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日本の温泉地再生への提言 [29] -第2グループ 医学 鳴子温泉の湯治文化にもとづく 温泉療養プラン |
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成川 弘治 (鳴子) 町立鳴子温泉病院長 |
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鳴子温泉において古くから続く湯治文化の流れの中で、わが病院では、観光産業に携わる地域住民と病院職員、特にリハ・スタッフとの共同作業による「温泉療養プラン」を実施しており、このプランについて報告します。 鳴子温泉と湯治文化について 鳴子温泉は文献的には1182年の頃、平泉の藤原氏によって鬼首(おにこうべ)が開湯。十八世紀前半、川渡大湯・赤湯御殿湯が仙台藩の御用湯となり、寛政三年(1791年)に林子平が川渡の湯につかったのを皮切りに、天保11年(1840年)伊達斉邦(十二代)がおなじく川渡へ、また、文久三年(1863年)伊達慶邦(十三代)夫人が赤湯へと、藩主ならびに藩主夫人の来湯があった。 当時、温泉は一般に「出湯(いでゆ)」とよばれ、湯治を目的として利用されることが多かった。残存する金山下代記録(寛政十一年版)によれば、年間の客数は川渡(川渡)が八千人、滝の湯(鳴子)五千人、荒湯(鬼首)五千人となっている。 また、昔から「かっけ(脚気)川渡、たんせき(胆石)田中、しょうかち(? )赤湯、せんき(疝気)車湯、かさ(瘡)鳴子」と歌われるほど経験的効果があったとされている。 温泉療養プランの成り立ち 湯治客を中心とする宿屋は、足腰の病に苦しむ多くのお客様方に支えられてきた由緒ある湯治場である。当然のように、病気やリハビリテーションまたは入浴法についての問い合わせが多く、また病院内でも脳卒中リハ患者さんや整形外科疾患で悩んでいる患者さんが、外来で温泉リハを施行し、在宅にもどりたいという希望者が多くなり、当院と町内・開業医の先生方と観光協会とで話し合いがもたれ、下記の温泉療養プランが出来上がり、実施に踏み切った。 その後、平成14年6月鳴子町観光協会定時総会で温泉療養部会設立を宣言し、当初は8軒の旅館でスタート。会議、勉強会、視察を重ね、平成14年12月に町内全施設に参加呼びかけの説明会。おかげで21軒の施設が仲間に参入。その後、2軒の旅館も新たに参加した。 温泉療養プランとは 湯治旅館が一致団結し、町立鳴子温泉病院と提携した「温泉療養プラン」を打ち出した。これは全23件の協力旅館が、入院には至らないような生活習慣病や腰痛、リウマチ性疾患、脳梗塞や交通事故の後遺症のリハビリテーションなどを希望するお客様に対し、鳴子温泉病院への通院の便宜を図るというもの。健康保険対象外の脳ドックも受け付ける。病院の予約はすべて旅館側が引き受け、診療申込書と健康保険証を送って、事前にカルテを作成しておいてもらう。病院ではプラン利用者のために、毎週水曜日の決まった時間を診察にあてており、通院のための送迎は旅館が行なう。待ち時間がなく、余裕をもってゆっくりと診察が受けられるシステムです。また月曜から金曜は、院内の温泉を利用したリハビリテーション棟で、理学療法士や作業療法士によるリハビリテーション指導を受けることができる。(病院の会計は別途支払い)。 現在までの療養プランの利用者は121名です。その内訳は、整形外科疾患46名、脳卒中後遺症42名、生活習慣病29名、その他4名であり、湯治期間は5日-30日間である。東北地方40名、関東地方78名、その他3名で「温泉療養プラン」開始後、1年間は県内をはじめ近隣在住者が利用していましたが、平成15年度に入ってからは、東京都などの関東地方在住者の利用が多くなっている。又、リピーターも増加している。 まとめ 今年の第68回日本温泉気候物理医学会・総会は『温泉を科学する』のテーマのもと群馬県草津町で開催され、EBMによる温泉効果の発表のいくつかがなされた。 医学的温泉療法における科学的分析もすすんでいることが印象づけられた。 また、更にその先にある“wellnessウエルネス”の理念について、話し合いがもたれようとしている。そのような中にあって、温泉を中心とした鳴子町が目指す理想郷への第1歩のパスポートは、歴史ある鳴子温泉の湯治の文化と最新のリハビリテーション療法の共同作業である。 |
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