はじめに
わが国経済社会の活性化を図るためには、地域社会の発展が重要であり、そのために、地域住民がひとしく健康であり、快適な生活を営むことができる活力ある地域社会を建設することが不可欠である。とくに、高齢社会に入ったわが国においては、生命維持と健康増進のための研究と実践活動を展開しつつ、活力ある地域社会を形成する方途を見出すことが求められている。このため、地域住民のライフステージに対応した、「総合的」健康ニーズを充足するライフケアシステムのあるべき姿の描出とその具現化のための方策の検討の心要性が高まってきている。
地域社会は、そこに賦存する資源および環境によって性格が異なるが、活力ある社会の建設は、それらの資源および環境の活用によってなされるべきものであろう。したがって、ライフケアシステムの形成は、その地域内の資源、環境および地域特性に応じて、また、それらを活用することによって行われる必要がある。また、ライフケアシステムの形成は、単に健康ニーズを充たすだけでなく、それ自体、地域開発事業でもあり、産業育成、コミュニティづくり、社会資本の整備、経済水準の向上などの効果をももたらすことが期待される。
1.地域発展のためのライフケアの必要性
(1)総合的健康ニーズの顕在化
地域社会の発展のためには、地域住民すべてが「健康」であることが、必要条件としてあげられる。この「健康」の捉え方は、今後、社会の趨勢に伴って新たに増大してくるニーズを包括したものでなければならない。このため、「健康」の概念は、従来の「病気から身を守る」という医学的な健康から、地域社会において「生きがいのある生活を全うする」という社会的な健康という意味へと変化し、身体的な健康に加えて、精神的に、文化的に、そして経済的にも健康である状態を包含した、新たな概念を形成しなければならないであろう。
つまり、人間が生まれてから死ぬまでのライフサイクルにおいて、教育、労働、娯楽、創造、静養、摂食、就寝の各局面で、安全であり、質が高く、充実しており、機会平等である状態を保持したいという、あるいはそのレベルにまで達したいという欲求が前面に出てくることになる。1人の人間が一生健康であるという意味からみれば、身体的な健康は、重要なことではあるが、その一部であり、他の精神、文化、経済の側面における健康も同時に充足されなければならないものである。身体、精神、文化、経済の側面における健康ニーズを整理すれば、次のようになる。
1)身体的には、医学的に正常な状態を維持し、機能を回復し、老化を防止し、管理するニーズ
2)精神的には、ストレスを回避し、欲求不満を解消し、情緒の安定と精神涵養を図るニーズ
3)文化的には、教養をしっかり身につけ、創造性を滴養し、豊かな余暇活動を確保し、国際的な交流を行うニーズ
4)経済的には、雇用機会を確保し、所得水準の向上を図り、消費行動と生活水準の向上を期待するニーズ
要するに、以上の四つの側面におけるニーズは、すべて一体化したものであり、今後の健康ニーズは、図1に示したように、身体的ニーズ、精神的ニーズ、文化的ニーズ、経済的ニーズをすべて包含した総合的健康ニーズとなってあらわれてくることになろう。
図1.今後の健康ニーズの概念
(2)ライフケアの必要性
総合的健康ニーズは、基本的に、乳・幼児期から老年期に至る各ライフステージにおいて、その内容は異なっているものである。したがって、すべての地域住民の総合的健康ニーズに対応するためには、各年齢期のライフステージにおける固有の健康ニーズを把握し、その各々に応え得る地域社会づくりが必要になる。
ここで、各年齢期のライフステージにおける総合的健康ニーズを整理すれば、地域住民の個人的、総合的健康ニーズと、地域社会全体の総合的健康ニーズの二つに分けることができる。地域住民の個人的健康ニーズは、乳・幼児期では、食生活と保健・医療の側面におけるニーズが大きく、学童期および思春期においては、食生活と教育の側面におけるニーズが強まる。青年期および壮年期では、日常生活と保健・医療の側面におけるニーズが大きくなり、老年期においては、日常生活と保健・医療の側面におけるニーズが一層強まることになろう。
つまり、食生活、日常生活、保健・医療、そして教育の側面における地域住民の個人的健康ニーズでは、若年者層においては、特に食生活および教育の側面でのニーズが大きく、高齢者層になれば、特に日常生活および保健・医療の側面におけるニーズが強く前面にでてくることになる。
