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日本の温泉地再生への提言 [25] -第2グループ 医学

新しい温泉・入浴の
利用促進のための科学的基盤


田中 信行
(霧島) 鹿児島大学医学部リハビリテーション科 教授


1. 温泉・入浴の新しい科学モデルの必要性
温泉や入浴の広範な利用を促すためには、その医学的効果やメカニズムの深い検討がまず重要である。
厳しい言い方かも知れないが、今や単に温泉が快適であるとか、健康増進や生活習慣予防というキーワードでは人にそれを信じさせたり、更には保険診療に採用させることは困難と思われる。すなわち、より新しい理念に基づく格段の研究なしには、恐らく状況は変わらないであろう。
現代のライフサイエンス(生命科学)は人間中心ではあるが抽象科学ではない。人間のゲノムが決定され、遺伝子の個人差に基づくテーラーメード医療が論じられる時代である。温泉や入浴の健康増進を証明する「新しい科学モデル(理念)」が求められている。

2.新しい温泉の医学研究モデル
温泉や入浴が、温熱や浮力、温泉地環境等の総合的作用を介して生体に作用していることは良く知られている。しかし、ただ総合的と言っていても何にも始まらず、やはり分析的研究のための科学モデルの確立が、まず重要である。
第1の理念として「温熱医学」の確立があげられる。温熱の研究は非常に遅れているが、近年の最大の成果はmicrowave多焦点照射による癌の治療であり、特に咽頭癌、肺癌等で癌の消失という顕著な成果も出ている。これは患部を42?44℃に高めて、癌細胞のネクローシス、あるいはアポトーシスを誘発するものである。
温熱、すなわち赤外線、遠赤外線は基本的には電磁波の一種で、最も波長の短いγ?線、X線から紫外線、可視光線、そして波長の長い赤外線に到る。すなわち、温泉、入浴はこの長波長電磁波の比較的低エネルギーレベル、すなわち中核温で37〜38、5℃程度の生理、生化学的変化の研究ということになる。それは多くの酵素活性が温度依存的であることと共に、温熱がヒートショック蛋白の誘導を示すことから、恐らく遺伝子(DNA)のm-RNAへの翻訳(translation)や転写(transcription)というゲノム化学、更に癌細胞の死滅という現象から複雑なアポートシース誘導系の研究がポイントであろう。またコラーゲン線維の熱可塑性(伸張度の亢進)という現象も、次のリハビリテーション医学の基盤として重要である。
第2の理念として、リハビリテーション(以下リハ)医学、すなわち「障害の医学」からの視点である。それは温泉、入浴の第2の作用機序である浮力や静水圧、コラーゲンの熱伸張性が基盤にある。浮力はこの地球の重力場に「無重力」を実現するもので、その生物学的意義は神経系への深部覚入力の低下と筋骨格系への重力消去という面から検討されるべきである。
これらの脳、脊髄損傷への痙性抑制や神経反射、中枢性刺激の解除という面からの研究、また骨の形成や筋、関節機能への生理的作用の検討が重要である。さらに、それが人間の機能回復に如何に貢献するかを新しい切り口で示さねばならない。
3.新しい研究と社会の動き
(1)温熱性血管拡張の効果と
遺伝子への作用
温熱のもたらす心血行動態の効果は著者ら(鄭、堀切、田中)の研究でほぼ終了した様に思われる。すなわち温熱性血管拡張による心臓前負荷と後負荷の低下が血圧を下げ、心拍出量を上げ、それが全身のO2や栄養の供給と老廃物の排出を行い、重症心不全さえも解除することを示した。その結果、全国、また世界各地の大学病院でサウナの設置が心不全治療に始められつつあり、今まで全く見られなかった動きである。
また鄭ら鹿児島大学第一内科グループは更に研究を進め、この心拍出量増加による血管内皮細胞へのshear stress(ずり応力)が一酸化窒素(NO)の合成、さらには遺伝子に作用してNO合成酵素(NOs)やNOs-mRNAの転写促進を示した。入浴の「長期的効果」を初めて遺伝子レベルで証明したもので、今後の温熱医学の最大の科学的基盤となろう。
しかし、今なお温熱による血管拡張そのものの第1機序は不明なままであり、その解明が入浴、温泉の医学的利用の発展の幕開けとなろう。

(2)温熱の臓器機能への効果
白倉、久保田らは血小板の温熱性変化について報告して来たが、今後各臓器機能への影響を詳細に検討する必要がある。
我々は入浴前後の腎血流量の著明な増加と腎糸球内圧の低下の可能性から、入浴の腎、特に糖尿病性腎症への効果を検討している。また十二指腸へのアセトアミノフェンの注入から、入浴による吸収能の著明な増加を、また温熱による膀胱内圧の検討から夜間頻尿改善の原因を明らかにしつつある。
今後、更に腎のクレアチニン、尿素クリアランス、肝臓の塩化アンモニアクリアランスから肝臓特異的解毒機能の検討を始めているが、更に培養細胞での遺伝子転写レベルの研究に進めたい。

4.新しい温熱医学の研究
−古い酒を新しい革袋に
谷崎らは喘息に対する、また阿岸らは糖尿病に対する温泉の効果を多数報告して来た。今後の問題はその「科学的機序」であり、それが新時代のライフサイエンスとしての温泉、入浴の科学となろう。すなわち、動物実験や培養細胞系での温熱による変化、特にヒートショック蛋白やインシュリン合成、サイトカイン系への蛋白および遺伝子レベルでの研究が進められるべきである。
また水中運動、無重力下での深部知覚機能、特に電気刺激による脊髄前角細胞を介した単、あるいは多シナプス反射の解析や脊髄および中枢伝導時間の磁気刺激装置を用いて検討することも企画している。
温泉、入浴という古い酒をライフサイエンスという新しい革袋の中で熟成させ、世に送り出す努力が望まれる。私達、古い者が新しい研究者に、新しいメッセージを残したい。

5.温泉地の再生
温泉や入浴はその研究の困難さの故に、余りに統合(効果と利用)のみが強調されて来たが、その分化(効果機序の解明)の重要性を述べた。一方、温泉地もその結果を学ぶ努力は是非必要であるが、従来最も欠けていた点でもある。
またその地域の歴史や文化、伝統と融合した経営姿勢が重要なことも良く知られている。そのためにはその地区の協力体制が第一である。
更に重要なことはそれを利用する国民への広報、宣伝である。従来の自分の旅館、ホテルの宣伝は最も効率が悪い。これもその温泉地の10〜20店が協力すれば、十分な金をかけたセンスある広範な宣伝が可能になる。温泉地そのものの周知が第一で、自分の店の室や料理、温泉設備のことなど次の課題である。
健康増進や生活習慣病予防等の常用句では社会は動かず、その基盤となる「新しい科学モデル」の重要性は冒頭に述べた通りである。


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