Home 健康と温泉フォーラムとは 事業 組織
会員オンライン 情報ファイル お問い合わせ
目次 NEXT

温泉保養地環境

温泉保養地環境の形成

中田 裕久
NPO法人健康と温泉フォーラム 常任理事


1.はじめに

保養地の源流は温泉保養地である。温泉地は病気・治療、健康予防、そして余暇・休暇を過ごす場所として、古来から利用されてきている。また、時代のニーズに応じて治療や健康づくりのための方法が変化し、かつ流行のレジャーや施設内容も移り替わってきている。

西欧の温泉地においては、1970年代以降、治療から健康予防へと力点が移っている。治療を受ける、看護を受ける、世話を受けるといった患者のモデルは過去のものになり、現代人は自分の健康に責任をもち、自らトレーニングの機会を得て、新たな体験がライフスタイルになるように努力しなければならない。訪問客がリラックス、運動、体験学習を通じ、健康の促進と生きる喜びを発見することに寄与することが温泉地の目的とされ、このための手段がメディテーション、ヨガなどのリラックスプログラム、水中運動、散歩などのフィットネスプログラム、健康学習や社交などの体験プログラムの提供である。こうした新たな健康サービスの提供の場が、現代の浴場(水中運動)、保養公園(散歩や体験学習)、保養客センター(各種相談・案内、文化プログラム)である。もともと、保養公園や保養客センターは温泉保養地の認定条件であったが、温泉地の中心から離れていたり、車道で分断されたり、地形が急峻である場合は身障者の利用が困難である。こうして、公園や遊歩道、保養客センターの立地や再編が始まり、健康サービスを提供するための浴場整備がなされている。

日本の温泉地でも同様の傾向が見られる。1979年以降、財団法人日本健康開発財団の指導・企画による運動型温泉施設の「クアハウス」が誕生し、各地で健康予防のためのサービス提供が始まった。90年代になると、地域独自の浴法を取り入れた健康サービスや諸外国直輸入の健康サービスが試みられるようになった。また、湯治の伝統をもつ鳴子温泉では、温泉病院と湯治旅館が連携し、健康チェックと温泉療養が可能な温泉療養プログラムサービスが2002年から開始されている。現在、高齢社会のニーズを見込み、全国の自治体温泉施設、民間温泉旅館、民間病院などで、様々な健康サービスの提供や温泉地環境の改善が検討されている。

(引用-9)



2.健康づくりと温泉

(1)地域の健康づくりと温泉地

 WHO憲章によれば、健康とは単に虚弱ではない、病気ではないというのではなく、心身が健全な状況であり、社会的に満たされていることと定義されている。また全ての人が健康への基本的権利をもつ一方で、自己の健康に向けて個人的に集団的に取り組む義務をもつ。こうした健康づくりに向けて、健康政策を作ること、支援体制を形成すること、コミュニティ活動を強化すること、保健サービスを再編すること、個人的な能力を高めることが必要とされ(1986年、オタワ憲章)、21世紀に入ると、健康への適切な投資、健康インフラの整備を確実にするために既存の政策システムや社会構造を検討し、乗り越える必要性が盛り込まれている(2000年、メキシコ)。先進諸国では医療費の増大をもたらす主たる要因が慢性病であり、健康予防に再び注目が集まっている。

(引用-8)



1986年WHOのオタワ憲章で、日常生活環境における健康学習の重要性が謳われて以降、「健康都市」プロジェクトが各国で取り組まれてきている。「健康都市」は、特定の健康状況の結果ではなく、持続的に都市の物的、社会的環境を創造、改善し、人々が互いに助けあって生活の全ての機能を果たし、最大限の力を発揮できるようにコミュニティ資源を拡張することと定義される。「健康都市」に向けて、政治責任と変換のための新たな組織構造の確立、共通ビジョンの開発、パートナーシップの形成を通じ、持続的に健康都市を追求しようとするプロジェクトである。
温泉地は、健康増進や健康学習の場として一般の生活環境に比して優位点が多い。

・浴場施設、温泉病院、集会場、公園や緑地など健康学習や実践の場所がある。
・地域住民、周辺住民、訪問客が利用の利用によって、質の高い施設やサービスプログラムの提供、スタッフの確保が可能となる。
・優れた自然環境や景観、町並み、地域食材の提供などによって、レジャーを楽しみながら健康活動が可能である。

