Home 健康と温泉フォーラムとは 事業 組織
会員オンライン 情報ファイル お問い合わせ
目次 NEXT

日本の温泉地再生への提言 [44] -第2グループ マスコミ・メディア

21世紀は
日本の温泉文化創造の時代


竹村 節子
株式会社現代旅行研究所 専務



目標を見失った日本の温泉

 温泉をもたなければ観光地にあらず、といってよいほどの温泉ブームが永遠に続くかと思われた好況の時代を経て、ふるさと創生の交付金を温泉掘削に投資した市町村が多かった。失敗したところもあったが、大方は成功したといってよく、新たなニーズを生み出し、現在に見る立寄り湯のブームを作りだしている。

 一方、大型化と高級和風を志向した温泉地・温泉旅館は長引く不況のあおりを受けて、価格競争に参入しざるを得なくなっているのが現状である。多くは旅行業者の送る団体客を対象に宿づくり・町づくりを推進してきたことから、基本的に自分たちが抱くべき地域や仕事の未来への「夢」や「理想」を考えることなく、旅行業者の意向のままにその要求を満たすことで発展をとげてきた。この習性ともいうべき姿勢が今回の不況を迎えて、自分たちの頭で考え、自分たちで行動を起こし、目的に近づこうとする基本的なエネルギーを削いでしまっている。最近「温泉の保養地化」が話題に上がると、今度は猫も杓子もスパリゾートを目指そうとする。芸者・宴会で売ってきた歓楽温泉が「スパリゾートを目指したい」等と平然と言い放つ。この安易な選択に流れる傾向を示すのも、そこに確信はなく「なんとなく時代の流れがそうだから」程度の予感しかない。日本の温泉は世界的に見ても多様な発展をとげてきた。湯治場、観光温泉、歓楽温泉、立寄り湯、最近は都市型のテーマパーク的な温泉も生まれ、その多様さは驚くばかりだ。加えてヨーロッパ的なリゾートとしての温泉地づくりも模索されはじめる中で、「我らはどこを目指すのか」その目標を定めかねているのが日本の温泉の現状であるといってもよい。

温泉地の再生は信念の継承から生まれる

 最近、歓楽型温泉に対して否定的な意見をよく耳にする。一見正当な意見のように錯覚をするのだが、はたしてそうだろうか。前段で触れたように、日本の温泉の発展の多様さは、日本人の持つ融通無碍な考え方や生活の仕方の現われでもあるといえるだろう。たしかに近年は「健康」が旅の新しいテーマとして確立を見せはじめている。ではあらためて「温泉と健康の係わりとは何か」を考えてみよう。近年、アメリカの医学界で代替医療の効果というものがあらためて見直され、またその効果の大きさから「先進医療」の一つとして見直されはじめているという。その方法を見るとヨガや太極拳、アロマセラピー、ファミリートークなどの方法で、心身が「気持ち良さ」を味わうことで免疫力を促進させ自浄作用を強めて健康を取り戻すという、まったく温泉入浴と同じ効果で癌患者などの治療にあたっている。つまり人間という生き物はメンタルな効果が非常に高いという点を見逃してはならない。21世紀は脳の時代といわれ、特にストレス社会が強まる傾向にある現状をみても、歓楽温泉であってもその歓楽性を応用することで対応できる生き残り策が必ずあると思うものである。歓楽温泉というと売春や裸に近いコンパニオンを入れてのドンチャン騒ぎという男性対象の旧態依然とした経営に直結させてしまうところに発想の限界がある。日本の旅行客の9割を占める女性とシニア客を対象とした、癒しの代替となりうる歓楽温泉の存在価値を新たに模索する必要があるのではないだろうか。というのも日本の温泉の伝統的な「多様さ」が、狭い国土に3000ヶ所もある温泉地の共存を可能にしてきた歴史を見るからにほかならない。日本中が温泉リゾートと化した時の異常な状況を考えて欲しい。

 それぞれの温泉地が持っている財産、例えば湯量、泉質、自然環境、文化、生活等を省みて、はたしてどんな温泉地になりうるのか、あるいはどんな温泉地に育てたいのか、温泉を預かる側があらためて「夢」や「理想」の青写真を描き直すべき時に来ている。いいかえればそれぞれの温泉地がパターン化に別れを告げ、あらためて個性づくりを真剣に考えよう、ということである。草津温泉が誘客数においてトップクラスを保っているのも、先代からの夢を継承しているからであり、明治時代に来町したアルフォン・ベルツ博士の理想を我が理想として継承し実現化する努力を営々と続けてきた賜物なのである。温泉保養地が流行りそうだから「わが町も、わが家」もなどという安易な発想こそ愚の骨頂である。