次に、地域社会全体の健康ニーズにおいては、福祉・医療、教育・文化、経済、そしてインフラストラクチャーの側面におけるニーズが強くあらわれてくるであろう。つまり、福祉・医療の側面では、乳・幼児期においては、予防医療体制、救急医療体制のニーズが大きく、学童期から青年期までは、学校、職場での衛生管理、精神カウンセラー体制のニーズが強まってくる。壮年期から老年期においては、成人病管理、予後管理、地域医療体制、老人医療体制のニーズが大きく前面にでてこよう。
教育・文化の側面では、学童期および思春期においては、野外教育、体験学習のニーズが大きくなってくることになり、青年期および壮年期においては、教養向上、文化交流のニーズが強まってこよう。老年期においては、老人の生きがいを求めた生涯教育、いこいの村などのニーズが増大してくることになろう。
経済の側面においては、青年期および壮年期では、就労機会の確保、安定所得の確保のニーズが中心であり、老年期においては、高齢者雇用体制のニーズが強まってくる。
インフラストラクチャーの側面では、とくに、世帯主となる年齢期におけるニーズは、住宅・居住地整備、社会資本の整備ニーズが前面にでてこよう。
以上の各年齢期のライフステージにみられる、地域住民の総合的健康ニーズと地域社会全体の総合的健康ニーズを正しく把握し、それらに対応する地域社会を建設することが必要となってくる。このため、地域の総合的健康ニーズを生み出す地域の特性、環境、資源を把握し、それらの総合的健康ニーズとの関係、およびニーズの発生分布、発生量を明らかにする必要がある。そして、その解決策としての実践的ケア活動のあり方について、明確にする必要がある。この地域における総合的健康ニーズの発生メカニズムの研究と、その研究成果に基づく地域内の実践的ケア活動こそが、今後の地域住民の豊かな人間形成と活力ある地域社会を建設するために、不可欠なものとなってくる。この新しい地域開発の一つの手法を、「ライフケア」と呼ぶ。
つまり、「ライフケア」は、地域の総合的健康ニーズに充分に応える地域開発を行っていくための、研究と実践的ケア活動であり、地域開発の一つのアプローチ策である。
したがって、ライフケアは、その地域の特性、環境および資源と発生する総合的健康ニーズとの関係を医学的、社会的、経済的視点から捉えた健康科学研究と、その研究成果に基づいて開発された実践的ケア活動によって構成されることになる(図2参照)。
図2.地域社会建設におけるライフケアの位置づけ
2.ライフケアシステムの概念形成
(1)ライフケア研究のあり方
ライフケアは、地域住民の総合的健康ニーズに応えるための方途であり、地域開発の一つのアプローチである。このため、健康科学研究に裏づけられたものであり、さらに実益的なものでなければならない。したがって、ライフケアの開発は、地域の特性、環境、資源に対応したものであり、それらを充分織り込んだものでなければならない。ライフケアに不可欠である健康科学研究は、地域の特性と生活環境をベースに展開されるべきものであり、この研究内容は次のものがあげられる。
1) 環境と人間生態の研究
2) 自然風土と生体順応の研究
3) 老化と老化制御の研究
4) 栄養と摂取食品の研究
5) 住居と健康の研究
6) 環境汚染と健康との研究
7) ストレスと情緒不安定の研究
8) 能力開発と健康との研究
9) 生きがいと健康との研究、
10) 労働と健康の研究
つまり、これらの健康科学研究は、純粋な学術的研究に分類されるべきものではなく、地域住民の健康な生存に関する実益的な、総合的な応用開発であるといってよいものである。その研究成果は、終生医学的に健康な状態を維持し、豊かな心と人格形成能力を身につけ、生きがいのある人生を享受できる状況をもたらし、コミュニティづくり、レクリエーションシステムの開発、教育システムの開発、さらに産業開発へ貢献することになるであろう。この健康科学研究の成果と地域開発との関係を図3に示す。
図3.健康科学研究の成果と地域開発