 わが国では、至る所に温泉地がある。地域住民の健康増進の観点から、温泉地における健康学習運動や健康予防をどう展開するか、また浴場をはじめとし温泉地の環境をどう活用するか、「健康温泉地」に向けた取り組みが必要である。


(2)医療保険制度と温泉地

 日本の医療費は年々増大し、2000年の推計では30兆3580億円で、国民所得の7.98%を占めている(国民1人当たり、24万円相当である)。このうち65歳以上の医療費は14兆5910億円で、医療費全体の48%を占める。2025年には医療費は104兆円に達すると推定され、国民負担率は100%を超える。こうして、1993年度からは政府管掌健康保険が、1994年度から組合健康保険が赤字となり、年々赤字幅が拡大している。また、医療費に加えて介護保険の問題も残されている。

 こうした観点から、出来高払い制から包括的定額払い制へのシフト、医療から第1次予防へのシフトが各国の共通課題となっている。その代表例が医療費の高騰に悩むアメリカのHMO(会員制健康維持組織)の取り組みである。保険者が健康・医療サービス提供者と消費者に定額支払い制や禁煙・ダイエット等の健康予防プログラムの採用を求め、医療費を抑制する仕組みである。HM0モデルの中で急増しているタイプはIPAモデルで、この保険組織のネットワークを形成する医師、セラピスト、スパ、クリニックは他のHMO機関と連携しても良いし、自分の患者をとっても良い。一方、会員はそれぞれの保険プランに応じ、病気治療からフィットネスセンターでのヨガまで、1次予防から3次予防までの健康サービスを幅広く選択できる。90年代には、北アメリカのヘルスケアシステムが健康スパ産業に手をつけ始めた。アメリカではヘルススパ、リゾートスパ、デイスパなどの基準で分類され、一定基準以上のサービスを提供するスパグループが形成されている。現在、HMO(会員制健康維持組織)の多くは医療サービスしか提供していないが、ニーズは医療から予防〜ウェルネスへとシフトして、スパとHMOとの結合が進むと予想されている。また、北米の健康分野における民営化とビジネスモデルは国内機関との連携に限られているが、フィットネスやスパ分野では国境を越えて広がることも予想されている。

 わが国においても、一部の先進的な企業では、健康教育や健康増進プログラムの提供、医療機関の紹介、フィットネスクラブの運営もしくはフィットネスクラブとの提携などHMO的な取り組みが展開されている。また、一部の自治体では保健対策として自治体温泉施設の活用を行っている。国保、企業健保、民間生保の受け皿として、健康サービスプロバイダーとして、全国に散在する温泉地や温泉浴場がヘルスケアシステムと結びつく可能性は高い。このために健康サービスの質や評価を明確にすることや、健康的な滞在生活を可能とする宿泊システムの構築が必要となろう。


(3)ヘルス・ツーリズムからウェルネス・ツーリズムへ

 温泉旅行や湯治は観光の重要分野の一つであるが、時とともに、ヘルス・ツーリズムの定義も変化している。70年代ではヘルス・ツーリズムはその土地の温泉や気候などの自然資源を利用した健康施設の提供と定義された(IOUTO)。80年代になると、ヘルス・ツーリズムは「家を離れ滞在すること(転地)、健康を主たる動機とすること、レジャー環境の中で活動が行われること」とされ、温泉地以外の保養地が参入した。90年代には、ヘルス・ツーリズムは観光地や観光施設が通常のサービスに加えて、健康管理サービスを意図的に提供することによって誘客する試みとされ、様々な観光地や観光施設がヘルス・ツーリズムに参入するようになった。ヘルス・ツーリズムが各地で実施されるに伴い、2つの方向に分化していく。一方はトータルな健康やフィットネスの改善に重点を置く保養地(施設)、他方は病気をもつ患者に医療サービスを提供する保養地(施設)である。

