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日本の温泉地再生への提言 [11] -第1グループ 旅館・温泉地リーダー

「温泉効能と医療」・私の夢

黒岩 達介
(万座温泉)(財)全日本スキー連盟公認 万座スキー学校校長


1.万座温泉の歴史と概要

 万座温泉は、群馬県吾妻郡嬬恋村の北部に位置し、草津白根火山の南西方向3000m、長野県境との近く上信越高原国立公園のほぼ中央標高1800mの山合に在る高山温泉である。今もって周辺は太古そのままで原生林に包まれている。当温泉郷には総数18ヵ所の源泉があり、全て自然湧出泉である。泉質は硫化水素を含む酸性の流酸塩を主成分とする温泉で、多くは70℃以上の高温である。湧出量も豊富で、その湯史は古く、最初の発見が何時だれによってであるかは、いまだに明らかではない。古文書などに残る文献や歴史的断片からみた万座温泉の歴史をたどってみると、湯畑の北方にある通称「熊四郎岩窟」からの矢の根石などの出土品によって、温泉の利用は先史時代にはすでに行なわれていたという確証は得られている。また、同岩窟からは土器の破片も発見されている。それも櫛目波状文の弥生式土器で、弥生式時文化の居住地であることが推定される。が、この奥深い土地柄ゆえ、先住民が定住したものではなく、春秋季か夏季の入湯者が、仮に求めた野宿の住居跡と思われる。このことから古代人がこの温泉を発見し、利用したことは疑いのない事実であろう。さらに、今から600年以上前の下屋文書という文献によると、貞治元年(1362年)と応永2年(1395年)の土地の譲状のなかに「まんざ」の地名がみえるが、当時のさまざまな状況から想像して、現在の万座温泉の地に想定される仮住みの集落であったと推測されている。そして、永禄5年(1652年)に土地の豪族、羽尾入道が万座温泉入湯の留守中に、鎌原城主に急襲され、滅ぼされたという記述が、沼田城主真田伊賀守の家臣が著述した「加沢記」に残されている。400年も昔に豪族一行が逗留したという事実は、自由宿泊、自由入湯のこの時代に、万座温泉が多くの地元民に利用される共有の温泉であったことを物語っている。また「加沢記」の写本にはこんな記載もある。当時の吾妻八湯の案内に、草津、四万、沢渡に次いで万座が4番目に記されている。「万座の湯、この湯は深山の谷間に在り、牛馬の交通も無し、人の交通また容易ならず、湯の効能は、頭痛、喘息、血の道(婦人病の異称)、せん気(疝=下腹部を中心とした内臓の痛む病気)、胸こびる(胃が焼ける)ものなどは、一度行けば起こらざるなり」と書かれている。当時から万座の不便なことと浴効のあることは広く知られていた。
 又、近年平成12年8月熊四郎岩窟より発見された礫石経は、人頭大の河原石に経典ないし願文を墨書したもので、大小4個を確認した。その文意は、まだ解明されていないが、般若経の中の密教経典の代表的なものである"理趣経"の一部と見られ、これが書かれた時期は筆跡・筆法から今から数百年前を遡るものと推定される。古くは、本村中西部にある四阿山(あずまやま)から草津白根山に至る嬬恋村側の連峰を"万座山"と呼んでいた。その万座山の深山幽谷は熊野や白山信仰の霊山とされ、いわゆる山岳信仰の一拠点でもあった。そのため、修験者(山伏)の跋渉するところであった。そうした修験者が、万座温泉の湧出や噴気を発見し、その異様な光景に神仏の霊を感じ祭祀を意図したと考えられる。そこで、礫石経を奉納したものと考えられる。現在では当地の産土(うぶづな)の神(氏神)、稲綱宮が祀られている。

 古くから万座温泉の効能は知られていたが、明治、大正にはいってから入湯客の旅館が建設され、その効能は伝承医学的に人から人へと口述で言い伝えられ、昭和初期は3軒の旅館が盛況を極めるに至りました。それぞれの温泉源が、特徴をもっており、常連の入湯客がその効用を確かめながら、それぞれの病によって入浴する泉質やそのアドバイスを、各旅館主と共につとめた。その頃から地熱浴や湯畑の近くで湯気を浴びるといった温泉文化が定着し、昭和40年代初期まで続いたが、その後行政による安全面の配慮から入浴湯治が中心となっている。