日本独自の温泉文化を見直したい

 歓楽温泉であれ湯治場であれ「健康管理の場としての温泉地」の方向性に異論はない。しかし、それがなべてヨーロッパ型のスパリゾートなのか、と問われればそれは違っていると思う。日本にはヨーロッパに負けない温泉の歴史があり、温泉文化を育んできた。そのことに私たちはもっと自信を持つべきなのである。こと「温泉」に限っていえば、日本こそ世界の温泉をリードしうる歴史と文化を継承してきている国なのだ。この財産をもう一度私たち自身が見直し、現代及び将来に生かすべきなのではあるまいか。その時こそ日本の温泉が人類を救い、日本の国土そのものが地球のサナトリウムとしての役割をはたすパラダイスになると私は信じて疑わない。

 では、かくいう日本の温泉文化とは何か。第一に多量な湯量と多様な泉質によって生みだされた入浴法をあげたい。全国の伝統ある温泉地には実に様々な入浴法が伝承されている。例えば酸ヶ湯温泉のまんじゅう蒸しやの須川温泉のおいらん風呂、玉川温泉の岩盤浴、瀬見温泉の痔風呂、峩々温泉の掛け湯、別府竹瓦温泉の砂蒸し、紺屋地獄の泥湯、塚野温泉や湯平温泉、長湯温泉などの飲泉、筋湯温泉の打たせ、寒ノ地獄の冷泉浴に対する草津温泉の時間湯などなど、挙げてゆけばきりがない。私たちが常識として捉えているパブリックバスの全身浴や混浴の露天風呂も日本独特の入浴法といえる。一時期あたらしい入浴施設として日本中で導入した「クアハウス」のモデル、ドイツ・バーデンバーデンのカラカラテルメの屋外プールの発想ですら、実は日
本の混浴露天風呂が祖形であることを知る人は少ないかもしれない。

 一見、民間療法的と見られがちな伝統的入浴法が、実は絶大な効果を人体にもたらすことを、日本人はそれぞれ己の肉体をもって実感し、健康管理や病気治療に利用してきた。ところが残念なことに医者の多くは「温泉が効く」ことをまず否定する。せいぜい熱効果と水圧効果、浮力効果を挙げ、あとは転地の効果を挙げれば上出来というところである。西洋医の多くは温泉に関しては学識未経験者が多く、現場でどのような現象が起きているかを知る機会もないのが現状だ。温泉医の資格を持ちながら「温泉は効かない」との発言は自分の温泉知識の無さを披歴しているようなものだ。百歩ゆずって、人間がメンタリティーな存在であることを前提とするなら「温泉は身体によい効果をもたらすもの」という利用者の「思い込み効果」を無視は出来まい。
その思い込みこそが「効果」を倍増する力でもあるからだ。

 しかしこうした利用方法を現状のまま現代及び将来に向けて人々の利用に供しようとしても無理が生じてくることは認めざるを得ない。それは国民の生活レベルや教育レベルが向上し、知識欲や理解力が高まり、清潔感や居住環境が整って、旅先への要求も厳しくなってきており、旧態依然としたいわゆる「湯治場」では満足できなくなってきているのが現状である。将来のスパリゾートとしてはこうした欲求に応えられる環境の保護補修を含めての住空間の整備と、温泉や医療への知識欲をクリヤーできるソフトサービスの提供が急務であろうと考えている。

 また、こうした地域としての整備は集客の増大にもつながることであろうし、何より住民の健康管理、特にシニア層への効果を無視することは出来ない。永劫に続くごとき老人医療の赤字も温泉活用で軽減できる証左は各地でその数値を見ることができる。新潟県入広瀬村では温泉開発年を100%として老人の受診者数の統計をとったところ、6年間で35%ダウンしたという例も実際にある。行政としてもこうした先例を見過ごすことなく、きめ細かな対応を計れば温泉による複合的な利潤を生みだしてゆくことができるはずだ。国も保険料の負担額を老人医療の高騰に直結させる前に、日本という国土が持つ温泉という資源に注目すべきであろう。いま話題のインバウンドに関しても、政府の温泉への注目度はゼロである。人を癒す力を持つ温泉は、単に国民ばかりでなく、世界の人々にも多大の効果を与えるはずであり、痛みが取れたり気分が良いという人の生理に訴えかけることこそ、観光の原点であることを再認識すべきなのである。私は、21世紀の日本の観光資源は「温泉」をおいて他にないと確信している。


目次 NEXT
Copyright(c)2004 NPO法人 健康と温泉フォーラム All rights reserved.