一方、ヘルスツーリズムの代表であった温泉保養地は通常の医療や療養に加え、健康予防サービスや様々なレジャー・レクリエーションサービスの提供を図り、誘客を図るようになり、ウェルネス・ツーリズムというより広いコンセプトに統合しようとする動きがヨーロッパで現れてきた。ウェルネスという概念は1980年代半ばに日本に紹介されたが、1990年代にはオーストリア、スイス、ドイツなどのヨーロッパ諸国に広がり、ウェルネス概念を踏まえた健康サービスやレジャーサービスの検討が始まった。ウェルネスは生き方であり、個人が自己の能力の中で、最高の健康レベル追求するためのライフスタイルを表す。ライフスタイルは、運動、食事、ストレス解消、環境に対する感受性など、自分で管理できる活動から成り立っている。高度なウェルネスを達成するためには、各個人は自己責任を基本とし、バランスのとれた栄養、運動、ボディ・ケアによる身体的な健康を、ストレスマネジメントや瞑想によって情緒的な健康を、創作・芸術など精神的活動によって精神的な健康を、さらには、レジャー活動や自然とのふれあいによって社会関係や自然環境との関係改善を追及することができる。一方で、ホテル、レジャー施設、温泉保養地はウェルネスを求める客に対し、施設・環境・サービススタッフなどのハードの改善、サービス・プログラムなどのソフトの向上を継続的に図っていく必要がある。こうした課題に向けて、温泉保養地では、既存のインフラやスタッフを生かし、健康・美容・ウェルネス・フィットネスプログラムの提供、文化・自然ツアープログラムの改善などを行っている。

 ナールシュテットはこうしたトレンドをモデル化し、従来の温泉保養地のヘルス・ツーリズムはレジャー・レクリエーション活動に重点があるレクリエーション・ツーリズム、ウェルネス・ツーリズム、療養・リハビリに力点を置く療養ツーリズムへと発展分化していくとする。

(引用-7)



(引用-7)



3.観光と温泉地環境

(1)体験としての温泉地

 ツーリズムは日常体験からの離脱であり、日常とは異なった場所や社会環境の経験である。コーエンによれば、日常世界から離れようとするツーリストが、新たな環境に対して抱く経験は5つあるとする。第1の経験モードは、娯楽を求め、日常と異なったものや事のために、家を離れることである。第2は、日常生活のストレスから離れ、エネルギーを再補給するというモードである。第3は、通常の生活は豊かさに欠け、より本物の社会生活や文化・自然の体験はどこかにあるといった自覚に由来するもの。第4のモードは実験的である。日常生活で自分を見失っている恐れがあり、日常とは異なった自然や社会環境で自分を再発見しようとするモードである。第5は、日常生活からの疎外感が強くなり、より良い世界が日常生活以外にあると感じ、できれば永住しようとするモードである(究極的望郷の経験モード)。これらの経験モードは、日常生活からの疎外と同時に、旅先に対する興味に左右され、モードは変化する。

 ツーリズムは様々な経験モードがある。フィットネスを含むヘルス・ツーリズムは、スポーツツーリズム(ハイキングなど)が活動的にはアクティブであるのに比し、活動性は弱い。温泉(スパ)ツーリズムなどのヘルス・ツーリズムはフィットネスツーリズムに比し、活動性はより弱まる。温泉保養地におけるレジャー活動は多様なものがあるが、その組み合わせによって訪問客も異なり、一方で訪問客は温泉地に対し、求めたい経験モードがある。こうした観点から、温泉地におけるマーケティングやレジャー・サービス提供のあり方を明確にして行くことが求められている。

(引用-7)



(2)環境と自然体験

 温泉地には歴史・文化資源、生活文化資源、自然資源がある。これらをネットワークする遊歩道づくりが、国内外の各地で進められている。遊歩道はレクリエーション、フィットネス・地形療法、リラックスなど多様な体験が可能であり、自己の再発見にも寄与する。

 ドイツでは90年代以降、保養客を活動的にし、保養地の魅力を高める手段として、遊歩道、保養客センターを活用したレジャープログラムの導入が行われてきた。こうした取り組みの例がバート・ヴェリスホーヘンの「学びの森の小道」の再生である。この森林散策路は古くからあったものであるが、体験の小道の内容も時代遅れとなり、情報・標識も不十分となり、忘れ去られていた。1999年以降、自治体、保養管理組合、市造園局、州営林局などの作業グループにより、構想がまとめられた。その整備指針は、次のような内容である。

○ 「学びの小道」はセバスチャン・クナイプに造られた、健康のための総合的なシステムを持っている。従って、クナイプが提唱する5つの要素を踏まえた上で、森や植物、動物に関する情報を、様々な体験を通じて提供する。
○ 年間を通じて利用できるようにする。
○ 若者、高齢者、ハイカーやサイクリストに適したものにする。
○ コースの総距離を10キロ以内にする。
○ それぞれの区間は、様々なスタート地点から散策できるようにする。