2.温泉活用の提言

 実は私自身子供の頃から熱い温泉の入浴は苦手で、当地に40有余年在住していても、冬の寒冷期の就寝前に暖房代わりに身体を暖める為に入浴することを目的にしていた程度でありました。また、当温泉の湯治客の手紙(行政指導によって古くからある源泉の浴室が移転するという事に対して、原状維持を求める顧客の嘆願の手紙)から、湯治の効果がさまざまな病の治癒につながる事は、話や記述によって知っていた私でしたが、それはあくまでも、伝承医学の域の認識でしかありませんでした。しかし、一昨年11月、私自身が脳梗塞を発症し、左半身不随の身体となって初めて当温泉の浴効を実感として認識したのです。病を発症してから5ヶ月間、リハビリ専門の沢渡温泉病院に入院していた期間中には一度も体験しなかった事なのですが、同病院を退院し当温泉に戻り、およそ1週間程した明け方ベッドの中で寝返りを打った私はハッとしたのです。入院時から右手が左半身に触れると冷たく感じる程左右の体温差があったのですが、その時は左側が右側と同じ体温であったのです。それからです。月一度の主治医の定期検診で「黒岩さんは普通じゃあないですよ」と言われるようになりました。何が普通じゃあないのかと伺うと、快復のテンポがと言うのです。私自身は具体的に何が普通でないのか理解できなかったのですが、それから数ヵ月して、頭のCTスキャンでのレントゲン撮影の映像を見たとき、それが始めて理解できたのです。私がCTを撮っている間、主治医はその時点で想像して、メモ用紙に脳の輪切り状に写る映像のスケッチをしていたのです。それは、私の脳はおそらくまだこれ位ダメージが残っていると想像して描いたものでした。しかし、そのスケッチと実際のCTによる私の脳の撮影映像との比較をされ、又「これは普通じゃあないですよ。こんなに小さくなって」と指を差した部分は先生のスケッチのダメージを表す黒い部分の大きさよりもかなり小さくなっていたという事実を知って、私も驚き納得しました。ただその時点では「ダメージを受けた脳細胞は復元力が遅いと言われているのに、何故そのダメージを受けて黒く移る部分が小さくなったのであろう」と、主治医はただ普通じゃあないと言うだけでした。私はたまたま温泉医学の研究に長年携わってこられたS先生にお会いする機会があり、当地温泉の効能についてお伺いして、又ハッとしたのです。硫化水素を含む温泉は、入浴すると硫化水素が皮膚から吸収され、その硫化水素は血管の機能を活性化させ血行をよくする働きがあるといわれて、素人の私でも納得できました。自身の快復状況からして温泉の効能が如何に私の快復を促したかを知り、温泉の効能が如何に大きいかを認識して以来、毎日意図的に入浴する変身ぶりに家族も吃驚した程です。今では、当温泉の価値観を口述する立場にたっている私ですが、最近の医療に関する書籍にある統合医療に温泉浴を役立てて頂き度いと提言させて頂きます。人為の及ばぬ効能が、天然温泉に秘められていることを是非科学的に解明して頂きたいと切望すると同時に、適切なる医師の指示の下で湯治することを医療行為として国の所轄する機関に認定して頂き度いと願っております。
 我国にはこれまで温泉医学研究所等で進められてきた現存する研究データが相当数あり、それを活用すれば広域に亘る各温泉の含有成分が科学的に解明されることは可能と考えられ、様々な疾患に有効な湯治療法が適切に行なえるのではないでしょうか。温泉医学の研究者及び研究機関(団体)と所管の行政機関が総力を挙げて取り組むべき重要な課題であると思う人は少なくないと思います。
 自然界に点在する天然温泉郷は人々の心身を癒すのに充分な諸条件が整っていることも大きな魅力です。


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