これらの健康科学研究は、基本は、地域住民のニーズに応えるものであるため、地域住民が生活している場固有のものとなる。したがって、この研究内容はその地域によって異なってくるものである。このため、寒冷地であれば、寒冷地における生体の順応、生態学的研究などを実施することが必要であり、温泉資源が地域に賦存する場合には、その温泉と生活系、温泉と健康の研究などが重要となろう。山間部であれば、森林浴と健康科学研究、労働と生きがいの研究などが重要となり、また沿岸部であれば、海洋生物資源と栄養の研究、治岸部の居住と健康の研究なども必要となろう。また、都市部あるいは過疎部における能力開発と人間形成メカニズムの研究、情報交流と創造力滴養の研究なども重要となろう。したがって、健康科学研究は、医学的アプローチだけではなく、社会的、経済的アプローチの総合的アプローチで実施されねばならない。
(2)ライフケアシステムの概念
ライフケアのアプローチにより地域開発をすすめていくためには、その地域の特性に対応したライフケアの研究成果に基づく、具体的開発システムが必要となる。この具体的開発システムを「ライフケアシステム」と呼ぶ。
ライフケアシステムは、その目的を、地域住民の身体的、精神的、文化的、そして経済的な総合的健康ニーズを充足することによって地域開発を行うことに置いている。このため、ライフケアシステムは、身体的健康ニーズの充足を図るシステム、精神的健康ニーズの充足を図るシステム、文化的健康ニーズの充足を図るシステム、そして経済的健康ニーズの充足を図るシステム、の4つのサブシステムから構成されることになる(図4参照)。これら4つのサブシステムの内容は、次のようになる。
1)身体的健康ニーズを充足するシステム
●栄養管理システム
●健康管理システム
●シルバーケアシステム
●住居管理システム
2)精神的健康ニーズを充足するシステム
●レクリエーションシステム
●生活処方システム
●カウンセリングシステム
3)文化的健康ニーズを充足するシステム
●文化交流システム
●能力開発システム
●生涯教育システム
4)経済的健康ニーズを充足するシステム
●産業開発システム
●技術教育システム
●研究開発システム
図4.ライフケアシステムの概念
地域開発のためのライフケアシステムは、地域の特性、環境、資源に基づいて構築されねばならないし、また、それらを効果的に利用したものでなければならない。また、ライフケアシステムは、全国共通のものではなく、地域で一つというものでもない。
地域内に既存する環境、資源は、地域ごとに異なるため、地域の特性に対応したライフケアシステムが形成されてくることになろう。
例えば、寒冷地においては、寒冷地特性、社会的資源、天然資源に基づいたライフケアシステムが形成されねばならないし、沿岸地や山間地には、その状況に応じたライフケアシステムが、また離島においては、離島の環境、社会的資源に基づいたライフケアシステムが形成されなければならない。
3.ライフケアシステムの形成を目指した地域開発事業
(1)地域開発事業の枠組み
前節で示した概念に治ってライフケアシステムが形成されれば、地域住民への保健サービスが確保され、生活水準が向上し、さらに、文化・教育水準の向上が得られることになる。また、リクリエート機能も確保され、地域住民の精神の健全化、創造力の洒養も得られることになり、地域全体の経済水準は向上することになる。このために、具体的に、ライフケアシステムの形成を目指した、以下の地域開発事業が必要となってくる。
1)住民への保健サービス確保
すべての住民が保健サービスを受けられる体制の整備事業
2)生活水準の向上
すべての住民が安全で便利な生活を享受できる体制の整備事業
3)文化・教育水準の向上
すべての住民が教養、知識、娯楽を身につけられる体制の整備事業
4)リクリエート機能の確保
すべての住民が心身ともにリクリエートできる機能を確保する整備事業
5)経済水準の向上
すべての住民が所得を確保し、能力を発拝できる産業開発の整備事業
つまり、地域住民への保健サービス確保のための開発事業として、ホームケアシステムの整備、地域保健情報システムの整備事業、などが必要となり、生活水準の向上のための開発事業として、健康的住居建設事業の整備、ゴミ・下水処理システムの整備事業、などがあげられよう。また、文化・教育水準の向上のためには、体験学習・野外博物館の整備、イベント事業、などの開発事業が必要となり、リクリエート機能の確保のための開発事業として、森林浴の整備事業、温泉クアハウスの整備事業、などがあげられる。また、経済水準の向上のためには、地場産業の育成事業、高付加価値産業の起業事業、コンベンションセンターの整備事業、生命科学研究機開の整備事業、などの開発事業が必要となってくる。