この総延長10kmの散策路には、オリエンテーションの場所(散策路の入り口、4箇所)、運動の場所(体操の方法の案内板設置)、祈りの場所(休憩)、湿地帯・森林保護区、森林の役割を知る場所、歴史に触れ合う場所、樹皮の香りの場所、感触のための場所(素足で80m歩く)、水のある場所(泉や小川に触れる)、治癒力の場所(薬草などの体験)、栄養の場所(カロリーの小道、正しい栄養の取り方の紹介)、ビオトープの場所など体験テーマをもつ27のステーションがあり、様々な体験ができる。

 なお、ドイツでは1976年にドイツ連邦の法律により、「道のついていない森林に市民は立ち入ってはならない」という規約が改正され、市民は健康やレクリエーションのために森林に入ってよいことになった。また、1986年の連邦法では自然林の創造が謳われ、森林の用途変更をする場合は、用途変更をする土地の2倍の森林を新たに創造することが義務付けられた。こうした法的措置により、森林所有者は森林の自由な利用が制限されるとともに、管理・経営上の責務が厳しくなり、公共セクターへの森林売却が促進されている。一方、連邦、州、自治体の森林局は、防火のためのパトロールや、動植物調査、生徒に対する自然教育などを行っている。森は市民のものといった意識や日常的な森の利用があることによって、「森のレクリエーション的利用」が各地で行われているものと思われる。

 わが国においては、森林は国家財産、個人資産として経営・管理運営されてきたが、市民の利用推進を図ることによって、温泉地の魅力化、地域経済の活性化が可能となろう。また、散歩道の整備に当たっては、自然体験学習やレクリエーション活動ができるようなコース設定を検討する必要があろう。


バーデン・バイ・ウィーンの遊歩道      ベートーベンの道



(3)健康的な環境づくり

 「全ての生物の健康は、健康な土、きれいな空気、水が前提条件である」。温泉保養地をエコロジカルにすることは、健康的な環境づくりに直結する。農・林業、交通、アメニティ・サービスのエコ化への取り組みが、健康的な温泉地づくりに関連する。

 第1は、清浄な空気、騒音のない排気ガスのない温泉地である。90年代になって、バーデン・バーデンをはじめ、自動車のない町づくりが実践され、日本の温泉地においても試行されつつある。
第2は、単一植林から多様な樹木林への転換である。日本ではスギ花粉症に悩む人が多く、各地で広葉樹を植林する動きがある。
第3は、エコロジー農業の推進と地産地消の推進である。これは消費者の健康(食品)ニーズへの対応、地域経済の振興、農薬などの化学物質の少ない田園環境の形成、輸送による環境負荷の削減につながる。
第4は、水質や温泉の質の確保である。レジオネラ菌の問題に象徴されるように浴場施設や旅館で問題が起きると、温泉地全体の評判に直結するようになっている。
第5は、環境負荷の少ない温泉地づくりである。高度経済成長期ではマスツーリズムを志向して旅館の大型化が進められたが、安定経済または近い将来想定される人口減少経済下においては顧客やリピーターの確保、平日利用客の増大や滞在日数の長期化が鍵となる。また、多様なライフスタイルをもつ個人客に対応するためには小回りの利く中小規模の旅館サービスが経営上有利かもしれない。こうして、部屋数を縮減する旅館や朝食付きの旅館に転換するケースも見られる。
第6は、自然エネルギーや再生エネルギーの活用がある。温泉廃熱の利用、温泉の温度差を活用した発電や地域暖房、ソーラー・バイオマス利用など。
第7は、温泉排水をどうするか?温泉排水に含まれる砒素やホウ素の無害化などの課題がある。
第8は、廃棄物対策。これらは現在、各温泉地で検討され、実践されているものもある。

 温泉地のエコロジー化は全国共通の課題である。環境に対する各温泉地の取り組みや経験について、情報交換する仕組みを形成することが、日本の温泉地の環境改善や質的アップにとって重要な政策と考える。


4.温泉保養地の環境構成

(1)温泉地の基本構成

 温泉地は源泉ないしは源泉近傍に素朴な浴場施設が設けられ、利用客に対応して宿泊施設、商業施設などが集積し、温泉集落へと拡張していく。日本の伝統的な温泉地である草津温泉は、湯畑を中心とし、共同浴場、宿泊施設、商業施設が取り囲む構成である。

