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日本の温泉地再生への提言 [40] -第2グループ 医学

健康と温泉利用

石井 正三
(いわき) いわき市医師会長・福島県医師会副会長(医)正風会 理事長


健康と温泉利用

昨今の経済の低迷は、少子高齢化社会の到来とそれに伴った就労人口の減少という社会構造の変化に原因があると見ることも可能であり、結果として我が国のあり方や価値観の変動さえも伴う現象として捉えておく事が大切です。国民皆保険制度によってもたらされた、いつでも何処でも平準化された医療を受けられるという安心感と本格的長寿社会の到来によって、仕事のみを清潔の中心に据えるような仕事人間としての生活から、テンポを少し落としてでも、人生に与えられたゆとりの時間を如何に過ごすかという面に大きな価値を見いだす国民が多くなってきた事は否定できません。

医療保険の安心感によって、我が国ではコアになる急性期医療の周辺に位置するべき健康志向という領域が、代替医療を含めてそれだけで大きなブームにもなっています。しかしながら、バブル期の拡大基調の色に染まった温泉利用とによって、多くの温泉保養地が遊興を主目的にした方向に走りました。これによって覆い隠されていた温泉本来の癒しの場としての機能が、ここに来て改めて見直されてきていると思われます。

我が国には古来からの湯治という概念があり、全国には、動物が教えてくれたり刀傷を癒したという伝承を保持していたり、皮膚病その他特定の疾患に対する効能がうたわれている温泉が現存します。医療と結びついたヨーロッパ型の温泉利用なども参考にしながら、我が国における医療や介護と連携した今日的な温泉施設の利用について、地域において具体的に考えていくことも一つの分野だと考えています。


温泉地の再生のあり方について

1.はじめに

温泉・温泉事業および温泉地の再生というテーマを考えるに当たって、現在この国がおかれている、健康をめぐる社会的な背景から始めてみます。

先ず、戦後整備された国民皆保険制度によって、何時でも何処でも保険証一枚で全国の医療機関に受診できるというフリーアクセスが保証され、国の定めた公定価格によって一定のレベルの医療が受けられるという医療保険システムが成立しました。この制度と、結果として戦争に直接巻き込まれなかった幸運をベースにすることによって、世界に冠たる長寿社会が実現しました。戦後の我が国においてもヘルシーフードと評価の高い日本食が未だに食の文化の基本である事もそれなりの効果があったと考えられます。少子高齢化社会の到来は、それに伴った就労人口の減少という社会構造の変化をもたらし、これに続いて到来した持続的な経済の低迷は、我が国のあり方や国民の生き方の価値観について大きな変動をもたらしつつあります。国民皆保険制度によってもたらされた安心感と本格的長寿社会の到来によって、仕事のみが生きがいであった仕事人間としての価値観から、テンポを少し落としてでも人生に与えられたゆとりのある時間を如何に過ごすかという面に、より大きな価値を見いだす国民が多くなってきた事は否定できません。標準化された医療保険には吸収しきれないような国民の様々な健康志向の欲求は、健康グッズを始めとして、健康補助食品、健康法、代替療法など多様な健康関連産業を呼び覚まし、また、高まった本物志向によって、人生の余暇の過ごし方についても大きな流れの変化を呼びつつあります。ここに、温泉保養地利用の上でも、湯治という古来の健康希求に再度着目するべき、基盤があります。

しかしながら、単純に100年前の時点を回帰点とし求めるのでは、今日の過剰なほどの情報に触れている利用者に、納得してリピーターとなっていただくのは困難です。この意味で、今日的な解の一つとして、近代医学のメディカルコントロールをベースにした温泉保養の方策があり得ると考えます。

2.生活習慣病と温泉利用

厚生労働省によって生活習慣病と定義された高血圧・高脂血症・糖尿病などのように、日々の暮らしにおいてすぐには病状が見えにくい疾患が、今日の我が国のような長寿社会においては、脳卒中や心臓病など重大な疾病の原因となり、長期的に見たときには生活の質(QOL)にも大きく影響するリスクファクターとなります。我が国ではコアになる急性期医療の周辺において、代替医療を含めた健康志向という領域が、大きな広がりを見せ、いざというときの国民皆保険による安心感によってこの方向性は一層拍車がかかっている感があります。その中で、日々の暮らしにおける悪習から脱却し、健康的な生き方を提案するリゾート環境や温泉保養には、単なるリフレッシュを超えた価値観を提案できる魅力が内在しています。現在の様なおびただしい情報量の中では、健康情報についても、一般国民は供給過剰の中に埋没してしまいがちです。しかし、過剰な情報に埋もれてしまうと、需給のマッチングがなかなかとれませんし、利用者のせっかく高まった健康志向も、とりあえずお手軽な健康グッズなどにスライドして一定の満足感で飽食してしまいかねません。一方、生活習慣病に向き合うための処方箋は、疾病に通暁した医師によるメディカルコントロール下に行われることが最も安全で効率的ですが、単なる小言や説教の形をとりますと、身についた実践に至らないこともあります。

