泉地でそのあり方から情報発信の方法などにいたるまで独自の考えや方向性を追求していくことが望ましいと思う。 しかし街の方向性を一本化するのは容易なことではない。それぞれの温泉地、特に既存の有名温泉地が将来の方向性を模索しているのが現状のようである。既存の歓楽型温泉地だったところは、結局のところ歓楽型と保養型が同居した温泉地になっていくのだろうと思う。この同居型が"なんでもあり"の温泉地で来訪者に違和感やどういう温泉地かという個性の点でわかりにくさを招かないだろうかという危惧はあるが。 雲仙は外国人の避暑地として長期滞在型の温泉リゾートから始まり、高度成長期の頃から団体型の旅館が増え、歓楽型温泉地と同様の過ごし方を宿泊者に提供してきた。 その時代の繁栄から現在は御多分に洩れずターゲットやニーズの変化により苦戦を強いられている。しかし雲仙は国立公園であり環境省の規制がかけられた温泉地である。よって旅館は団体型であっても、町の歓楽街化は避けられた。当時は歓楽街化を叫ぶ声もあったようだが、今の時流には規制があったことが結果的にプラスとなり、長期滞在型であった元の姿に戻ることが女性や高齢者をターゲットにした場合には、ニーズにこたえやすいポテンシャリティーを秘めていると思う。昨年から雲仙の街づくりの方向性として、西洋の影響を受けた歴史的背景をもとに"ハイカラ"をテーマにすることになった。今後についての課題としては、 1 ハイカラテーマの下、官民一体となった街並み整備 2 滞在中のプログラムの充実と案内板やパンフレットなどの工夫 3 旅館・商店など民間の"我が家"の店づくりに対する努力。 4 メディアを含めたPRの方法 その他、環境省の規制と観光という立場での折り合いも雲仙にとっては見落とせない課題である。例えば、温泉の湯量の問題では、現状では規制によりボーリングなどもできず、全くの天然の温泉でやっているため豊富な湯量を供給することが不安定になったり、夜間の照明やイルミネーションなどに対しても規制がある。環境省の自然の保護と保全という立場と誘客など観光による地域活性との調和は国や自治体にも理解と協力を願いたい事柄である。現在、長崎県、雲仙観光協会や旅館ホテル組合などでそれらの課題に取り組んでいるところであるが、足並みを揃える努力と同時に、プログラムなどできることは、個別からでもどんどん進めるようにしたいと考えている。 それぞれの温泉地が今後どういった方向性で街づくりや地域活性化につなげるかはそれぞれの背景、強みなどの特性などからを決定し、あらゆるタイプや個性を発揮する温泉地が増えていくことが理想である。それが日本の魅力となり「ビジットジャパン」にとってもプラスとなっていくことだと思う。地域が決めたことに対して国や自治体には具体的で積極的な支援を願うばかりである。 |
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