 温泉地の中心的活動は温泉利用と屋内外のレジャー活動である。これが1箇所にまとまると、イメージ的にも、活動的にも明瞭な温泉地になる。こうした構成をもつ温泉地の代表例がバード・ナウハイムである。この温泉は比較的新しい温泉地で、19世紀末から20世紀初頭にかけて、当時理想とされた温泉保養地を計画的に整備したものである。街の中心に、温泉治療施設、心臓研究所、クアハウス(社交施設)、博物館、テニスコートなどを持った公園があり、この公園を囲んで、ゴルフ場や緑地、宿泊施設、商店街などがある。

もともと、この地域では食塩泉が湧き、製塩を行っていた土地柄であったが、1823年に食塩泉を利用し素朴な浴場施設がつくられたのが温泉地としての始まりである。1846年にボーリングがなされ、新しい源泉が発見されると、19世紀半ばから各種施設の建設が始まる。浴場、保養公園、クアハウス、駅舎など温泉保養地にとって必要とされる施設とともに街路の整備がなされた。

20世紀初頭、保養客の療養志向や保健志向が高まると、ヘッセン政府は新たな浴場施設の建設を企てた。当時は泥浴や室内プールが流行しており、ヘッセン政府はこれらを導入した浴場施設を企画し、建築家ウィルヘルム・ヨストにベルリンの室内プールや泥浴で有名なバード・エルスター及びカルルス・バートの泥浴施設の調査を依頼した。ヨストからの計画提案が出され、政府内で様々な検討が加えられた結果、療養のための実用本位の浴場とすること、また、新浴場とともに飲泉施設の整備、クアハウスの拡張整備が決定された。新浴場は旧浴場施設を取り壊した跡地に、1905年から11年にかけて建設された。

東側の駅舎から西方の保養公園に向かうと、保養公園の入り口に新浴場が位置し、保養公園の先にはクアハウスがある。新浴場の中庭には噴泉があるが、これは温泉地のシンボルであるとともに、炭酸泉を集湯し、大気に噴出させることで炭酸ガスを放出し、心臓病、循環系疾患などの各種治療に適した温泉水に調整する役割を担っている。調整後の温泉は各浴室に給湯され、各種治療に供される。また、浴室内の炭酸ガスの量に留意する必要があるため、人口換気をやめて、窓と廊下を通じて自然換気が行えるように工夫されている。浴場施設には暖房施設や洗濯施設が不可欠である。ナウハイムの浴場では、煙突などの美観、騒音、排ガスなどの問題を考慮し、500mほど離れた駅舎の裏にそれらサービス施設を設けている。

図-5 バートナウハイムの計画図(引用-5)



バートナウハイム 駅前通り         噴泉



(2)温泉リゾートホテル

 温泉保養地の構造は、その後、様々なリゾート施設に受け継がれている。温泉リゾートホテルを計画する場合、自然の魅力を最大限に引き出すことが重要になる。自然的な魅力ある場所に温泉施設(スパ)を配置し、レジャー・レクリエーションゾーンをつくる。この周囲に宿泊、食事、ショッピング等の施設を配置し、温泉リゾートホテルを形成する。

 特徴ある自然環境が存在しない場合は、温泉リゾートホテルの敷地内に魅力的な屋外スペースを構築しなければならない。アメリカでは環境の魅力アップとレクリエーションの場の提供といった観点から、ゴルフ場など導入されている。大規模なリゾートの場合、宿泊施設をホテル棟と伝統的な集落を模倣したバンガロー群などで構成する場合が多い。

図-6.温泉リゾートホテルの例




(4)伝統的な温泉地

1)バーデン・バーデン
 伝統的な温泉地では、旧市街地の更新とともに新たに温泉ゾーンを形成していく場合が多い。また、温泉地は異なった地形、地理的条件を持ち、また歴史的に様々な改変が加えられて開発されてきたため、実際には様々な環境構成パターンがある。
 バーデン・バーデンは時代のニーズに合わせ、3つの中心的なゾーンを形成し、相乗効果をあげている例である。旧市街地は小高い城山の麓に形成され、これに隣接してフリードリッヒ浴場、カラカラテルメ、リューマチ病院、公園などのいわば療養ゾーンとなっている。街を横断するオース川の対岸にはクアハウス(社交施設)、飲泉施設、テニスコート等がある保養公園が広がり、レジャー・レクリエーションゾーンを形成している。この2つのゾーンの間にはインフォメーションセンター、会議施設がある。