これらの開発事業は、ライフケアシステムの形成を目指して展開され、これらの開発事業によって、ライフケアシステムの目標である、地域住民の豊かな人間形成と活力ある地域社会の建設が可能となろう。それを通じて、地域社会に不可欠な次の機能が整備されることになる。
1)研究・実験機能・・・健康科学とその成果の応用研究が発展し、高度研究能力が集積する。
2)産業機能・・・健康科学の成果の事業化と関連産業を発展させる。
3)教育棟能・・・事業化のための人材育成と住民の能力開発が達成される。
4)観光・レクリエーション機能・・・健康科学の成果と資源とを利用し、住民のレクリエーションの場を確保する。
5)保養梯能・・・健康科学の成果と資源とを活用し、住民の休息の場を確保する。
6)ニュータウン機能・・・豊かな資源を活用し、快適な住生活空間を確保する。
7)イベント機能・・・文化・技術の両面で、国内および海外との交流が進展する。
8)都市機能・・・地域発展のための社会資本とコミュニティ機能が整備される。
(2)地域の特性によるライフケアシステムのケース
ライフケアシステムの形成を目指す地域開発事業は、その対象とする地域の特性、天然資源、社会的資源、環境によって、開発事業テーマおよび個々の開発要素が異なってくる。
例えば、商工業を中心とする都市、文化・歴史的遺産をもつ地域、海岸線に申し温暖な気候を通年保有する地域、山間部の豊富な生物を保有する地域、豊富な温泉・地熱を保有する地域、などは根本的に地域の特性、資源、流通構造、環境が異なっている。
ライフケアシステムは、その地域に住む住民およびその地域が対象であり、現在、動いている生活システムを完全に変えることまでは考えていない。可能な限り、既存のシステムにのっとった形で開発事業を展開させることが基本である。このため、対象とする地域の樽性、資源、環境を最大限利用し、活用したライフケアシステムを形成することが重要となる。以下に、それぞれ性格の異なった地域におけるライフケアシステムの開発事業テーマおよび開発目標について示す。
1)豊富な温泉・地熱などの活用
A 開発事業・・・リクリエーションコミュニティ開発
B 開発目標・・・豊富に存在する温泉資源を最大限に利用し、保養と地域文化交流を図った地域開発を行い、観光開発、健康開発、文化開発などの事業を通じて地域に活力をもたらす。
2)山間部等の豊富な資源、環境の活用
A 開発事業・・・アグリコミュニティ開発
B 開発目標・・・森林、高原、牧場、そして生物資源、さらに保有する農林畜産技術を活用した地場産薫育成型の地域開発を行う。さらに森林浴、ヘルスファー ム事業を展開させ、また技術交流を発展させることによって総合的健康ニーズに応えた活力ある地域社会を建設する。
3)海岸線に面した温暖な気候、資源の活用
A 開発事業テーマ・・・マリンコミュニティ開発
B 開発目標・・・リアス式海岸、沿岸漁業、海洋資源、保有技術などを最大限に活用し、海洋牧場、海浜レクリエーション基地高付価価値産業育成などを
展開することによって地域社会を建設する。
4)保有する生物資源の活用
A 開発事業テーマ・・・ライフインダストリーコミュニティ開発
B 開発目標・・・保有する自然資源、生物資源、流通網、地場産業などの立地環境を最大限に活用した高付加価値産業育成中心型の地域開発を行う。健科学研究の成果とライフサイエンスの中核技術であるバイオテクノロジーを発展させ、総合的健康ニーズに応えると同時に地域社会に活力をもたらす。
5)文化・歴史的遺産の活用
A 開発事業テーマ・・・教育・文化コミュニテイ開発
B 開発目標・・・長く伝わる文化と雄大な自然資源を最大限に活用し、民俗学、野外博物館、体験学習など、生きた教材を通じて、創造力洒養、教育向上効果をもたらすことをねらった地域開発を行う。
以上に示したライフケアシステムの形成と地域開発に基づいて、温泉地の地域開発を考慮すれば、例えば表1に示すものが考えられる。これらの機能はすべて整備しなければならないものではなく、地域特性、保有資源によって異なることは当然である。基本は、温泉資源と生物資源、農林資源、文化資源との組み合わせによる地域開発を行うことである。
表1.温泉地における地域開発事例
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