また、公的保険の制度的には、医療保険に加えて介護保険が立ち上げられて全国的整備が進められ、なお、この両者の大幅見直しを数年中に行う予定であるとの意向が、行政側から盛んにアナウンスされています。

3.医療保険の今後・介護保険の将来

医療費は今後伸びるとの予想が出され、厚生労働省はこの伸びを抑制させるために自己負担の一律3割化を導入しました。中でも老人人口の増加に伴って医療保険は伸びるだろうとの推計が行われ、このための医療費抑制策も検討され順次実行されてきています。政府による現在までの医療保険改定の方向は、全国各地域に地域医療計画を策定して入院医療に対応する急性期病床の制限を図ること、この急性期病棟について平均在院日数の縛りをつけて長期入院を抑制すること、残った病床は慢性療養病床として支払の定額包括化を実現したこと、またそのうち一部は介護保険適応として医療保険から切り離すこと等であり、これら方策がいずれも既に実行されてきました。この変更の狭間で、例えばリハビリテーション医療は、期間の抑制によって急性期医療からはみ出し、療養病床では包括化によって採算性が無くなることになりました。その中では、急遽設定された回復期リハの枠のみが広げられましたが、これも、長期間のリハビリに歯止めをつけるため、入院期間には制限枠が入っています。一方、今回4月からは、厚労省によって大学病院などは急性期病床でも疾患分類による定額包括払い制(DPC)が採用されております。これらの医療費抑制策の結果、急性期医療は効率化による存続を模索せざるを得なくなり、余分な医療を行う余裕は大きく削られるようになりました。また、外来医療においても、処置の項目を抑制することによって、リハビリ医療はここでも大きく制限されることとなりました。

介護保険の方を見ると、導入に伴って全国の施設と人員の養成を厚生労働省が精力的に行ってきましたが、保険の運営自体は各自治体単位に委ねられています。各地域の保険の財務状況は、そろそろ負担増や抑制をかける方向をとるような状況になってきています。現在は介護保険の利用者負担は1割でして、こちらでのリハビリなどを利用すると送迎が含まれ料金そのものも医療保険よりも抑えめとなっていますので、利用者にとっては医療保険よりも値頃感があるようです。

以上の二つの保険を見ても、ヨーロッパの実状と異なり温泉療法の項目を含む制度設計にはなっておりません。このため、医療保険の中でこれまで各地に整備されてきた温泉利用の医療機関は著しい苦戦を強いられてきております。ここで考えるべき事は、先ず利用者の視点に立って良いことかどうか、そしてそれをシステムに包括するためには、最初から大がかりなものを狙わずにシステム設計を行う、または外部化して他業種間の連携の中で立ち上げる等のコンセプトが、現状での前進の一助になると思われます。

4.温泉保養地の活性化のために

バブル期の拡大基調に依って喧伝された風潮によって、多くの温泉場が遊興を主目的にした温泉利用に向かって走りました。景気の縮小に伴ってこの路線が軽薄短小と言い習わされるように退縮する傾向になってしまったことで、ここに来て「湯治」の意義が改めて見直されてきていると思われます。ここで考慮しておくべき事は、全てが同じ方向に向かって見直すことで改めて全国に個性の乏しい施設づくりや保養地開発を行う事ではありません。それぞれが独自の路線を模索することで、結果として我が国に多くの選択メニューを育てることが最も大切だと考えます。ハンガリーで体験したリゾート地ヘーヴィスの温泉湖、ミシュコルツの滞在型のコッテージに近接した洞窟温泉、ブダペスト市内ガレヤット・ホテルでの温水プール付きの医療保険適応温泉治療リハビリ施設などは、いずれもそれぞれ個性豊かで、全く別種の利用者のニーズにそれぞれ応えていました。

東北地方には今でも、農閑期に合わせて食材を持参して集まる自炊滞在型の温泉場の名残が存在します。松尾芭蕉による「奥の細道」において表現される「温泉」を「いでゆ」と読ませるような在り方でしょう。また、遊興を旨とする温泉宿としての存立は、現在のようなニーズの変化に柔軟に対応できるのであれば、今日でも選択されるオプションの一つではあるでしょう。この一方で、高齢化社会に対応した温泉利用を考える際には、ヨーロッパ型の、リゾートと健康そして文化をも兼ね備えた癒しの空間としての存立も重要です。その場合には、メディカルコントロールと提携した温泉利用の存立意義が出てきますし、滞在型となれば一層、栄養管理や持病に合わせた温泉治療の処方箋、そしてメンタルケアや生活指導のオプションも備えることで利用者の満足度も高くなります。また、観光に対応する地域の特性を活かした名所旧跡の案内の中に、運動療法としてのウォーキングのメニューを要求度に応じて備えることも意味があります。いずれの形を選択する場合においても、気安さと品格、簡素と豪華さ、自由さと手厚いこまめなサービスといったいくつかのパラダイムにおいて明瞭なコンセプトと位置づけを決定することが利用者に対するアピールになります。そして、地域の名産品の中に地産地消の価値観の提案があったり、癒しの空間デザインの配慮がなされている事が、トータルとして利用者に対して再度リピートして来訪する魅力を与えると考えます。


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