歴史的な経緯を見よう。もともとバーデン・バーデンはローマ時代の温泉の発見と浴場施設の整備からスタートした町であり、中世においても旧市街地の浴場が中心的な役割を担っていた。18世紀後半から、避暑地として人気が高まり、オース川沿いに富裕層の別荘建設が進む。また19世紀半ばにかけては、当時流行の飲泉施設と庭園、社交施設が整備され、カジノの収益によって保養公園、劇場、競馬場などが形成され、ハイクラスの人々、著名人の出会いの場としての性格が強化されていく。19世紀末にはドイツで最初のテニスクラブが設立され、その後ゴルフ場、狩猟場などが導入され、レジャー・レクリエーションゾーンが形成された。19世紀後半のフランスープロシャ戦争やカジノ禁止令により、温泉地は低迷する。集客手段が温泉浴場への回帰であり、旧市街地にフリードリッヒ浴場、女性用のアウグスタ浴場が整備される。戦後、保養地での会議需要に応えるためにコンベンションホールの建設(1968)、健康予防・美容ニーズの対応したカラカラテルメの建設(1985、アウグスタ浴場の建て替え)、保養地環境の質的改善を意図したバイパス道路や地下駐車場の整備、伝統的景観の維持などを行っている。このように、バーデン・バーデンは時代のニーズを先取りし、保養地環境の改善を行っており、世界各国の温泉地づくりに影響を与えている。

図-7.バーデン・バーデンの環境構成



バーデン・バーデン 全景           オース川



2)河川沿いの温泉地

 渓谷に沿って温泉地が形成される場合はわが国でも多い。同様の例としては、ルーマニアのバイレ・ヘラクレイニがある。これらの温泉地では敷地に制約があるものの、温泉地としての基本構成は同様である。バイレ・ヘラクレイニでは、19世紀後半に形成された旧市街地が渓谷沿いの両岸に形成され、上流、下流には戦後整備された温泉治療施設をもつ近代的なホテル群がある。旧市街地では一方には共同浴場群が、対岸には公園を中心にレストラン、ホール、クリニック、ホテルなどが集積している。この温泉地は歴史の異なる3地区が渓谷沿いに数珠状につながっている。各地区は幹線道路から進入道路で引き込まれており、河川沿いは散歩道となっている。また、各地区から登山コースが敷設され、渓谷と山がいわば保養公園の役割を果たしている。

 同様の立地条件をもつ日本の温泉地については、河川や山などを保養公園として活用するとともに、温泉地として適切な地区形成が求められる。

図-8.バイレ・ヘラクレイニの環境構成


バイレ・ヘラクレイニ 旧市街地        クアホテル



(5)民間温泉ホテル群からなる温泉地と環境の改善

 もともとドイツなどでは諸侯がパトロンとなり、保養地、温泉施設、文化施設などが整備され、それらが州や市町村に引き継がれ、今日に至っている。したがって、温泉保養地の環境づくりや中核施設の整備・運営は公共セクターが主導的な役割を果たしている。一方、日本の伝統的な温泉地は民間の旅館経営者などの自助努力によって形成されてきた経緯があり、温泉地の拡大とともに、温泉旅館とみやげ物屋が立ち並ぶだけの温泉地景観となっている。日本の温泉地と同様、民間の温泉ホテル経営者によって形成された温泉がアバノ温泉(イタリア)である。

1)アバノ温泉の特徴
アバノ温泉は、不整形な碁盤状の道路に面し、ホテルや店舗が立ち並ぶ温泉地である。個々のホテルは源泉を持ち、これらホテルが集合し町並みを形成している点は日本と同様であるが、3つ星以上のホテルには温泉プールやサウナといった施設に加え、温泉治療施設があり、顧問医の指導で泥浴、吸入、マッサージなどを通じ、運動障害、リウマチ、気管支炎などの治療を行っている。近年では、美容部門を設置しているホテルも出現している。アバノのホテルは健康サービスを提供するクアホテルであり、各ホテルは敷地内に庭園などのオープンスペースがあるため、街路からの景観に統一感がある。また、平均滞在日数は8泊と長期滞在客が多いため、交通量は少なく、日本の温泉地に比べ落ち着いた雰囲気がある。


アバノ 全景                歩行者専用路



2)歩行者ゾーンの整備
アバノ温泉の個々のホテルは充実しているものの、温泉地全体としてのレジャー・レクリエーションの場所は乏しく、また、イタリアの多くの都市で見られるような歴史的地区や広場、商業地区はなく、快適な散歩を楽しめる保養地とは言えなかった。このため、アバノ温泉では、バーデン・バーデンの試みを参考にしながら、地域の特性(自然、都市構造、政治体制、周辺観光地との関係)を考慮し、保養地環境の改善を進めることとした。

第1は、ツアープログラムの開発である。アバノ温泉はベニス、フィレンツェに近く、各ホテルの滞在客を対象に半日〜1日のバスツアーのサービスを提供している。現在は、アバノ周辺地域の自然観光(運河めぐり)、生活文化観光(ワイナリーめぐり)、芸術・文化観光(ヴィラ、庭園、修道院めぐり)などのツアープログラムを発掘、開発している。第2は、フェスティバル、コンサート、マスカレード、地域物産展などの開催である。将来はアバノを周辺地域文化のショーウインドウにする予定である。第3は、温泉保養地環境の改善である。魅力ある中心街を創出するため、20数年前から中心市街地の道路を歩行者専用路とする構想が提案されていたが、1998年に実現している。歩行者専用路の総延長は650m。主要なホテル5軒、ショッピング街をカバーし、歩行路の一部には噴水、水路が設けられている。この歩行者ゾーンの整備により、温泉地の中心地区が魅力的になり、保養客や周辺地域の行楽客が集まるようになり、店舗の売り上げも増えたとのことである。

2)歩行者ゾーンが実現した理由
環境改善策を実現するためは、合意形成と整備費の問題解決が不可欠である。このプロジェクトはホテル協会の有志が市に提案し、市長とホテル協会長が商店組合の有志に働きかけ、ホテル協会、商店組合、自治体3者の合意形成が図られたものである。アバノでは世代交代が進み、ホテル協会のメンバーや首長が若い世代となり、町づくりの必要性や改善策に対する合意が得られ易くなったこと。また、このプロジェクトで対象とする歩行者ゾーン沿いには大規模ホテルが立地し、これらホテルは敷地の2辺が街路に面しているため、交通規制による影響は少なく、少数の地権者の合意形成で済んだこと。町の実情に即し、実現可能な整備計画に絞り、対処したことが中心市街地の歩行者ゾーン化に結びついた要因である、また、市民の過半がサービス産業に関係しており、中心市街地の活性化が市民の経済生活の改善につながっていることもその一因であろう。整備費については入湯税に加え、ゴミ収集税、広告税(サイン・カンバンなどに賦課する税)を高くし、整備費を捻出した。いわば環境負荷に関わる税を保養地環境の美化に用いている訳である。また、広告税によって、サイン・カンバンが小さくなり、洗練され、秩序あるものとなり、町並みの美化にも寄与している。

草津、由布院などの温泉では、パーク・アンド・ライドの実験が行われ、温泉地の交通規制を行うことによって、歩いて楽しい温泉地づくりを推進しようとする動きも見られる。
また、山中温泉では、中心市街地の電柱地中化と歩道の整備、町並みの改善を推進している。温泉保養地づくりの第1歩として歩行者が快適に歩ける街を目指すことが重要と考える。ただし、従来のような全面的に補助金に依拠した環境改善策は限界に突き当たっている。温泉地として自治体として、地域の実情に即した改善手段を見出していく必要があろう。

4)温泉保養地を目指して
 保養客が快適な滞在生活を過ごすためには、ホテル内での生活、中心地区での食事や買い物、周辺行楽地へのツアー、文化催事の楽しみだけでは不十分である。自然環境の中でくつろぎ、田園を散歩したり、周辺集落を気軽に訪問したり、スポーツに参加することによって、人々はリラックスし、生きていることを実感する。バーデン・バーデンの魅力は保養公園と町を取り巻く森林での一時である。アバノ温泉に求められるものは、この保養公園と田園での体験であり、このための計画づくりが進行中である。

 第1は、保養公園づくりである。アバノ温泉のホテル街の入り口付近に約9.5haの保養公園を整備し、この中に店舗、アパート、交流施設などをもつ複合施設を2棟整備する。この交流施設では各種フェスティバルや物産展などを開催する予定であり、これら複合施設はドイツの温泉地のクアハウスや保養客センターの役割を担う。また、公園内に一部地下方式の駐車場を設け、歩行者専用路・歩行者ゾーンに連絡する。公園事業は市の整備事業で行い、複合施設の建設は公共―民間のパートナーシップで行うという内容である。バーデン・バーデンが1世紀以上を費やした保養公園づくりを、アバノ方式でどう推進するのか興味が持たれる。

 第2は、自転車道の整備である。アバノ温泉の滞在客2000人のアンケート調査の結果、要望のトップ項目が自転車道の整備であり、この結果を受けて、景観の良好な田園地域の一般道路を自転車道に転換するというもので、総延長は5kmである。なお、ルート上には5軒の民家があるが、合意は得られているようである。

 第3は、ゴルフ場の整備構想である。アバノでは農地を宅地に転換し、人口増加政策を推進してきたが、今後は農地の宅地化を規制する方針にした。しかし、農業離れが進行しているため、農地をゴルフ場として利用する構想が進められている。構想予定地は歩行者ゾーンから800mほどに位置する田園で、市街地に隣接している。田園景観や緑豊かな環境保全、気軽に訪問できるレジャー・レクリエーション環境の形成といった視点でゴルフ場を構想している。
これら環境整備によって、アバノ温泉は保養公園とゴルフ場に囲まれた環境構成になる。


アバノ 歩行者ゾーン



5.まとめ

 先進諸国は少子高齢化社会に突入し、医療、介護・福祉、年金、雇用という共通課題を抱えている。社会的な観点からは温泉地における健康サービスの提供は地域住民にとっても訪問客にとっても、社会保障制度を持続可能にする上でも最重要課題である。ドイツなどでは保険等を利用する温泉地経営から個人ベースで訪れる健康・予防客や行楽客に対応した温泉地経営への転換が、健康サービススタッフの雇用維持にとっての課題となっている。一方、わが国では一般行楽客が減少する中、健康・予防客に対応した温泉地経営へのシフトが、地域住民や国民の保健政策として、新たな誘客や雇用創造の手段として重要な課題であると思われる。地域再生が各地で取り組まれているが、単なる誘客や観光振興といった視点から、地域や国民の健康政策といった観点で再構築を図る必要があろう。

 温泉地は温泉、空気、森林、河川などの自然資源に依拠して成立している。自然環境の保全は健康的な環境の形成に直結する。ウェルネス志向の人々は温泉地にエコロジー的価値(健康的価値)、生活文化的価値(町並み・コミュニケーション)を求める。温泉地の価値向上の観点から、アバノでは広告税・廃棄物税の導入によって保養公園や歩行路が整備され、ドイツでは森林とのふれあいを目的とする学びの道が設けられている。人口減少社会においては誘客の大幅な増加は期待できず、温泉地、観光地の間での競争が激化する。温泉地の状況に合わせ、温泉地の価値向上を図る必要があろう。

 今後、日本社会にインパクトを与える要素に環境・エネルギーの分野がある。1997年の京都議定書では6種類の温室効果ガスの削減数値目標が定められ、日本政府は2008年から2012年の間に、1990年比6%を削減することを約束している。温泉地においても浴場・旅館の省エネ化、自動車交通体系の見直し、温泉熱源の有効利用などエネルギーの削減や自然エネルギーの利用が求められる。こうした観点も踏まえ、温泉地づくりを推進する必要があろう。


 参考引用文献
1.松田・坂巻編著、日本型疾病管理モデルの実践、じほう、2004
2.池上・キャンベル共著、日本の医療、中公新書、1998
3.広井良典、日本の社会制度、岩波新書、1999
4.中田裕久、伝統的温泉地の展望、健康と温泉FORUM記念誌、1999
5.中田裕久、リゾート開発と運営、レジャー産業を考える所収、実況出版、1993
6.中田裕久、イタリア・アバノ温泉の町づくり、健康と温泉FORUM記念誌2000
7.W・Nahrstedt編著、Freizeit und Wellness、IFKA、1999
8.K・Tone、J・Green、Health Promotion、SAGE Publication、2004
9.H.W.Opaschowski;Tourismus Forschung、Leske+Budrich、1989



目次 NEXT
Copyright(c)2004 NPO法人 健康と温泉フォーラム All rights reserved.